人が気になって悩んでいた私が人を気にかけるようになるまで
先日、目上の方とランチした際にありがたいなと思った一言です。
何かすごく気にかけてもらっている気がして、嬉しい気持ちになりました。
同時に人に気を遣えなくてとても悩んだ過去を思い出しました。
現在では悩むことは少なくなり、関係性にもよりますが『人を気にかける』側になってきたように思います。
今でも人を『十分気にかけている』、『配慮できている』とはとても思えないですが、昔自分のことを気にしてばかりで動けなかった頃に比べれば、だいぶましになりました。
いろんな段階がありましたが、昔悩んでいた自分を振り返りつつ整理したいと思います。
人が気になって悩んでいた私が”人を気にかける”ようになるまで
気にしすぎて動けなかった過去
どちらかと言うと雰囲気を読みすぎてしまい、疲れ切ってしまうタイプの私は、昔は人が気になりすぎて全く動くことができませんでした。
「あの人はああしてほしいときっと思っているだろう」が頭をよぎり、「これをやったら相手は私のことをどう思うだろう」そんなことばかりを考えていた学生時代。
大学生の時、友人から
「momomiはそんなにいろいろ気づいて気にするんだから、やればいいのに」
そう言われてすごくショックだったことを覚えています。
だって良かれと思ってやったことが相手にとって迷惑だったらどうしよう。
そんなことばかりが頭をよぎると考えが止まらず。
結局やらないで終わる、を繰り返していました。
そしてやらなかったことを後悔する。
かなり救いようがなかったように思います。
気を遣える人を目指して挫折する
サークル活動、学祭の準備などなど、てきぱき動ける人が活躍する場面ではことごとく役立たずで、なんだか全く居場所がないように感じていました。
人にさりげなく気を遣える人になりたい!と思い、本を読んだりしたものの役に立つどころか逆に読むだけで消耗してしまう。
さっと動ける人は永遠のあこがれに思えました。
やろうと思ってもできない、できない自分を責め続ける無限の悪循環ループに嵌っていたように思います。
現実と理想とのギャップが大きければ大きいほど落ち込んでいく。
結局できないなら近づかない方がまし、そんな思考回路でいつもリーダー業務や厄介ごとからはできるだけ距離を置くようにしていました。
変わらざるをえない立場に追い込まれる
意識を自分に向けるのではなく、相手に向けるようにする。
大事なことはただそれだけだと思うのですが、それがずっとずっとできませんでした。
転機になったのは、母親になったこと、後輩ができたこと、リーダーとしてチームを引っ張っていかなければならない状況に立て続けて追い込まれたこと。自分より弱い立場の人を守らなければならない立場になるということは、自分のことを気にしている場合ではなくなるということを意味しています。
自分が変えられるものにフォーカスする、今何が最善かを考える。
そう考えると制限の中にもできることは何かあるんです。
自分にできることがあると少しだけ気が楽になる。
自分が何かしたことで誰かが少しでもハッピーになると居場所ができたように思える。
その繰り返しが自分の中の小さな成功を作っていったように思います。
とてもしんどい時期でしたが、同時に自分のことで悩むことからは解放され、結果が徐々についてくるようになりました。
実は「気を遣う」よりも「気にかける」方が楽で効果も出やすい
気を遣うと消耗してしまう。
でも少しだけ、自分の身近にいる人を気にかける。
その方が自分も周りもハッピーになれる、そんな気がしています。
無理しなくていいんです。
自分が苦しくなるほど人に気を遣わなくていい。
でも少しだけ、周りを気にかける。できることをやってみる。
そう思うとやれることは意外と身近に見つかるし、楽にやれることが見つかるような気がしています。
気を遣うだとあくまで相手ありき。
相手が満足するまでやるとしんどいなと思うときも、自分のペースで相手を気にかける。
自分を大事に、でも人に思いを寄せる、そんなふうに少しずつですが変わってきたように思います。
まとめ
「気にする」と「気を遣う」と「気にかける」
似たような単語ですが、整理してみるとこんな感じで違うのではないかと。
相手を気にかけると、相手も気にかけてくれる。
そんな小さな幸せが、少しずつ私を動ける人へと変えてくれているように思います。
たくさん動けるときはたくさん動いたらいい。
あまり動けないときは、少しだけ気にかけてあげるだけでも全然違う。
そんな選択の幅を自分に持たせてあげることも大事かもしれません。
明日も今日より少しだけ、人に思いを寄せられる人になりますように。
読んでくださってありがとうございます!
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