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noteに引っ越してきた理由と住み始めての感想など

私は子供の頃から敏感な子で、サバンナの草食動物みたいにビクビクしながら生きてきた。
何か異変があるといち早く察知し、

「なぜみんなはこの異変に気付かないのだろう?」

意地悪な子が現れれば、

「なぜみんなあの子のことが嫌じゃないんだろう?
なぜ仲良く出来るの?」

と不思議でならなかった。

また何かしら理不尽な事があると、同じ目に遭っているのに淡々としている人と誰かに愚痴を言わずにいられない自分を比べては、

「あの子は嫌な目に遭っても、何も言わずに我慢できる偉い子なんだ。
私はこらえ性がないんだ。」

などと考え自己嫌悪に陥っていた。

ところが大人になりHSPHighly Sensitive Person)やAC(アダルトチルドレン)という言葉を知り、こらえ性云々の問題ではないことを知った。

どうやら私は感受性のセンサーが良すぎるHSP気質の持ち主で、入ってくる情報量が人一倍多いらしい。(実際にはHSPACの合併症だと思うが、ややこしくなるので今回ACについては触れません。)

同じ状況にあっても異変や意地悪が気にならない人、理不尽を淡々とやり過ごす人は私より我慢強いわけではなく、私ほどには情報をキャッチしないだけ。
だから吐き出したい衝動に駆られることもないのだ。

それまで自身の不寛容や忍耐力の問題とばかり思っていた私は、目から鱗が落ちた。
この性格を何とかしたいと自己啓発本を読み漁ったり、セラピーに通ったりもしてきたが、生まれつきの気質だったとは。
どうりで何をやっても大して効果がないわけだ。

ならばもう悪あがきはやめ、一生この気質とつき合っていくことにしよう。
そして心の澱が溜まらないよう、思いを吐き出すことだけは続けよう。

そう考え、細々と書いていたブログを止めるつもりでいたのを180度方向転換。
同じようにアウトプットしたい人々が多く集うnoteに引っ越し、書くことを極めてみようと思ったというわけ。

さてnoteというと、既にセルフブランディングが確立している人向けのツールというイメージがあり(実際そうなのだろう)、素人の私には敷居が高く感じられた。
しかしこうして住んでみると、なかなか居心地がいい。
皆さん懐が広いというか、居ていいのかなと思わせてくれる空気がある。

たまに日記を書く程度だった人間がいきなり文芸部に入部した!

みたいな緊張感はあるが、それも文を書く上ではいい刺激になっている。

意外だったのは書くより読むほうで忙しくなったこと。
ネットサーフィンをしているだけでは出会えないような読み応えのある記事がどんどん流れてくるので、活字に飢えるということがない。
これは想定外の収穫だった。

いっぽう想定外の悩みもある。
これまでは僅かな固定読者しか読まないようなブログをやっていたため、割と言いたい放題を言い、著名人の本やサイトのレビューなども気軽に書けたのだが、知性溢れるノーターさんはじめ、レビューしたいコンテンツの主ご本人の目に触れるやもしれないと思うと、なかなか書きづらいものがある。

実際、いつか記事にしたいと温めていた数名の著名人について検索してみると、みごと皆さんnoteをやっていた。
さすがクリエイターが集まる街である。

「自分語りをする人は、成長過程で歪んだ愛情や欠乏感がインプットされた繊細過ぎる人々」というのが私の持論なのだが、先住ノーターさんの中には私と似た人が多いのでは?なんて勝手に妄想しつつ、次は何を書こうかと首を捻るのだった。

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