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LIVE2.0 の考察

「リアル体験」の普遍性と限界

「コンテンツ」ではなく「体験」を提供する。

ここ数年のエンターテイメントは、その手法を大きくシフトしてきた。大きな船も小さな船も、全員がその方向に大きく舵を切り切ったまさにその時に、見たこともない巨大な氷山に衝突。まさかそれが「未知のウイルス」であるとは、一人の天才を除いて、世界中の誰もが予想し得なかった事だ。(ビル・ゲイツは2015年の時点で、世界が危惧するべきは核戦争よりも空気感染ウイルスであると言及している)

生身の「体験」を全く遮断された結果、多くの音楽関係者が活路を見出せないでいた。それは、長期的な逆張りのリスクマネジメントを誰も見つけられなかった結果であると思う。

前項で触れたよう唯一断言出来る事は、生のLIVEに換わるものは無く、そしてこれからも無くなることは絶対に無いという事。ただし、それと同じくらい面白いモノを産みださなければ、エンターテイメントに未来は無い。それは、リスクマネジメントという意味でも、エンターテイメントの発展という意味でも、そして何より作り手の僕らがワクワクし続ける為にも。

生身の人間のコミュニケーションを介さない全く新しい「音楽体験」の共有、これを仮に「LIVE2.0」と名付けたとして、世界中の誰もそれに答えを見出せていないのが現状だ。昨今、大小色々な試みがされているのは承知の上だが、多かれ少なかれ生のLIVEに参加することを前提としたものが多数である。そこで、ここでは次世代の「LIVE2.0」を考える上でヒントとなる事例をいくつかピックアップし、皆でブレインストーミングしてみるのはどうだろう。


配信事業

「LIVE2.0」議論の前に、まず真っ先に思いつくのはLIVE配信事業だが、プラットフォームやインフラ、これは急務であるが、技術的にも制度的にも一般普及レベル到達は時間の問題であると感じる。そして、こと小さなライブハウスにおいては特に、配信システムはデフォルトでありマストにするべきだと思う。システムが完備された上で、LIVE出演ミュージシャンは配信の有無・配信方法・価格などを自由に設定すれば良い。

現状のLIVE配信はナマのLIVEの代替・補填の域を出ず、「LIVE2.0」という意味では根本的な解決には至っていない。そして「お金を払ってでも観たいかどうか」という点に置いて、疑問が残るものも多い。ただ、一つ可能性があるのは、LIVEライトユーザーにはむしろその方が響くのではないかという事。

僕はスポーツの類をほとんど見ない(ナチュラルボーン純文化系男子)。スポーツに関しては、超ライトユーザーだ。スタジアムのあの熱狂の渦は当然得がたい体験であるが、それでもなお、野球などはテレビで見た方が面白いのではないかと思ってしまう。テレビ中継であれば色んなアングルで見れるし、その時の戦況・球種・スピードが分かりやすく一括表示され、それにまつわる解説までついてくる。僕のような門外漢には、そちらの方がむしろ楽しめる。(全然関係ないが、先日「江夏の21球」を改めて見返した。僕のようなド素人にはただの1試合のただの1イニングとして通り過ぎてしまうような出来事が、詳細な解説と分析によって歴史的ドキュメンタリーとなりスポーツファン以外にも届くという偉大な成功例)

すなわち配信には、ナマのLIVEでは得られない別の情報・要素・何か一味を加える事により発展の余地があるのではないかと。これに関しては、いくつかぼんやりとしたアイディアもあるのだが、考えを煮詰めてまた別のお話で。


ジャッジメントKOBEの事例

「ジャッジメントKOBE」は、家で過ごしながらライブハウスを体感できるライブイベント動画を配信するプロジェクト。ここで面白い実験が行われている。演者をグリーンバックで撮影し、実際のライブハウスの照明と映像をクロマキー合成するというもの。現状だと見ていてちょっと気恥ずかしいし、若干使いどころが不明な技術ではあるものの、プラス一味を加えるという点に置いて非常に意味のあるトライだと思う。

個人的にはもう一つのトライ、アンビソニックやバイノーラルマイクを使った立体音響実験の方に興味がある。映画などで使われる5.1chとはある種逆の発想であるが、これは推し進めればVRとの親和性がとても高いであろう事が予想出来るからだ。


mplusplusの事例

LEDフラッグの開発・実用演出など革新的な照明演出を行っているmplusplusによるLED演出実験。

視聴環境の違いや設備投資の問題は当然あるが、パソコンのディスプレイの外側こそにヒントがあり、未開拓のブルーオーシャンである事を提示した事には感銘を受ける。また「光」が人間の興奮状態に作用する巨大な要素だという事に、改めて気づかされる。


「あつまれどうぶつの森」の事例

次世代LIVEの議論において当然視野に入るであろう「VR」技術。ゲームの分野が技術的にも方法論的にも先鋭的な試みが多く見られる。VRゴーグルなどを含まない広義のVRにおいて、いま最もポピュラーなゲームの一つ「どうぶつの森」において、ゲーム本来の目的とは違った表現方法の事例がいくつか見られる。「LIVE2.0」の議論からは少し逸れるが、音楽に繋げられるヒントとしていくつかあげておく。

Left Behind "Waiting For The End"

アメリカのハードコアバンドが自粛期間中に新曲を作ったもののMVの撮影ができない為、ファンから「どうぶつの森」の比較的「エグい」シーンを集めてMVとしたもの。

仮想空間上での香港民主化デモ

ほのぼのした無人島とキャラクターのまさかのプロパガンダ利用。

他にも、V-Tuberの自己表現やコミュニケーションなど、ゲーム本来の目的とは違った様々な利用方法がある事は、非常に興味深い。また、ゲームが「コンテンツ」から「ツール」への変容フェイズに入った事は、見逃せない事実であると思う。


Travis Scott のFortnite Event

「LIVE2.0」構想において、個人的に最も「答え」に近いと思われるのが、「Fortnite」というゲーム内で行われた Travis Scott のワンタイムイベント。

100m近くに巨大化されたTravis が仮想世界を動き回る為、参加者は好きなアングルからTravisを見る事が出来るが、ある程度追っかけながらでないと見失ってしまう。また音に同期した爆発で参加者が吹っ飛ばされたり、無重力状態や水中に落とされたりと、視聴者の積極的な行動がなくては、このLIVEを見る事はできない。この双方向性の塩梅も見事だ。

また音楽的クオリティ、future bass といったジャンルのCG映像との親和性の高さ、圧倒的な映像表現といった点に置いて、これならお金を払ってでも観たいと多くの人が思うだろう。僕の思う「LIVE2.0」に最も近いと思われる事例である。


VRからSR、そしてXRへ

これまで、現実のLIVEの拡張の可能性、VRの可能性をあげたが、時代のキーワードは、VR(仮想現実)からSR(代替現実)、そして「それら全部の総合的な新い現実体験」としてのXRがある。そして、日本でもそれにうってつけなLIVEの舞台になるであろうプラットフォームが5月にオープンした。これに関しては、もう少し勉強してから改めて書こうかと。

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