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フェルデンクライスのジャズ的関わり

「フェルデンクライスメソッドには正解がない」とよく言われる。

それは、このメソッドの関わりがジャズ的であるからだ。

レッスンのスクリプトはコードやメロディラインが載ったスコアに似ている。そのエッセンスや戦略を理解しているのならば、スクリプトはいらない。

参加者の反応をみながら進行やテンポを変えていく(zoomでは相手の一部しかみえないので、画面から気配を感じながら行うことが多い)。

途中に仕掛けがあり、ゆらぎもあり進んでいく。

なのでフェルデンクライスは同じ内容のレッスンでも違うものになっていく。スタンダードナンバーでも、演者や場によって違った印象になるのと同じだと思う。

その探索の中では、いつもと違う「からだ」の感覚を発見し、それに浸り、「そういうこどだったのか!」というエウレカ体験もある。もちろんいい時もあれば、期待と違う時もあったりする。

先日のレッスンの時、「体は軽くなって、膝を抱えるのも楽になった。けど途中で膝を動かしていく方向がこれであっているのかわからなかった」と参加者が言っていた。

レッスン中わたしは、迷いのような膝の動かし方を探索する様子をキャッチした。それは、自分の「からだ」という楽器で新しいフレーズをみつけていくようにみえた。

正しいことを正しくやるだけならば、それを「あなた」がやる必要はない。

わたしは、予定としていたものとは違う言葉を選び反応をみる。なかなかスリリングだ。

その場にいる人たちが、お互いの信頼の中で、意外性や創造性を発見し楽しむプロセスがここにはある。

その前提としての、自分の「からだ」への信頼。

それがあれば世界はもっとよくなるだろう。

そういう時間をこれからも作っていきたい。


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