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人康親王の山科四宮を歩く

「異界」とは現在いる世界と異なる世界であり、必ずしも暗黒の世界ではない。もしかすると、いま貴殿が生きている世界のほうが、暗黒の世界かもしれない。

こんにちわ、唐崎夜雨です。
これまで滋賀県大津市の神社を巡ってましたが、今回は舞台を京都に移します。
と申しましても京都市山科区で大津市の隣です。

山科はJR、京阪、地下鉄が通じて鉄道の便は良い。ですが市街に比べると訪れる人は少ないのがいい。混んでいるのが苦手でして…。

山科駅の北東に諸羽もろは神社がある。主祭神は、天児屋根命と天太玉命。
貞観四年に社殿が作られ、当初はこの二柱の神様を祀っていたので、両羽大明神。
のちに八幡宮など合計6柱の神様を合わせ祀るようになったので、両羽から諸羽に社号を改めた。

この諸羽神社の参道に「この附近 人康親王山荘跡」の石碑がひっそりとたつ。

人康さねやす親王(831〜872)は仁明天皇の第四皇子。貞観元年(859)に病気のため出家し、山科に暮らすようになった。出家理由の病気とは目を患ったようです。

『伊勢物語』に登場する「山科の禅師の親王」(78段)とは、人康親王のこと。
庭石に和歌を添えて贈っています。その庭石だという石が諸羽神社の境内に置かれているというのですが、残念ながらよく覚えていません。

諸羽神社をあとにして参道を南へ歩くとJRの高架があり、さらに歩くと京阪電車の踏切があり、その先に一之鳥居があります。この一之鳥居の前を東西に通じているのが、東海道です。
このあたりは、道幅も広くなく、交通量もそれほど多くはない。旧街道の趣です。

参道から東海道に出て左手、つまり西へ歩くと六角形のお堂が左手にあります。
これは山科地蔵または四宮地蔵と呼ばれる。小野篁公が作ったお地蔵様のひとつで、当初は六地蔵の大善寺に安置されていた。これを後白河天皇が京への街道の出入り口に一体づつ分け置いた。四宮のお地蔵さんは東海道を守護している。

この地蔵堂の手前を左に曲がる。
ふたたび京阪電車の踏切を越えた先にあるのが十禅寺。人康親王の開山と伝える。

十禅寺の北東、JR高架の脇に人康親王の御陵がある。
御陵への参道は入れませんでしたが、横の駐車場の奥へ行くと御陵に近づける。
樹木に覆われた中に石塔の頭だけ少し見えました。

仁明天皇の第四皇子である人康親王は、目を患って出家した。琵琶の名手だったとも言われる。
これって、誰かに似てると思いません?
そう、蝉丸。

蝉丸は謡曲や平家物語では、醍醐天皇の第四皇子で、盲目にして琵琶の名人。逢坂山に庵を結ぶ。逢坂山は山科からそんなに離れてはいない。
系図では仁明天皇ー光孝天皇ー宇多天皇ー醍醐天皇なので、人康親王のほうが時代が古い。
蝉丸のキャラクタには人康親王の面影があると思われます。

 相坂の関に庵室をつくりてすみ侍りけるに、ゆきかふ人を見て  蝉丸
 これやこのゆくも帰るも別れつつ
  しるもしらぬもあふさかの関

これは『後撰集』にのる「これやこの」の和歌で、百人一首とは少し言葉が違う。
『後撰集』は955年頃の和歌集。このときの蝉丸は、醍醐天皇の皇子ではない。『後撰集』は村上天皇の勅撰で、村上天皇は醍醐天皇の皇子ですから、さすがに蝉丸を醍醐天皇の第四皇子にはできない。
また、詞書の「ゆきかふ人を見て」とあるので、盲人ではない可能性を指摘する向きもある。

人康親王陵の西のほう住宅地の路地の奥にちょっとした広場があり、祠がある。
琵琶琴元祖四宮大明神と記されている小社の御祭神は、もちろん人康親王。琵琶法師たちが神様として祀ったとか。
この小さな空間は北がJRの高架、残る三面は民家。大きなクスノキ(たぶん)が祠の笠のように枝を広げている。

この広場には他に、神変大菩薩(役行者)、不動明王を祀る祠等がある。
現在、三井寺こと園城寺の境外地となっているようです。

四方は現実的な世界なのに、ここだけ時空が違う、異界に入ったような心地がする。京都の路地の奥にはこうゆう光景が普通にありそうです。
ウディ・アレンの『ミッドナイト・イン・パリ』みたいな物語、京都なら起きても不思議ではなさそう。

ふたたび東海道へ戻ります。
先程の六角形の地蔵堂の裏手に、人康親王蝉丸供養塔がある。南北朝時代の宝篋印塔らしい。

蝉丸が逢坂に庵を結んだのは、人康親王の旧跡である四宮に近かったからかもしれない。琵琶法師の祖神といえる人康親王を慕う形でこの地に来たのではないか。

蝉丸が醍醐天皇の第四皇子とされたのは人康親王との混同かと思うが、なぜに醍醐。
山科に近い地名で醍醐が選ばれたか。
それとも清涼殿の落雷事件、つまり菅原道真公の怨霊による醍醐天皇の死と関連があるだろうか。第「四」皇子と「死」の妄想にすぎないか。

さて、ここまでくると、京阪電車の四宮駅が近い。山科駅から一つ大津寄りの駅です。四宮という地名も仁明天皇第四皇子の人康親王からという説もある。

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