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#079 スカンノへの旅 (その19) スカンノの猫

 「猫一匹いない道」という表現の裏には、(道に)猫というものはどこかしらいるものであるといった意味合いを感じる。
 スカンノでの早朝散歩では、人は勿論、猫一匹いない道を、貸し切り状態で毎日歩いた。朝の空気が好きだ。静寂が心に沁みる。今日も生きていることを実感する。生命をもたない石に囲まれた空間の中で、私だけが命を得ている。私の命は、五感、身体、心をフル稼働している。
 道の角を曲がったら、いた。猫が一匹、道の脇に座っていた。私と同じ、朝の空気を楽しんでいたのかもしれない。私が近づいても逃げない。猫から2メートルくらいのところで私は足を止め、しゃがみ込んだ。猫は逃げない。ボンジョルノと声を掛けた。猫はじっと私の顔を見ている。もう少し接近しようかと思ったが、走って逃げられては悲しいので、そのまま見つめ合った。

 異国の地での猫については思い出がいくつかある。
 あれはコルシカ島でのスケッチのときだった。その日は雨が降っていて、軒下を探して町の中を歩いた。ちょうど良い場所を見付けたので、そこに行ったら先客がいた。黒猫。私が隣に座っても逃げない。じっとしている。私は絵を描き始めた。半分くらい描いた頃、猫は眠り始めた。一枚描き終えたところで、眠っている猫の絵も描いた。動物の絵を描くのは初めてのことだった。描き終えて雨を見ていたら、黒猫が目覚めた。猫に菓子をやった。匂いを嗅いでいたが口にはしなかった。日本の菓子は好きではないらしい。次のスケッチポイントに行くために私は立ち上がった。黒猫は変わらずそのまま寝そべっていた。
 次の日の早朝、散歩をしていたら、あの黒猫がいた。ボンジュールと言って近付いたら、猫の方も私に寄ってきた。オヤオヤと立ち止まったら、猫は身体を私の足に擦り付けてきた。あら〜、こんなことをされたことないよぉ〜と嬉しくなり、この猫を日本に連れて帰りたいと一瞬思ってしまった。そう思った瞬間、猫はヒラリと塀の上に飛び乗り、塀の向こう側に消えていった。猫とはそういう動物である。
 コルシカ島の別の町では、私が座ってスケッチをしているベンチに三毛猫が近付いてきて、ベンチに飛び乗ってきた。ボンジュールと挨拶をすると、その三毛猫はいきなり私の膝の上に乗って全体重を掛けてきた。突然のことだったので三毛猫のなすがままにせざるを得なかった。コルシカ島に住む人々が、猫をどれほど可愛がっているかを思い知らされた。人間を信じ切っている。3分間くらいだろうか、三毛猫は私の膝の上で寝そべっていたが、スッと起き上がり地面に飛び降り、のっそのっそと歩いて去っていった。
 
 さて、目の前のスカンノの猫はどのような反応をするのであろうかと興味はあったが、近付くことも手を差し出すこともせずに、私は立ち上がって猫を残して歩き出した。お互いの朝の時間を尊重しよう。

 何歩か歩いて、後ろを振り向いたら、もうそこには猫の姿はなかった。

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