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お金の先にあるこころのゆたかさの、さらにその先の話

わたしが生まれた頃、ゆたかさとはお金を持っていること、車を持っていること、家を持っていることだった。

・お金がたくさんあって欲しいものを自由に買えることがゆたか

シンプルに『衣食住が整った環境で生きていくこと』が幸せだった時代だった。

・本当のゆたかさは所持しているお金や物では計れない

わたしが大人になるころにはお金の次のゆたかさについて語る人が増えてきた。

ゆたかさとは、夢だったり、やりがいのある仕事だったり、健康だったり、大切な人との信頼関係だったり、その他もろもろその人が大切にしている多種多様なものに変わっていた。

『自分の心が気持ちよく過ごせるように生きること』が新たなゆたかさの主流になってきた。

ゆたかさの定義は時とともに変わり続けていくのだろう。

じゃあ、未来のゆたかさはどうなるのか考えてみた。

おそらく『自分自身もまわりの人もすべて心地よく生きていること』がゆたかさの新しいかたちになるのではないか。

・自分も他者も同じように尊重し与え合うゆたかさ

今の時代には「お客様は神様」などという言葉が浸透し、客という立場にたてば店員よりも偉くなるというような勘違いをする人が沢山いる。
学歴の高い人が就くことのできるお給料の良い職業が社会的に有益だと考えて、それ以外を見下すような人もいる。

自分さえ満足していれば他者を見下していようとも『ゆたかな人生』といえてしまう時代はいつか終わるんじゃないだろうか。
お金だけもっていて愛情を知らない人を誰もゆたかだと思わなくなったのと同じように。

この記事を書いている今、世界では恐ろしいウィルスが流行している。

ウィルスのせいで大きく変わった世界で、当たり前だと思っていた日常がどれだけ価値があったのかに気がついた人がたくさんでてきた。

インフラがしっかり機能する、物流が止まらない、いつでも商品が買える、ゴミを回収日に収集してもらえる、公衆トイレが清潔で衛生的などなど

いままでは気づかずに感謝しなかったことに

トラックの運転手さんに
レジ打ちのパートさんに
ゴミ収集車のお兄さんに

ありがとうと感謝するようになった人がたくさんいる。

感謝を伝えられた人は嬉しい気持ちでますます周りのために頑張ってくれている。

病気になって初めて健康のありがたさを知るのと同じように、日常が日常でなくなった今こそ当たり前だった事のありがたさを知ることができた。

ウィルスが落ち着いて日常が戻っても、世界を構成する人たちへの感謝を感じた人たちはきっとそれを忘れないと思う。

この世界を襲っている大きな出来事は『新しい次のゆたかさ』への礎になるのかもしれない。

自分を尊重し、相手も尊重する。周囲に感謝する。

自分はもちろん、周りのみんなが心地よく過ごしていたら、それはなんとゆたかな空間だろう。

今はまだ自分と違う価値観を持つ人がいることを受け入れることができない人がいる。
匿名のSNSでひどい誹謗中傷をする人、自分の正しさを信じるあまりに行き過ぎた正義を振りかざして他者を傷つけてしまう人もいる。

自分の仲間内だけではなく
自分にとってありがたい存在だけではなく

意見や価値観が違う人やちょっと気に入らない人であっても、尊重して認めることができる人がこの先きっとどんどん増えて

尊重や肯定や思いやりがグルグルと循環してよりおおきな幸せとして帰ってくる。そんな社会がきたらなんてゆたかな世界だろう。

そんな未来が実現するように、自分と同じだけ他者を尊重できる人間になれるように、生きていきたいと思う。

このメッセージを目にしているということは、、、最後まで読んでくださったのですね!!!ありがとうございます!