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全方位に価値なし

長男・次男の卒業式の一週間前
娘とショッピングモールにいた
友達と公園に遊びに行くときの小さめのショルダーバッグが欲しいんだと聞いて見に行ったのだった

お好みのバッグが見つかってめでたしめでたし

ついでに私の洋服も見たいな〜と買う予定なくお店に入った

そこで目にしたのが雑誌で見かけたことのある、今年っぽい、少しラフでおっしゃれーなセレモニー服だった。

素敵ー
これを着て卒業式に行けたらいいなぁと思った。

お値段は?
ブラウスにジレ、パンツで5万円は軽く超える
かなりの出費だ

でも頑張れば買えなくはないなぁ

最初にいいなぁ!と思った直感を諦めるのって
いつもの悪い癖じゃない?

でも私には5年前、当時熱望して買ったツイードのスーツがあるよ
自分が欲しくて買ったのに、もう見捨てるわけ?

いや、でも5年って結構経ってるよな・・もう5年も経ったのか。。

やっぱり買ってもいいかもしれない

今の自分の気持ちを採用できなくてどーする!
そのために働いているんじゃないの?

いやでも卒業式・入学式数回のためにその金額出す価値があるのか?

卒業式の主役は私じゃないんだよ
私のことなんて誰も見てねーよ
自意識過剰か

いや自分が嬉しいから着るんでしょ

と頭の中で一人討論が続き

急にどっと落ち込んだ。


自分だけバッグを買ってもらったことが気まずいのか、

「ママも買ったらいいのにー」と悩む私に言う娘。

「うーん でもねー」


「でもねー」の続きはなんだろうか

お母さんに、卒業式でこの服を着る価値はないんだよ

自分が喜ぶために、このお金を出す価値はないんだよ

この服に、この金額の価値はないんだよ

でも欲しいものを買えないなら、働いてる価値もなくない?


と自分だけでなく、
素敵だと思ったその服にまで

全方位に「価値ない」とバツして
落ち込んでいたんだと気づいて

そんな自分に笑えた。


そして価値はないと思って落ち込むなら、
本当は「価値がある」と自分に言ってあげたいんだと気づいた。


私には、価値があるよね

それだけで十分だった。


卒業式、憧れた服を着ているママが何人かいた。

やっぱり、素敵だった。

そして、5年前のスーツを着て今日卒業式にいる自分もとても好きだと思った。



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