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自分の中にあるジャッジメントを手放すことは意外と難しい

サバティカルタイムに入って意外と難しいな、と思うことの一つが『自分の中にある判断基準を手放す』です。

社会人になって20年近く、営利企業で働いていたので、いつも自分の仕事ぶりは人から評価の対象でした。
人からどう見られるかより自分がどう思うかだ、と思うようになったとしても、仕事を評価するのは所詮他人。

価値が生み出されているか、進捗はどうか、そういうことをいつもどこかで気にしていたし、それでお金をいただいている以上、当たり前だと思っていました。
自分のことはもちろん、部下ができてからは心のどこかで誰かの成果や進捗の状況について気にかけていて、常にジャッジすることが日常だったなと今になって気づくわけです。

そしてこの習慣がサバティカルタイムに入ってからはちょっと邪魔だな、と感じるようになりました。

だってジャッジする必要なんて何もないのだから。


自分の意思で仕事を辞めたので、自分に時間やスペースを与えて、自由に取り組み組ませればいいと思います。
でもそれが意外と難しい。

何かしらの判断基準をもってジャッジをすることは生産性を挙げたり効率的にやることには有用だけれど。
でも今日一日創造性を取り戻すためにどれだけ前に進めたのか?なんて判断しても全く意味がない。

今日どれだけドキドキしましたか?とかワクワクしましたか?の方が意味あるような気もしますが、大人になると悲しいかな、普通に過ごすとドキドキしたりワクワクすることってあまりないですよね。

私はどうすればワクワクが取り戻せるのか、
子どものときのやりたくてやりたくてどうしようもない気持ち
あれはいったい身体のどこに眠っているのか、
そんなことを考えてあれこれやってみる日々です。

質問:もし完璧にやる必要がなかったら、何をすればいいんでしょう?
答え:自分の壁を越えることです。
探求のない人生は生きるに値しない、という言葉は誰でも聞いたことがあるだろう。
創造性の回復が上手くいくかどうかは、考えてばかりいないで行動に移せるかどうかにかかっている。行動し始めると、私たちはすぐリスクに直面する。たいていの人は、自分をさらけ出すことの辛さを知っており、リスクを巧みに避けようとする。

「ずっとやりたかったことをやりなさい。」 ジュリア・キャメロン著


モーニング・ページ*をはじめて三週間がたとうとしています。
まだひらめきは湧いてきませんが、新しい習慣は私の新しいリズムを刻むのに役に立ってくれている実感がわきつつあります。
モーニング・ページが少しずつ「脳の排水」をしながら、私のジャッジメントを洗い流してくれているのかもしれません。

創造性を阻まれている私たちは、自分自身を容赦なく批判しがちだ。
世間にアーティストとして通用しているように見える人でさえ、自分には何かが欠けているとか、何かが違っていると感じている。
私たちは自分自身の内部に住む、完璧主義者に操られているのだ。

「ずっとやりたかったことをやりなさい。」 ジュリア・キャメロン著




*モーニングページとは:
本「ずっとやりたかったことをやりなさい。」の中で紹介されている、朝起きてすぐに3ページほど思いつくままにノートに手書きで自分の意識の流れをありのままにつづる手法のことです。










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