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観音のいらか見やりつ花の雲/note開始100日で記事50本達成記念

こんにちわ、唐崎夜雨です。
昨年12月からnoteをはじめて今日が100日目、今回の投稿が50本目になります。三日坊主で終わることが多い唐崎夜雨ですが、こうして続けられているのも当方へお越しいただいている皆様のおかげです。

悪筆駄文で読みにくいとは思いますが、これまで誠にありがとうございました。そして、これからも何卒よろしくお願い申し上げます。

2019年春 上野寛永寺にて

さて、梅は咲いたか桜はまだかいな。
東京の桜の開花予想は3月24日ごろ、満開は3月30日ごろのようです。

待てない。
というわけで、古人の俳句や詩歌をよすがにサクラを妄想する旅にしばし興じてまいります。

そういえば、お花見をされますか?
「銭湯で上野の花の噂かな」

長屋の花見で言うところの、サクラの花の下でムシロ広げて番茶とたくあんみたいなヤツですよ。若いころは何度か経験しましたが、いまはしない。
缶ビール片手に歩いたり、露店で一杯ひっかけることはありますが、居酒屋さんへ行ったほうが安心して飲めるし、心地よく酔える。

桜の季節は日が暮れるとわりと寒い。またすぐそばを多くの人々が往来する。砂やほこりや虫まで宴席に参加しそうで、そんなところでわざわざ飲食しない。登山やハイキングならまだしも都心の公園では遠慮したい。
それに準備や片付けも億劫。

自分ではしないけれども、どなたもお花見をしていないのも殺風景ですから、ぜひどうぞ。

2019年春 上野寛永寺にて


観音のいらか見やりつ花の雲 芭蕉

其角の『末若葉』によると、これは貞享三年(1686)春の作。芭蕉43歳。深川の芭蕉庵からの眺望。当時は深川から遥か浅草の観音堂の甍が見えたのでしょう。このとき芭蕉は病み上がりだったようです。花見に出られないほど伏していたのでしょうか。

そういえば、見ようと思って見ているというよりは、どことなくぼんやり眺めているようにも思われてくる。春はぼんやりがよく似合うのかしら。

100日目、50記事を祝してひとりお赤飯。



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