怒りに満ちた相手を目の前にして考えたこと
言い合いや喧嘩を、感情爆発ミーティングという名前にしたいと思った。
前書き:タイムリーに起きた今朝の出来事を、感情に乗せて書いてみました。以下から丁寧語でなくなるのはそのためです。ご了承ください。
怒りに満ちた相手を目の前にした時、自分はどう対応すべきか、学びたい。自分の怒りは短期的で人の前で表すより、その場を立ち去り自分で時間と共に昇華して対処する派だと思う。けれど、今回自分が対峙した怒りいっぱいの相手は、目の前で感情を爆発させていた。
これ以上一緒にいると嫌いになってしまう、関係が破綻してしまうと思う。システムコーチングを受けたいくらいだが、きっとその場で狩野城は繕うことをするし、嫌なことを受容してこなかったように見えるので、おそらく一緒に行こうとしてくれなさそうな気もする。いっそ、誕生日プレゼントにしてしまおうかとも思った。そのくらいかなり冷静に物事を捉えられるようになったのは、本当にキャリアデザイン・心理学を学んだ賜物だと思えた。
(ポジウィル認定講座で学びました。勝手にここで宣伝したいくらい(!)、たくさんのことを吸収し続けています。メンタルと感情の受容が上手になりました。)
こういう時、海外の夫婦や家族だったらもっと気軽にカウンセリングへ足を運ぶのにな、と思う。このカルチャーがあればもっと世界は幸せになると思う。
ふと言い合いをしている時、口から出た言葉に自分自身でびっくりした。「〇〇にアンハッピーになってほしくないんだよ」と私は相手に言った。
自分は平和主義だと思っていたが、それを争う相手に、面と向かって言えたことはなかった。ちょっと嬉しい(頭で考えずに感情のままにぶつけられたという意味で)、というのもこの論争中の環境下でおかしい気もするが、自分のwillが出た直球的な場面だった。
みんなが幸せになるために、解決策を話し合いたい、というオファーは結局断られてしまった。彼女の答えは「ムリでしょ、いや無理無理。この感じでこんなんは無理ですよ」という彼女の分厚いフィルターがかかった(と私は感じた)、第三者的視点で冷静になれていない言葉だった。私は本当に解決策はないわけではないので、話し合いをしたかった。
悲しい。私はこの状況をどうしていこうか?
正直、この人に自分の時間と労力をかけて変わってほしいか、と言われるとそうでもない。というのも、一生一緒にいるような相手ではないからだ。ふと考えるのは、パートナーになる人とはしっかり解決策を一緒に考えられたらいいなと思った。
この相手に対して自分は諦めの気持ちが実は95%ある。なので、言いたいことは対面している時間に伝えてしまう。その理由は、彼女はいつも決まってその場を立ち去り、自分の時間を一人で過ごす。そして再び会う頃には怒りが消え去った状態で通常運転で対峙するのがいつものルーティーンとなっているのを知っているからだ。
大人になって喧嘩する相手は限られているかと思うが、こういう話は友人から聞かないのでとても気になるし、自分はどうしたいのか態度を一定して決めたい。相手にこうしてほしい、ではなく自分はこうしよう、と決めたい感覚。
また気が向いたら、これについてのその後を書いてみます。
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