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糞フェミでも恋がしたい (その26)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。

糞フェミは糞フェミで理屈がある、というかフェミニズムってなんだ、いや、そもそも遡りまくって、女ってなんだ、歴史をひもといて、調べて行けばいくほど、わけがわからなくなる、だって、なんか他の国の、誰だか分からない人間が、とりあえず腹が立って、ヒス起こしたから、それがなんかデカいムーブメントになって、それっぽい理屈がついたとか、そんなんじゃないかという気さえする、アメリカの公民権運動はいいんだよ、あれはもう黒人っていう、すっごいわかりやすくて、キリスト教徒どもにアフリカから人身売買で連れて来られたという、黒白対立の、由緒正しい歴史があるし、人身売買を是と言えるヤツも、現代社会には多くないだろうと思うから、反論もないだろうし、つまり、公民権運動は筋がいいということだ。

でも、フェミニズムは、遡れば遡るほど、わけがわからないことになる、だって、女にとって、社会というものの重要性は、人それぞれだから、社会に参画したいと思うものもいれば、したくないと思うものもいる、大事なのは自由で、自由に選び取れる権利で、自分の人生を自分で自由に決めていいんだったら、そもそも、ああしろこうしろと言われたくないし、これが理想の女性なんだとか、社会に出て成功しろとか、くそめんどくさい、他人が作ったイメージを押し付けられるのは、私だってまっぴらだ、つまり、どうも筋がよくない感じがするわけだ、というか、公民権運動的に言えば、既にひとり一票の選挙権を持っているわけだから、日本の選挙権人口の半分は女なわけで、衆議院選挙の男女の投票者数を見るともはや女のほうが多いという現実があるのに、政治や行政の運営に女の意見が反映されていないとか、それはもう地に足がついていない感じさえする。

もちろん、経済的に裕福でないから、幸せになれない女だっていっぱいいるんだろうから、そいつらが貧困や、DVや、抑圧から抜け出すために、女の権利を拡大して、社会で出世しやすくなるのが大事なんだという理屈はわかる、しかし、世の中には、貧困じゃない女だっていっぱいいるし、そいつらは別に、出世しようなんてぜんぜん思ってないし、わりと楽に暮らしていて、そんな必要なかったりもするし、適当に結婚してバンバン子供産んで、これといった苦労もなく幸せを手にする、要するに、女にとって社会の必要性は一様ではないということだ。

わからないわからない、理屈でどんなに考えても、先人たちの運動家が垂れる御高説の論点がわからない、わからないものを自分のものにはできないし、そもそもわからないものを押し付けられた結果、学校や社会からはみ出したのに、はみ出した先でまたわからないものを押し付けられるなんて、納得がいかない、だから納得しない、私は頭が悪いから、いい子ちゃんではないから、わかっていないのにわかったふりはできない、わからないものは、わからないまま、抱えて行くのが、人生というものだと、お婆ちゃんが言ってた。

だから、誰がどういう理屈を唱えて、どういう運動を起こそうが、それはそれで好きにやればいいと思うけど、なんか知らないうちに、自分が枠にはめられて、誰か知らない人間の価値観で縛られて、そいつの考えるレールの上を歩かされるのだけは、本当に反吐が出るほど嫌だと感じるだけなのだ。

私が正しいわけではない、もちろん私は間違っている、馬鹿だから、間違っているのは当然だ、でも、他人も間違っている、他人だって馬鹿なんだから、間違っているに決まっている、そんなの当然だ、私も他人も間違っていて、世の中に正しいことなんてないのなら、みんな自分勝手に好きにすればいいんじゃないかと思う、なんか、神様を信じていて、神様の言うことが絶対の正義だとか本気で言い出す馬鹿は、どこか遠くの国に行っちゃえばいいと思う、私には神様は必要ないし、絶対の正義も必要ない、神様がなにかをしてくれたのを見たことがないし、何千年も信じられていながら、なにもしてくれない神様なら、そんなものにどんな価値があるのだろう。

私に信じるものがあるとすれば、それは快楽、そして時間、そして肉体の暖かみ、そして、そこからこんこんと湧き出す、情愛。情愛こそが、女そのもので、女が情愛そのものであるとき、それはもう、神様なんだと、私は思う。偽物の神様なんか捨てて、みんな、自分が情愛の神様になればいいのだ。女にはそれができると、私は信じている。

それが私のフェミニズム。

つづき→ https://note.mu/feministicbitch/n/nc6f8cc02ee90

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