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お と う さ ん

6月の第三日曜日は父の日だそうで。
もう、モノは何もいらないであろう我が父に対し、
私はメッセージカードを用意しておいた。
書いて、あとは切手を貼って投函するだけ…にしておいたのに、
その週の土日は、朝から晩までバタついていた。なので、
月曜日…は起き上がれず。火曜日にやっと出しに行けた。
すると郵便局の若い女性職員に
「いわきって東京ですか?」と聞かれ、
「あー、福島県ですよ」と言ったら、
「それじゃあ2~3日かかりますね」と。
うん。いろいろ「はにゃ??」って思ったけども。
ま、さておき。

うちの子どもたちは、私がメッセージカードを書いている時に、
「わたしもパパにだそうかなー」とか言っていた。
私にとっては夫なので、そこは、お膳立てしてやる必要もなかろう、と思い、放っておいた。
子どもたちが小さい頃、幼稚園で父の日、母の日に、絵を書いてくれたり、それをマグカップに焼き付けたものを持って帰ってきたりしたなぁと、思い出した。今でも飾ってある。そういう思い出の品は、私にとって昨日のことのように鮮明に思い出せるのだけれど、子どもたちに聞いてみると、全然覚えてない。。。そんなもんだ。

父といえば、結婚すると父は2人になる。
実父と、義父だ。

夫は幼少期に親が離婚したので、私にはずっと義父という存在はなかった。が、その義父と初対面した時のことを書こうと思う。

夫が小学4年生の頃、両親が離婚したそうだ。子どもたち2人(夫とその兄)は、母親が引き取ることにしたのだが、年に数回(例えば夏休みや冬休みに)父親の元へ遊びに行くということで取り決めしたらしい。
しばらくして、父親が「子どもたちがいなくて寂しい、どちらかを引き取らせてくれ」ということで、お兄さんは父親の元へ。夫は母親の元に残った。その後も毎年会いに行けたのだが、中学2年生の頃、お父さんに新しい奥さんが出来た。そこに子どもが生まれた。そのあたりから、行き来がなくなっていき、かれこれ20年近く会わずに過ごしてきた。

ひょんなことから6年前、夫が自分のルーツを知りたいということになり、家族旅行を計画した。行き先は父方のお墓がある鹿児島。幼少期おじいちゃんやおばあちゃんの家に何度も遊びにいった記憶もあるという。子どもたちにも桜島を見せたいとかなんとか。そうだね、ご先祖様のお墓参りも兼ねて、行ってみようかとなった。その旅行に夫の母親も誘い、いざ鹿児島へ。
レンタカーを借りて、夫の記憶を頼りにおじいちゃんの家があった辺りへ。残念ながら家はもう無くなっていたが、そこから、またまた記憶を頼りにお墓を探して、無事にお墓参りを済ませることが出来た。桜島が見えるところにある共同墓地?は、立派なところで、おじいちゃんという人は共同墓地を作る時に尽力されたようで、説明書きの石に、名前が刻まれていた。
そこで夫がおじいちゃんの名前を間違って覚えていたことが判明。おじいちゃんは漁師だったそうで、よく釣りに連れて行ってくれたから「つりきち」だと思っていたそうな。本当は「鶴吉(つるきち)」さんでした。(苦笑)お墓に刻まれた家紋も見ることが出来て、同じ漢字の名字の人もいっぱいいて、あー、ここがホームなのね~と、妙に納得。。。
そして、ココから。なんとなんと、近くに親戚が住んでいたことを母親が思い出し、そこに行ったら親戚のおばちゃんに会えて。そこから父親の勤め先を教えてもらい、連絡したら折り返しの電話が来て。。。
あれよあれよという間に、その晩、宿泊先のホテルのロビーで、会うことが出来たのだ。
その時の夫の第一声。

「お父さん、会いたかった」

初めて聞いた夫が発する本当の「お父さん」は、こんなにも優しく、こんなにも穏やかで、愛というより他になんて表現したら良いのかわからないくらい深いもので。
私はそれまで、夫が発する「おとうさん」は、私の父に向けられた「お義父さん」でしかなかったことに、気づきもしなかった。彼の本当の「お父さん」は、いま、この場での「お父さん」でしかないのだ。
頭をガツンと殴られたような気がした。夫をわかっていたようで、何もわかっていなかった。小さい頃から呼んできた「お父さん」と、結婚してからの「お義父さん」どちらも親に変わりはないが、やっぱり違う。
ずっと呼びたかったであろう「お父さん」。
もしかしたら、お父さんからオヤジになって、喧嘩したりしていたかもしれない。叱られてもいいから、そばに居てほしかった時期も、相談したいことも、たくさんあったことだろう。
自分が親になった時に、初めて親の気持ちがわかるというけれど、夫は、どんな想いで我が子を抱いたんだろう。そして、それをどれだけお父さんに伝えたかったことだろう。

俺は元気でやってるよ、そっちはどう?痩せたんじゃない?体は大丈夫??なんて言葉を交わしながら、思い出したように、私と子どもたちを紹介。私も、初めて会うので緊張したけど、第一印象が「似てる…!」だったので、やっぱり親子なんだなぁとしみじみ。。。
子ども達は、突然目の前のおじさんが「この人がおじいちゃんだよ」と言われて「きょとーーん」って感じ。ま、仕方ない。
そこから、連絡先を交換したり、次の日も、車でまちなかを案内してくれるということになったりして、会えなかった時間を少しでも埋めるように、話は尽きないのだった。
今回、お父さんが何故来てくれたのか、というと、ちょうど奥様が娘さんのところに行っていて不在だったから、だそうで。居たら会えなかったのかな。居ても来てくれてたのかな。そうであってほしい。

大人の都合とはいえ、父親についていったほう、母親についていったほう、それぞれの道があったわけだが、どこかで選択が違っていたら、私と夫は出会わなかったわけで。そうなると、全てが、その時々で出来うる最善の選択をしていたんだと、いうことになる。
色々と思うところはあるけれど、例え別々の道を歩むことになったとしても、子供に対しての、親の責任は変わらないわけで。子どものためなら、自分を一旦脇に置ける親で居たいなと思った。

自分の親を「お父さん」「お母さん」と、あと何度呼びかけることができるのだろう?子どもが出来れば「おじいちゃん」「おばあちゃん」に呼び方が変わっていったりするからだ。純粋に「お父さん、お母さん」と、呼んだのは、いつだったかな…。

この前、娘に「ママは小さい頃、おじいちゃんたちのことをなんて呼んでた?」と聞かれて、
「パパちゃん、ママちゃん」と答えた。
「ぎゃはは!変なの!」と言われたが、この理由は、はっきり覚えている。
私は3人兄弟の末っ子なのだが、「おにいちゃん、おねえちゃん」と上の2人を呼ぶので、他の家族にも「ちゃん付け」をしないといけないと思っていたからだ。
なので「パパ」にも「ちゃん付け」、「ママ」にも「ちゃん付け」だったのである。小さいながらも周りをよく見て気遣いのできる子どもであったのだ、と、我ながら未だにその性格を引きずっている自分に、あっぱれと思う反面、トホホと感じる今日この頃なのであった。おしまい。


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