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ちょっとまだまとまらないけども。

ある本を読んでいてふむふむ。となった一節。

「オシャレしなくていい自由があって初めて<好きで>オシャレできるんだよ。どっちか一つを選ぶ権利があるときに初めて<好きなほう>を選べるわけでしょう。きれいにしていないとイヤな思いをする世の中では<オシャレしなくていい自由>がないんだよ」

これを不登校に置き換えてみた。

登校しなくていい自由があって初めて<好きで>不登校できるんだよ。どっちか一つを選ぶ権利があるときに初めて<好きなほう>を選べるわけでしょう。登校していないとイヤな思いをする世の中では<登校しなくていい自由>がないんだよ」

あってる?置き換えあってるかな。自分では合ってると思ったのだが。

日本の三大義務「教育・勤労・納税」
教育=登校ではないそうだ。どのような形であれ、教育をする・させる義務を果たせばよいのなら、もっと、不登校でもOKだぉ!みたいにならんかね?
もちろん、登校することで得られる体験なんかは、そりゃかけがえのないものだと思うし、やっぱリアルっていいなって思うことも多いのは事実。

娘が中学3年の頃に世の中がコロナで、いろんなものがちょっとずつオンラインになっていったんだけど、それは不登校児だった娘にとってはちょっといけるかも?って希望になった。けど、前例がないことはしないのが学校。zoomで授業を受けられるなら、画面確認できるなら出席扱いになる、とか。あの頃そんなことしてくれてたら、もしかしたらクラスのみんなと繋がっているという小さな安心感?希望?みたいなものが持てたのかもしれないなぁ。それきっかけで…とかね。
やっぱり「学校に行ってない」ってことで、ずっとずっと、自分を傷つけているわけだから。母親も、子どもも。
せめて、まだクラスに属してます感を持てたなら…とか思ってしまった。
もちろんこれは自分たちの話ね。
学校には登校出来ないけど、画面上にいるよ、クラスの中にいるよ、みたいになって、休み時間とか、ちょっと友だちが覗いたりなんかしてさ。って今はそういうの、あるのかな。無いのかな。それのフォローでもう1人先生が必要です、面倒です、無理です。みたいな感じなのかな。ま、手一杯だろうしなー、先生も、親も。
余計なこと提案するなよ、ってのが学校組織ってやつですもんね。ハイ。
ま、こんなことは、いまさらだし、すっごいタラレバだし、夢見すぎなんだよって思うけど。

娘は学校に行っていなかった間、何をしていたのかというと、メルカリでめっちゃ稼いでた(笑)商売の才能あると思う、我が子ながらすごいと思っちゃった。もらったお小遣いやお年玉で、推しのアクキーを買ったりして、それをいくらなら売れるか、どこなら売れるか、市場調査(?)して、取引に必要なお客様への敬語とかも調べて(笑)、値決めも相場見ながら上げたり下げたりしてて。こういうのって、自分で調べたりするから身になるわけで。売れないときはなぜ売れないのか、売れたときはなぜ売れたのか、分析して次に繋げる。お小遣いの範囲だったけど、まじで勉強になるから、やった方がいい、不登校児は全員!なんてね(笑)スマホピコピコしてんなー、中毒かよーとか思ったこともあったけど、娘は商いしてたんだね。少しも無駄な時間なんてなかったわけだ!

その他にも、家事は結構引き受けてくれてたなぁ。洗濯物を畳んでしまうとか、夕飯にご飯炊いて味噌汁作ったりとか。もちろん昼ごはんは自分で好きなものを作って食べていたし。振り返れば、生活する術を身に着けたのも、不登校していたおかげ?なのかも??娘は料理上手だと思うし、何より手際が良いと、見ていて思う。料理は効率だからね。私も、働いていたし手をかけた料理は作れなかったかもしれないけど、温かいものは温かく、料理し終わったときには流し台はきれいな状態で、食卓に着くってのは出来ていたと思う。うちの母もそういう人だったから、それで学んだのかも。

そう思うとだよ、学校って何を教えてくれるんだ?って話。これ言っちゃうと元も子もないけど(笑)もちろん、教えてもらえることはたーくさんあります。生きていくのに必要なこともたくさん学べる。けど。だよ。。。

世の中に出て、自分で生活するためには、自立するためには、自分のことは自分で出来るようになっといたほうがいいわけで。。となると、テストで良い点とっていい学校行ってという、そもそものお勉強も大事だけど、生きていくために身に着けておいたほうがいいことって、どこで学ぶんだろう?そういう学校は、例えば昔の「花嫁学校」みたいなことになってしまうの??でも、それって男の人はどうなん?今どき、男でも、女でも、1人の人として生きていくってことが大事なわけじゃん?だとしたら、そういう生活する知恵みたいなものは、どこで学ぶわけ?家庭??親が教えるの?勝手に身につくものなの??まさか、全て出来て当たり前ってことで、世の中に出るわけじゃないよね…?まあ、失敗しながら、試行錯誤しながら、になると思うけれども。生活するってこういうことだよ、みたいなことを、新社会人に教えたいよねー。

息子が一人暮らしする時に、よくよく伝えたのは、「ゴミ」はちゃんと捨てろってことだった。あとは、風呂の換気扇は回しておけ。生活するって、親と暮らしていたときには見えなかった細々したことの繰り返しなわけで。例えば、トイレットペーパーのストックが無いとか。ゴミ箱にゴミ袋かけるの面倒だなとか。しかも一回ゴミの日逃すと、結構ゴミ屋敷になっちゃうなとか、冷蔵庫って臭うなとか。洗濯物って、洗濯機に入れたら、干さなきゃいけなくて、その後、取り込んで、畳んで、タンスにしまわなきゃいけないんだなとか。パンツや靴下が、勝手にタンスの中にきれいにしまわれていることはもう無いんだなって、わかった時に初めて親や誰かの存在にマジでありがとうって思えるような気がするな。

これを知っているか、知らないかの差は、今後誰かと暮らす時の支えになったりすると思う。もちろん1人でも生きていけるけど、誰かと暮らしたくなったら、それはおんぶにだっこじゃなくて、それぞれの自立の上に成り立つものであってほしい。嫁だから、とか、旦那だから、とか。言ってる場合じゃねーんだよ、って話。そんでもって、自分のことは自分でする、が基本。お互い出来るけど、補い合う&寄り添う気持ち、みたいなもので家庭は回っていくのかなと。

ま、何の話だよってことなんですが(笑)生活を学ぶってどこで教わるのかなって疑問でした。もし私で良ければお教えしますよ、ええ、もちろんスパルタ合宿になるでしょうね…。ふふふ。

今年度は、対面授業が戻ってきて、週4日通学している娘。今日の帰りは、わたしのお友達のコーヒーショップに立ち寄り、その後スーパーで今夜の食材を調達してくるそう。

子どもがいない日中って、こんなに静かなのね、と、1人コーヒーを飲みながら読書にふけるわたしなのでした。

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