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“のら”のススメ ~センス・オブ・ワンダーのその先をみつめて~

「センス・オブ・ワンダーのその先」などと書くのはおこがましいのですが、思い切って綴ります。
『センス・オブ・ワンダー』は大学生のころから、大きな影響を受けています。

子どもといっしょに自然を探検するということは、まわりにあるすべてのものに対するあなた自身の感受性にみがきをかけるということです。それは、しばらくつかっていなかった感覚の回路をひらくこと、つまり、あなたの目、耳、鼻、指先のつかいかたをもう一度学び直すことなのです。

という箇所が、一番といってもいいくらい私が好きな一節です。

      *      *      *

2022年に、私がひっそりと提案したいこと ↓

センス・オブ・ストレイ = Sense of stray

“stray”の意味は、以下の説明がとても分かりやすいと感じています。

離れる、はぐれる、(…に)迷い込む、さすらう、さまよう、(一時的に)正道から踏み出る、わきにそれる、脱線する
(weblio英和辞典より)

“Sense of stray”というのは、英語の文法的には正しくない使い方かもしれません。
ただ、今の私にはストンと腑に落ちるものがあります。

センス・オブ・ワンダー = 神秘さ不思議さに目を見はる感性

と、上遠恵子訳の本に書かれています。
この部分を引用しつつ、
「自然体験を通して、今こそセンス・オブ・ワンダー!!」
と叫ぶこともできるのですが、
いまは“wonder”より“stray”の言葉の世界観に惹かれています。

野良犬や野良猫のように、あえてどこにも属さず、フラフラと。

ここでは「野生」ではなく、「野良」がミソだなぁと感じます。

必要なときは、持っている人・他者に遠慮なく頼ればいいと思います。
それでも、コントロールはされない位置にいる。
気づいたら、フラっといなくなっているような。

そんなことを感じて、“stray”=のら であるヒントを暮らしのなかでワクワクしながら探し出すために、以下のようなポッドキャストをゆるくやってゆこうと思っています。

デジタル化が進むと、ゆるいけれどもお互いがお互いを“監視”しあう社会になっていくような、そんな窮屈さをジワジワと感じます。

だからこそ、“stray”である瞬間を、自ら主体的につかみ取りたい。

手近なところで言うと、手紙やハガキを書いて投函することは、ちょっと“のら”っぽいなぁと私は感じています。
そんなささいなことを、ポッドキャストや今後のnoteでも綴ってゆきます。

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