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糞フェミでも恋がしたい

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能條まどかによる実体験に基づいた糞フェミ恋愛小説「糞フェミでも恋がしたい」の連載まとめ
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2018年4月の記事一覧

糞フェミでも恋がしたい (その14)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミでもめちゃくちゃにして欲しいのだ、私の身体を雌の欲望が突き抜ける、その欲望のままに、自由になりたいのだ、自由になって、ぶっ壊れてしまいたいのだ、綺羅君、綺羅君、綺羅君、綺羅君、心の中で、ねがいが渦巻きみたいになって、ぐるぐるぐるぐるぐるぐる、私を引きずり込んでいく、いい、このままでいい、このままどこへでも、行ってしまっていい、連れて行かれてしまっていい、圧倒的な存在である綺羅君になにもかもあげてしまっていい、私の欲望はそういう欲望。

糞フェミでも恋がしたい (その15)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミだって時にはやさしくされる、やさしくされればうれしいのだ、雌なんだもの、それはうれしいのだ、私もうれしかった、綺羅君は、ふたつの玉から絞り出すように、濃厚で粘り気のある白濁を、何度も何度も、力いっぱいに発射すると、絶頂と興奮で息を切らせながら、彼の精液でぐちゃぐちゃになった私の身体を見下ろした、綺羅君の男性器は、射精を終えたあとも、まだひとしきり反り返って、反応を続けている、ああ、なんて男らしいんだろう、いいな、雄ってすごい、すごい

糞フェミでも恋がしたい (その16)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミに明日はない、明日なんかあてにしていない、今日がすべて、今日に生きて、今日に死ぬ、そういう心で生きるからこそ、本当に真剣に生きられるんじゃないかと思う、中途半端な幸せで、中途半端に満足するぐらいなら、真剣さのために、真剣に求めるもののために、死んでもいいのだ、私は、死んでもいいのだ、綺羅君を自宅まで送り届けて、綺羅母にご挨拶して、あの母親だから、なんとなく勘付くところもあるだろうけど、でも許されている感じもして、雌の私は、それなりに

糞フェミでも恋がしたい (その17)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミにも快楽は与えられてしかるべきだ、というか大自然の摂理は分け隔てはしない、どんな人間も、生まれて暴れて息をして喰って楽しんで苦しんで死ぬ、生まれながらに美人やブスの分け隔てはするけども、それは単に形状が違うだけのことで、それを見て良い悪いを決めているのは人間のエゴだ、いや、そんなことどうでもいい、私には快楽が必要なのだ、というか欲しい、綺羅君の男性器が欲しい、欲しい欲しい欲しい、欲しいのだ、生物はそういうふうに出来ているのだ。 山

糞フェミでも恋がしたい (その18)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミだが恋する糞フェミなのだ、王家衛もビックリだ、恋がしたいと書き出しておきながら、恋とはなんなのか、いまだによくわかっていない、たぶん、世の中のほとんどの女は分かっていないのだろうと思う、それか、たぶん恋などというものはないのだ、情とか欲とか、それはぜんぜん悪い意味じゃなくて、人間の持ってる動物的で強力な感情が、ごちゃまぜになって吹き出して、心を縛り付けるとき、それをなんか適当な名前で、たとえば恋と、呼んでいるだけなのだろう、いま、私

糞フェミでも恋がしたい (その19)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミだって大学生だ、都内の、カトリック教系の、まあちょっといい感じの四年制の大学に通っている、ちゃんと試験を受けて合格した、私はいちおう大学生なのだ、いちおうというのは、退屈で退屈で、あまり講義に出席していないからだ、サークル活動は頻繁にやっている、部室に顔を出している、もちろん、フェミやLGBTや、そういうのを研究するサークルだ、カトリック教系でLGBTってのもどうかと思うんだけど、まあそれが今という時代なんだろう、ともかく、私は無神

糞フェミでも恋がしたい (その20)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミほど始末の悪いものはない、だいいち、心がねじくれている、ひんまがっている、コンプレックスに歪んで、人を呪い、禍をねがい、ありとあらゆる、いびつな欲望と傲慢と後悔と自己嫌悪に満ちている、しかし、それは同時に、純粋でもある、そもそも人間の心には、呪いも、欲望も、傲慢も、自己嫌悪も、すべてがもともとあるべき形で存在するからだ、糞フェミはたいてい、物心ついてから思春期を迎えるまでに、社会や家族や運命から、糞でっかいハンマーでぶっ叩かれて、ぺ

糞フェミでも恋がしたい (その21)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミは現実認識が甘い、現実を直視し、客観的に認識できていたら、そもそも糞フェミになんかならない、もっと着実に世渡りの才を高め、己の日常を豊かなものとしているに違いない、でもそんなの到底無理だ、だって現実認識が甘いからだ、もちろん私の現実認識も、話にならないぐらい、甘い、「あの綺羅君」が、サークル部室の居並ぶフェミ闘士を相手に、彼女たちを魅了するがごとき中性を思わせる素敵な声音で、かの歴史的名作シェイクスピア「じゃじゃ馬馴らし」評を語りは

糞フェミでも恋がしたい (その22)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミにも五分の魂、馬鹿にしたものではない、人生の棘を幾度もくぐる者には相応の経験と見識が備わる、私にも備わっている、処世術などというご大層なものではない、どうすればお菓子をひとつ余計にもらえるかという、それだけの話、私は子供のころからそういう手管が下手で、いつも口惜しい思いをしていたが、今は違う、成長の証は、私に勝利をもたらす、私が心から愛する男と、蜜月を過ごすという勝利だ、行け行け私、がんばれがんばれ私。 会議棟の屋上には、幸い人気

糞フェミでも恋がしたい (その23)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミでも淫乱なのだ、淫乱というか、それはぜんぜん悪い意味じゃなくて、セックスの快楽に正直なのだ、動物として真っ直ぐなのだ、くだらない見栄や良識に振り回されない、強い生命体なのだ、だから、私は淫乱を貫くのだ、すみれちゃんが座り込んだまま目を見開いて呆れていても、貫くのだ、つまり、その辺のエロ小説なら、一発フェラして終わりのところだけど、実体験だから終わらない、だって、綺羅君の男性器は勃起したままなのだ、もっともっと、射精してもらおうと思う

糞フェミでも恋がしたい (その24)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミには糞フェミのことがよくわかる、まあ、わからないわけはない、みんなどこかしら脛に傷があって、望んでではなく、仕方なく糞フェミになった者ばっかりなのだ、持って生まれた性格は違ったとしても、出生とか、育ちとか、経験として、共感しないわけがない、自分はひとりではないというそのことが、唯一、狂わないでいられる希望として、理性を繋ぎ止めることもある、真の狂気は、真の孤独とともにある、好んでそこに落込んで行きたい女など、この世界のどこにもいない

糞フェミでも恋がしたい (その25)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミの朝は早い、起きたら歯を磨いて、顔を洗って、まだ眠いけど、目覚めの紅茶を飲んで、というかその紅茶はスリランカのディンブラと決めていて、ブレンドではなくストレートしか飲まない、目にも艶やかなルビー色から放たれる爽やかな香りに、気分が沸き立つ、スターバックスではこうはいかないね、気に入ったクッキーを齧りながら、iPadを抱え、ベッドにころがりながら、まずネットニュースを周回して、フェミに関する新しい情報をチェック、整理する、そうはいって

糞フェミでも恋がしたい (その26)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミは糞フェミで理屈がある、というかフェミニズムってなんだ、いや、そもそも遡りまくって、女ってなんだ、歴史をひもといて、調べて行けばいくほど、わけがわからなくなる、だって、なんか他の国の、誰だか分からない人間が、とりあえず腹が立って、ヒス起こしたから、それがなんかデカいムーブメントになって、それっぽい理屈がついたとか、そんなんじゃないかという気さえする、アメリカの公民権運動はいいんだよ、あれはもう黒人っていう、すっごいわかりやすくて、キ

糞フェミでも恋がしたい (その27)

私の名は能條まどか。糞フェミだ。 糞フェミで困るのは性欲の方向性だ、糞ミソジニーの連中にはあんまりそういうことはないと思うんだけど、フェミニズム方面のヤツには、わりかしレズが多いのだ、もちろんLGBT(レズ/ゲイ/バイセクシュアル/トランスジェンダー)が主な研究テーマでもあるわけだから、真摯に向き合うのはいいことだし、レズだけにとどまらなくって、いろいろな方向性があって、私自身ドMだし、被虐に心から快楽を感じる性癖だし、まあ、いろいろあるのはあるで構わないんだけど、知り合っ