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言葉はいつだって自分を形創る

プロフィール写真を撮ってもらった。
作家としての宣材でもなく、友達との遊んだ記録でもなく、私のための私の写真を撮ってもらった。そんな記録。

🤍撮ってくれた人
曙玲奈/れいちぇる|自分を好きになりたい女性のためのカメラマン
私にとって写真は、自分を好きになれない人に「あなたは素敵だよ」と伝えるツールの1つです。長い間外見のコンプレックスに悩んだ経験から、自分を好きになりたい女性のお守りになるような写真を届けています。

▼インスタグラム @reicheru_weddingphotographer
▼ホームページ https://tinkj13s.wixsite.com/my-site


積み重なった他人からの否定の言葉

私は、写真に撮られるのが苦手だ。
しかし理由としてよく挙がる「自分の容姿が嫌い」というわけではない。(もうちょっと目がおっきければいいな〜みたいな願望は人並みにありますが)特大のコンプレックスがあるわけでもない。でも、生きてきた中でいつの間にか積み重なってきた他人からの否定で、自分のことが好きって自信を持って言えなくなっていた。だから、写真を撮られることに抵抗があった。


なにが始まりだったのだろうと考えると、小学生の時に言われた“ぶりっこ”だと思う。よくある揶揄いだ。そこで「かわいい」を纏うのが怖くなった。
ふたつめは、高校生の時の“もったいない”だと思う。同級生に「あなたは元の素材がいいのに努力してないから勿体無い」と言われたのだ。その場は笑って過ごしたが、この一言で明確にポッキリ折れたものがあった。
とどめは20代の“まず痩せろ”だと思う。なんやかんやあり、その頃は舞台に立って芝居をしていた。今の私より、ひと回りぐらい痩せてたと思うが、それでも周りのみんなは更にひとまわり細く、私の努力が足りてないと言われればそれまでだった。

確かに私は自分の容姿を磨くことを人生で一番重要な事項にした事がない。
創作を言い訳に使いたくはないが、ものづくりに熱中すると何よりもそれが一番になってしまい、睡眠も食事も身なりも疎かになってしまうことがままある。
それでも私はどこかで「かわいくなりたい」という想いを捨てきれなくて、でも毎日それにリソースを割けないもどかしさもあって、その狭間で向けられた言葉たちに串刺しにされてしまった。いっそ割り切れたら良かったなといつも思う。

私は私のことを好きだと思って良いのかわからなくなっていった。
こんなに否定される自分の容姿を愛して良いのだろうか。

全ては“些細な”否定の言葉だったのかもしれない。
だけど私の中でそれは少しずつ少しずつ積み重なって、自分の形を歪ませていったのだ。


私のために努力してみる

首都圏から人口5400人の町に移住して、人と比べることが少なくなった。
元々、他人の容姿と比べて「落ち込む」とかは特になかったんだけど、「痩せねばならない」「私は"かわいい"わけではない」というのは無意識に刷り込まれていたな、と今になって思う。

誰とも比べられないから、私がなりたい私に、私のペースでなっていこう。
そんな時に出会ったのがれいちぇるちゃんだった。

初対面からキュートな子だなと思っていたから、インスタを交換して投稿を読んでいて驚いた。自分の容姿に対する経験をもとに「あなたは素敵だよ」と思えるような写真を撮る。なんて素敵なコンセプトだろうと思った。

『めっっっっちゃ可愛いから見てください!』
わあっ。
画面に映った自分は、"自分なのに"可愛かった。
『見てください!私は横顔も好きです!』
自分の横顔がいいなんて思ったことがなかった。
だけど、この写真の私は綺麗だ。

不思議だし、恥ずかしいけど
ここには私とカメラマンさんしかいなくて
私だけがモデルで
私のことを可愛いと本気で言ってくれるカメラマンさんがいて
この時間だけは自分のことを可愛いって思ってもいい気がした。

受け取った写真は紛れもなく私なんだけど、
写真に映っている私はまるでモデルだ。
なんだ、私って可愛かったんだ。

れいちぇるちゃんのインスタより引用

こんな思いが、本当にできるんだろうか。
やってみたいなと思った瞬間にはプロフィールの撮影をお願いしていた。


撮影の2週間前ぐらいから少しだけ運動を倍に増やしたり食事制限をした。
誰に痩せろと言われたわけでもなく、せっかくならもう少し納得のいく姿で撮ってもらいたい、出来るだけのベストを尽くしたい。そういう気持ちだった。

年末に友人からもらったジェルネイルセットで、大好きな赤みの強いピンクでグラデーションのネイルをした。爪がかわいい。それだけで嬉しい。中学生の時からほぼ欠かさずにフットネイルを続けてきた。「ネイル、好きだよね?」ってプレゼントされたそれは、友人にとっては何気ないものだったかもしれない。でも私は嬉しかった。私が好きなもの、わかってくれてるんだって思った。

耳にはこの間買ったばかりの少し高めのイヤカフをした。これも今日の撮影のためにお守りのつもりで買った。かわいい。洋服を選ぶのが苦手な私が唯一こだわりをもって買っているもの。

ネイルとイヤリングは、いつだって私のお守りだった。
知ってる人だけ知っている、私だけの、強い女の子でいるためのお守りなのだ。

この日のために切った髪を、ふんわりセットして、帰省したときに買ったかわいいニットを着た。後ろがリボンになってるやつ。今日の撮影がなかったら、かわいいと思っても買わなかったかもしれない。でも、今日は自分が可愛いと思うものを着ていいんだ。そう思って買った。
私が可愛いと思うものを纏って、可愛いものに似合う自分であれと祈りながら、いつもより丁寧にメイクをした。


自分のことを好きって思って良いのかも

撮ってる間、かわいいねって沢山言ってくれるれいちぇるちゃん。
緊張と恥ずかしさでニヤニヤした顔をしてしまってたのだけど、笑わなくても大丈夫って言われた時、なんだか涙が出そうだった。
そう言われて、プロとして真剣に私に向き合ってくれる眼差しをレンズ越しに感じて、私も恥ずかしがっている場合ではないと思った。

私はれいちぇるちゃんの作品の一部。
絶対に"かわいく"撮ってくれるはずだから、大丈夫。

撮り終わって、もしかしたら人生で初めて、自分が写っている写真を見て「いいかも」と思った。嬉しかった。自分の顔が、ということよりも、作品として“良い”ので、“良い”としか思えない。人間の一瞬をこんな風に素敵に切り取れるなんて、すごい。観察力と被写体の魅力的な一瞬を捉える力がれいちぇるちゃんにはあるんだと思った。それって、愛だ。
出来上がってきた"作品"から優しい眼差しを感じた。嘘偽りなくかわいいと言ってくれていたんだと思った。
そういう瞬間をちゃんと切り取ってくれていたから信じれた。

私は6月に移住してこのまちにやってきた。
少しだけわかってきたけど、まだまだ知らない町。
よく、住んでみての印象を聞かれる。
私は慎重に答えるようにしている。
住民の印象はそのまちを形作っていくと思うからだ。
それに私は私が見た町の印象しか話せない。

人間だって、そうで。
自分や他人の言葉によって形作られていく。
知っているようで、全然わからない自分。

“どの角度から見てもかわいい”ではないのかもしれないけど、私にだって“そういう瞬間がある”というのが客観的に知れただけでだいぶ気持ちが楽になった。

「あなたは素敵だ」と伝え続けるれいちぇるちゃんの活動を見ていて、
思えば、最近私は「この世界は苦しいこともあるけど、美しい瞬間がある事を忘れないように描いている」と自分の活動について話している。
世界は見方を変えれば、美しくも醜くもなる。

そうか、そういうことなんだな。
なんだってそうなんだね。

初めて会った時のなんとも形容しがたいシンパシーはこれだったのかもしれない。対象が人間なのか、世界なのか、それは違うけど、根本的なところで何か似たものを感じたのだろうとひとり納得した。

これを書きながらそんなことに気づいて、ふたりでコラボで何か面白いことをやろうと話しているが、絶対に良いものができるだろうと思った。
まだなにも決まってないけど…笑

乞うご期待なのである。

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