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相手の「問題」と、わたしの問題。

わたしは以前、ポルノ依存症の男性とお付き合いしたことがあるのですが、「お付き合いした」と過去形にしたのは、お別れしたから。

ポルノ依存症が「問題」で別れたと問われればイエス! ですが、その本質を問われればノーとなります。

身体的なコミュニケーションが取れなくなるほどポルノに依存している彼の行動は確かに問題でした。

しかし、ポルノ依存症だろうが、なんだろうが、わたしにとって一番の問題は彼と健全なコミュニケーションや関係を構築できなかったことです。

しかし、ポルノに依存することで日頃のストレスや現実から目を逸らしてきた彼にとっては問題は存在していなかった。AV視聴は日頃の習慣であり快楽で娯楽。

いや!

それ以上の行為だったと思っています。

依存症に関しては色々な理由や原因が考えられます。
しかし、彼にとってポルノに依存する行為は、日々のストレスから逃れ、生き延びる術だった。ある意味、生存戦略の一つだったのではないだろうかとわたしは思っています。

であれば、他人のわたしが彼の生きる術を問題視し、解決しようと苦しむことこそ問題なのではないか? と思ったわけです。

彼のことが嫌いになった訳ではなく、むしろ好きでした。
でも、彼と一緒にいて、彼の「問題」解決に励む自分がほとほと嫌になったのです。

思い起こせば、わたしは人や場所をいくら変えても、同じことを繰り返しておりました。

せっかく旅に出ても、その国の問題点を見つけ、話を聞いたり、本を読んだり、写真に撮ったり。

夢の国に行っても、ミッ○ーマウスの一番人間っぽい(黒ストッキングに覆われた足や腕関節の動き)部分を見つめたり、給料体系を調べたり、休憩室で愚痴を言っているキャストの様子を想像したり。

よく考えたら、いつも「問題」を見つけては、解決しようとしてばかり。

人の不幸や粗探しばかりして、全然人生を楽しんでいなかったことに良い加減気がついた。

わたしにとって恋愛や人間関係も同じで、世界にはこんなにも沢山の人が生きているのに、私が選ぶのは自分を満たすことが出来ない「問題」を抱えた人たちばかり。

その理由には、他人の問題を解決することで、自分自身の問題から目を背けていられるというわたしにとってのメリットがあったからです。

自分が誰かの役に立つことで(実は何も役に立っていない😂)、生きる意味や自尊心を埋められる、実感できるというメリット。

問題を抱える彼には自分しかいない!
そして、問題だらけの人間と付き合うことで、何らかの優越感に浸っていたことを、わたしはここで認めたいと思います。

自己肯定感の低かったわたしは、他人を使って自分の寂しさや問題から目を背けることに必死でした。

今思えば、本当に失礼なお話し。

合わなければ、放っておけばいい。

好きか、嫌いか。
快か、不快か。

不幸せだと思う、感じる関係性や環境にしがみつく必要はなく、自分にとって幸せな選択をすれば良かった。

そんなシンプルな話なのに、わたしは病的なまでに問題のある男性や人間を見つけては、それを解決するために時間とエネルギーを使っていました。

世界中を駆け周り「どうして世界は平和にならないんだ!!!」と悩み、苦しみ、問題解決しようとしてきたわたしが、やっと見つけた一番解決すべき問題。

それは、自分自身の中にあったというオチ。

そして、恐る恐る「問題」だらけの自分自身の心の渇望や欲を覗いてみたら、欲の塊がマグマのように煮えたぎっていたんです。

アレも欲しい。コレも欲しい。
コレもしたい。アレもしたい。


それは、ずっと良い人、普通の人を演じてきたわたしには目を逸らしたい光景で、認めたくないことばかりでした。

自分の欲を優先させることは、良い人を演じ続けてきた当時のわたしにとって罪で、恥ずかしく、許せざる得ないことでした。

本当は誰よりも強欲で、意地っ張りで、プライドが高くて、嫌なヤツ。

自分の汚い部分や嫌だと思っていることを認め、許す行為、認めるということは、からだと心が引きちぎられる様な痛みを感じるため、どうしても、なにがなんでも逃げたかった。無視したかった。

だから、自分より問題のある(と、勝手に決めつけていた)相手と付き合うことで、自分の弱さや汚さから逃れてきました。

でも、今まで付いてきた沢山の嘘や偽善の理由を考えた時、出てきた答えはとってもシンプルだったことに気づきました。



愛されたかった。



このことに尽きました。
愛おしいほどに愛されたかったから嘘を付いてきたんです。演じてきたんです。いい女でいたかったんです。
わたし。

でも、身体の奥で燃えたぎるのは

どんなに汚くても、愛して欲しい。
どんなに醜くても、愛して欲しい。
どんなにグチャグチャでも、愛して欲しい。

そんな欲望でした。

わたしの問題は、全身全霊で訴えていた自分の心と身体を無視していたことから始まっていました。

相手を変えるとか、環境を変えるとか。
そんなことをして逃げて、逃げて、逃げてきたわたしが今すべきことは、自分で自分を受け留め、抱きしめること。

小さな一歩から少しずつ歩むその道のりは孤独と寂しさが唯一の友達で、彼らを笑顔にすることが、親友であり、パートナーのわたしの役目だと思いました。

どんなあなたでも大丈夫だよ。
大切に思っているよ。
愛しているんだよ。

たったそれだけを伝えるのに、散々わたしから無視され続けた心と身体が信じてくれるまで時間が掛かりました。

どうやったら伝わるんだろう。
どうしたらもっと信じてくれるようになるんだろう。

自分のことなのに、自分のことだからこそわからない。

心と身体の声を聞き、進んだり、止まったり、後退したり。

そんなことを繰り返して、わたしは遂に自分の中のラスボスと向き合うことになるのでした。

どうしても認めたくなかった、見たくなかった性、ジェンダーのこと。

でも、そんな自分の性を認めたら?
許したら?

どうなったと思いますか?

それは、わたしが自分の人生を通して証明しているところです。

あなたの問題は、あなたのもの。
わたしの問題は、わたしのもの。

そこから何を感じ、学び、成長に繋げるのか。
それは、すべて自分の選択にかかっているのだと思います。



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