賀茂建角身命を祀る久我神社(京都市北区)を総ルビで
こんばんわ、唐崎夜雨です。
これまで去年の夏に訪れたた上賀茂神社の境内をご案内してまいりましたが、今回と次回で上賀茂神社の境内の外にある上賀茂神社の摂社末社をご案内します。
お付き合いのほどよろしくお願いします。
そして、今日は総ルビで書いてみました。
京都市 北区 紫竹下竹殿町にある久我神社。
延喜式に載る古社であり、祀られている神は賀茂県主の祖神である賀茂建角身命。
上賀茂神社、正式には賀茂別雷神社の南南東約1キロの位置に鎮座する久我神社は現在、上賀茂神社の境外摂社となっている。
境内の東西から入ることができ、それぞれに鳥居が建つ。本殿は南を向いている。
本殿は一間社流造りで上賀茂神社の境内で見られた摂社末社と同じ建築様式。
本殿とその前に建つ拝殿は江戸時代、寛永の造替という。
拝殿は切妻造りの妻入りで左右に庇がついている。
この界隈は古くは大宮の森と呼ばれていたそうです。いまも本殿の北側には面影を残す森がある。
神社の北のほうに大宮という地名があり、神社の前の通りは大宮通りという。
久我神社が大宮の由来という説がある。
神社のいまは住宅に囲まれて決して大宮と称される印象を与えてはくれないが、往古はもっと大きな社か敷地で、その名に相応しいものがあったのかもしれない。
賀茂の氏の祖神を祀る重要な神社。
もう少し妄想を膨らませると、久我神社の北の森は祭神賀茂建角身命の古墳かもしれない。
式に載るような古い神社は、その土地を開いた氏族の古墳と関係のあることが少なくないらしい。
『山城国風土記』逸文によると賀茂県主は大和の葛木から南山城の岡田へ移り、ついで桂川と賀茂川の合流地点あたりに移動し、やがて賀茂川を北上して「久我の国の北の山基」に移ったとしている。
この風土記の記述に随うように、大和葛木(奈良県御所市)に高鴨神社があり、山城岡田(京都府木津川市)には岡田鴨神社がある。
桂川と賀茂川の合流地点(京都市伏見区)には「久我」という土地があり、神社もある。
読み方は「こが」「くが」と異なるが伏見区と北区の「久我」は関連性があるのかもしれません。
御祭神の賀茂建角身命は神武天皇の東征に際して道案内をした八咫烏ともいわれている。
そのため、久我神社の御神徳は交通安全・航空安全とされている。ひいては人生の道案内もお願いしようかしら。
それでは一旦上賀茂神社の前に戻りまして、次は東に向かって進みます。
さて今回は総ルビに挑戦してみました。が、次回は普通に書こうかな。。。
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