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守護霊様やご先祖様、神様から愛を受け取る簡単な方法

自分を守ってくれる存在の声を聞く

仮に私たちが常日頃から
守護霊様やご先祖様神様といった目に見えないけれども確実
に自分たちを見守ってくれている存在からの
降り注ぐ愛を感じることができたらどうなるのだろう

私はこういった能力をもってそういった存在から
日々愛を感じ

そして愛されているなという実感をもって
安心感、そして不安と恐れから対峙
または自らが安全な場所に避難することができるわけだけれども

もちろん自分の心が汚れており
過去のことをおもんばかったり
先の将来の不安で考え事ばかりしていては
そういうことをができなくなってしまうわけだけれども

ただ日々のお祈りだとか
瞑想だとかという時間のおかげで
本来の自分を取り戻すことができているように思う

そうした時に目には見えないけれど
確実にその光や温かさというものを
感じる瞬間瞬間が日々の中に溶け込んでいるように思う

それはもしかすると日々のささやかなもので
自らがそこに心を意識的にあてていないと見逃してしまうような
ささやかなものかもしれないけれども

それは自分なんか愛されているわけない
というエゴによってだったり
あいつが悪いんだと人のせいにばかりする
ことで心の汚れとして
聞き取れて感じ取れていないだけかもしれない

ただ言えることは
愛されているのはなにも特別な能力があるものだけでは
ないということをお伝えしたい

だってさゆりさんは能力があるし
特別なんでしょう
そういう人はいいですよね
困った時に
神様や守護霊様とコンタクトがとれて
すぐに「答え」を聞けるんですから

そんな声が聞こえてきそうだが
けしてそうではないということも
伝えておきたい

本来私たちは
能力あるなしに関わらず

光の存在としてこの世界に生まれてきているわけであり
ただ、大人になる過程をもって
さまざまな経験をすることで
エゴといった自我が芽生えだしていく

そういった本来の輝きがどんどんと
消え失せていき
日々のこうしなければいならない
だってこうだから
といった頭のルールにばかりに縛られて

そして時間もまた、流れてしまう

なにが自分の人生にとって大切なものなのか
なんのために生まれてきたのかということを
日々、自問自答することなく

ただなんとなく生きているだけではもったいない

もちろん目の前のことを全力でやりきり
そして楽しい人生だったと言えれば
それは別にスピリチュアルなことを信じなくたって
素晴らしい人生を歩んでいけると思う

ただ私はこういった目の見えない世界と溶け合ったような
世界で日々を生きていて思うのはやはり
人間には、だれかからの愛がないと強くは生きられないという
ことなのではないかなと思う

人は皆、親から恋人から友達から会社の人から近所の人から
自分の所属するコミュニテティーの人から
少なからず好かれたい
必要とされたいと思っている
欲であるからなにも不思議なことではけしてない

ただそういった自分の心でさえも
日々安住しないのに
人からそういった安定的ではない
愛情を日々もらうことに
力を注いだとしてもとても労力が要するものだとも思う

そうではなくて、より大我の愛、自分自身をそのまま
ありのまま認め受け入れてくれる存在が
常に他にいて、その愛の存在達が一人ではなくて
たくさんいて
そしてその愛の存在達がくれる愛というものが
人智を超えるような大きな大きな愛

なにか自分に起こったりした時でさえも
揺るがない愛だと人が気が付くことができたら
私はこの世界の常識が変わってしまうように思う

それは国や信仰している宗教によって違うかもれないけれども
なにも熱心な信仰をしろということではない

ただ自分を見守る存在が
みんなにいて
愛されていない人が一人もいないということを
前提に考えたときに

みんながその意識を持って
ご先祖様や守護霊様や神様に対して
ありがとうと自らが心を傾けられたならば
それは大変素晴らしい気づき
そして、そういった愛の存在からの
メッセージを受け入れる
第一歩になるのかと思う

わかりやすく言えば

ほしいと望めば、必ず飴玉をくれる人がいて
そして欲しい人は欲しい分だけもらってかまわない状況で
素直な人は欲しいからもらえる人のところにいって
ありがとうと受け取れる

ただ、そうではなくて
「私になんかくれるわけない」
「私がもらっていいわけがない」という思い込みや
すねた心でいる人は、もらいにいかないどころか
その存在すらも否定してしまうかもしれないということ

またそのくれる人が自らの場所に訪れて
あなたもほしいんだよね

「どうぞ」
と差し出してくれたとしても
その人は、「ばかな、」と思って
自らが「いらない」「欲しくない」と言うかもれないし
それには「毒があるのでは?」と疑うことも
あるかもしれない

こういったことが
守護霊様や神様の世界ではごくごく日常的に
起こっているような気がしてくる

私自身は、やはり愛を受け取りたい
そして皆そう感じるはずだと思う

それであれば心を開いて
「私に愛をください」

その代わりに素直な心
愛を受け取れる状態でいなければいけない

与える側としても「みんなに与えるよ」
でも気が付いてくれない人には
与えても感謝されないどころか
自分の手柄とさえ思うものもいるかもしれない

それでなくて、何事においても
成功しても失敗したとしても
日頃から自分を守ってくれる存在に対して
『ありがとうございます。
今日も何事もなく無事に過ごすことができました』と
挨拶することは大変良いことではないかと思う

実際に、神様や守護霊様に愛されている
人としては

素直であること
愛を受け取り上手であること

があげられるように感じる

いろいろと述べてしまったけれども

私の実体験、日々の生活において感じることとして

みんなが守られていて、愛されている

それを実感として日々生活ができたら

なんてすばらしいのか
もっと生きやすさを感じ

恐れや不安といったものから
自分を遠ざけることができたり
自分を守る方法や
自分を大切にできたり
人を大切にできたり

また、人から愛をもらおうと
必死にならなくてもいい生き方が
できたら、自らのもらった愛を
人に自然に返していくことができる

そんな世の中になれば素晴らしいなと思った次第だ。

日々の生活においてほんのすこしでもいいので
守ってくれる存在に感謝を伝えること
そして必ずその思いが愛の存在に届いているということ

心をまっすぐにお祈りすることで邪心がなくなり
きっとその愛が感じられること思う。

それはかすかな肩に触れられるような温かさかもしれない
心から湧き上がる光かもしれない

それは、言葉として聞けるメッセージではないかもしれないけれども、
それでも、必ず、あなたが受け取りたいと思えば、
少しの時間でいいその受け取る時間、間を設けてもらいたい

ほんの少し、あなたが話したあとに

愛の存在が話をする時間
あなたが受け取る時間を作ってもらうだけで
いい

それは、目の前にいる人と話をすれば
誰しも自然にやることと思う

自分ばかりが一方的に話を済ませて
立ち去られてしまうならば
その相手の話を受け取ることができない

そういう意味において
一度神社の参拝にしろ
仏様に手を合わせるにしろ
仏壇を拝むにしろ

その時間を少しでもいいのでもうけて
もらいたい

「私はそういうの全然わからないから」
という人ほどそもそもが、わかろうと
受け取ろうとする姿勢がない人であったりする

ほんの少しでいいので

自分を守ってくれる人たちとの
対話だと思って
自分だけ話をするのではなくて
そのメッセージを受けとる
間を設けてみてほしい。

ほんの少し、自分にはそういう存在がいてくれる
と意識して生活をすることは
確実にあなたが、愛を受け取りやすくなる一歩につながって
くると思う。


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