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夢や目標がなくても、私は何モノ?

辛抱強く努力しているのに、夢や目標になかなか叶わない時、自分の才能や能力などに腹を立て、嫌になったことはありませんか?

私は山ほど。
そして今も絶賛、そんな感情を味わっている最中です。

今日はそんな自分に、そしてあなたにエールを送りたくてnoteを開きました。



でもしかし…

他人に夢や目標を公言した場合は尚更引けなくて、

− 〇〇にならなくちゃ、意味がない!
− 〇〇を叶えなくちゃ、認められない!!

などと勝手に自分自身にプレッシャーを与え、苦しんでいる状況。

でも、夢や目標は勝手に自分で決めたこと。
夢や目標を叶えても、叶えなくても、他人は全く困らない。

それどころか、「あなたが笑顔で幸せでないことの方が気になって仕方がない」。

本当にあなたのことを大切に思っている人であれば、そう思っているはずです。

それなのになぜか、悩み苦しむ状態に依存していることはないでしょうか?

努力、根性、自己犠牲!

が目標や夢を叶える通過儀礼ではないのに、そんな沼に自らハマっていることにも気づかず、それがまるで美徳とばかりにウットリしていることさえ。

わたしにとって夢や目標を追う過程は、いつも苦痛が伴うものでした。
でも、考えてみたんです。

そもそも、夢や目標を持ったのは何故だろう、と。

そしてわかったのは、
夢や目標に向う行為そのものが楽しいから。
そして、「幸せになりたいから」という理由でした。

それなのに、夢や目標を持ったせいで行為そのものに対し苦痛を感じ、苦悩し、不幸せになっている。

それって、とってもおかしな話です。


そこで……


わたしはある日、長年努力し続けた夢や目標を手放してみることにしました。

「私はやってみせる!!!」と家族や友人、恋人や知り合いにも公言し、お金や時間を掛け努力し続けた夢や目標を手放す、諦めることは、私にとってそれはそれは苦しい行為でした。

夢や目標が自分のアイデンティティの一つだったから。
それらが無くなってしまったら、わたしは、何者でもなくなってしまう。

そんな喪失感や恐怖さえ襲ってきました。

夢や目標は、わたしにとって大切な肩書きだったからです。

でも仕方ありません。

私が長年憧れ続けた「心と身体に気持ち良いこと」をするためには、夢や目標さえ取っ払い、何者でもない自分を曝け出す勇気が必要だとわかったからです。

今まで「自分」になるために身につけた洋服やアクセサリー、靴や化粧品、学校、職業、資格、知識、常識、正解、言葉、優しさ、強さ、女性らしさ、男性らしさも一つずつ、脱ぎ捨てる。

その代わりに「したいこと」を自分に許していきました。

ペットなどと楽しく、リラックスする時間を過ごし、旅に出て、沢山の本を読み、経験したかったこと、体験したかったことを徹底的に自分にさせてあげる。
どんな欲も受け止めて、やりたいことは出来る限りさせてあげました。

その間、夢や目標を追いかけるのは一切停止。
わたしを蝕み、苦しめるだけだからです。

嘘はもう、付きたくない。
心と体に、気持ち良いことがしたい。

そして、幸せになりたい。

何者でもない。ただ幸せになりたい自分を受け入れるのは、とても辛かったけれど、最初からわたしは何者でもなかったし、これからも何者でもないことがわかったら、とても気が楽になりました。

そしてやっと、息が深く吸えるようになった。

世界や社会、誰かのためでもない。

ただ、したいから、やりたいからしている。
たったそれだけ。

子供でも出来る、たったそれだけのことをするのに、どれだけの時間と勇気と理由が必要だったのでしょう。

沢山の「自分」を脱ぎ捨てて真っ裸になったわたしの身体の奥からは、今まで感じたことのない野生エネルギーが溢れてきました。

そして気が付いた。
わたしが求め、表現したいことは「楽しい」とか「ワクワク」だけじゃ物足りない。
苦痛や苦悩やストレスを超えた先にあるエクスタシーだってことに。

わたしが決めつけた「自分」という壁を乗り越え、一つずつ脱皮していく行為はどれも苦痛や恐怖、恥などを伴っていましたが、それらを含めた全てが愛おしい時間の連続でした。

数時間、数週間、数年間。
やってもやっても終わらない。叶わない。評価されない。
けど、自分の心と身体を掴んで離さないその行為に没頭する日々に意味はなく、ただ、私が満たされていくだけの時間です。

そして気が付いた時には、夢や目標がわたしの肩にチョコンと止まっていました。

でももう、わたしは夢や目標を捕まえようとは思いません。

わたしはしたいことをするだけで、夢や目標はそんなわたしにしか懐いてくれない、近づいてもくれないことに気づいたからです。

夢や目標を追いかける時、苦痛を伴うこともあると思う。
でも、それらも含めて、本当にあなたがやりたい、したいことであるなら、辛抱強く、やるしかないと思う。

その行為そのものに恋をして、楽しむことを忘れずに。

目標や夢があっても、なくっても。
何者でなくても、あったとしても。

あなたを幸せにするのも、不幸せにするのも、あなた以外、いないのだから。

今週も素敵な一週間になりますように。
いや、違うな。

楽しい一週間に、していきましょう!


***

ここまで読んでいただきありがとうございます。詢川華子と申します。

私は今、embraceというコミュニティを通じ、学び、成長し、本当にしたかったことや見たい世界を広げる時間と場所を創造しているところです。

そして、その鍵を握っているのが、自分の素直な気持ちを言葉にして「書く」ことだと思っています。

セックスと同じように、言葉は暴力にも、愛にも変わります。

どのような意図でその行為をするのか。したのか。
どのような意図でその言葉を使うのか。使ったのか。

日々、あなたが選択した言葉によって、あなたの人生が創られていることに気が付くと、言葉に染み付いた自分の思考のクセ、思い込みに気付くことがあります。

今回書かせて頂いた通り、私は思い込みが非常に強い人間でした。
でも、新しい出会いや言葉を知り、今までとは違った選択が出来るようになったことで人生が思わぬ方向へどんどん変化していきました。

そして、その思い込みの根本にあるのが「女性」、「男性」といった生物学的、文化的な性やセックスに対する強くて根深い思い込みに気づいたら、人生が軽く、楽しくなりました。

キャリア、収入、恋愛、パートナーシップ、家族関係、ボディ・イメージなどなど、あらゆるものに対して存在する「女性なら(男性なら)こうあらねば!!!」の思い込み。

でも、性とかもう、関係ない!!

自分がしたい!と思ったことを素直に表現し、行動していこうと決めたら、人生が少しずつ好転していきました。

そのことを身を持って知ったことが大きな原動力となり、数年前には信じられなかった「今」を生きています。

性は、男性、女性という生物的な意味だけでなく、男性的、女性らしさなど文化的、社会的な意味や性的趣向、セックスなども含み、とっても興味深いテーマです。

そして、それらの背景をたっぷり含んだ言葉や思考に気付くと、世界が、人生が思わぬ方向に変化していく。

そのことを、少しでも多くの人と分かち合いたいと思っています。

表現する、創造するって、本当に凄いパワーを秘めています。
私はライフワークとしてやってきた「書く」を通し、自分を表現し、解放して、これからも見たい世界を創っていこうと思っています。


私が主催しているembraceでは書く、ジャーナリングやセクシャルウェルネス講座を通し、そんな経験や時間を提供しています。

人生は、あなたの言葉で変化する🌎✨


あなたが新しい言葉を見つけ、人生の選択を広げるお手伝いをさせていただけたら嬉しいです^^


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「性、ジェンダーを通して自分を知る。世界を知る」をテーマに発信しています^^ 明るく、楽しく健康的に。 わたし達の性を語ろう〜✨