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なんと、まだあった…

先日、ある本を読んでいると、その中にボンタンアメがでてきた…

なんと懐かしい響き…

わたしは福岡で生まれたけど、小さなとき、1歳から2歳まで鹿児島の母方のおじいさん、おばあさんに預けられた経験があります…

あまりにやんちゃだったらしく、未だにおじいさんの大切な煙管でおじいさんの頭を叩いた孫は、数多い親戚の中ではわたしだけだとか…

おかげで孫の中では一番可愛がられたらしいけど、個人的にはあまり覚えていない…

おじいさんは毎日煙管でタバコを吸っていたし、酒飲みでもあったようで、わたしは父親もヘビースモーカーだったけど、タバコは未だに反面教師だったのか吸わないですね…

まあ父親も、わたしが高校時代に舌癌になったこともあり、苦労したのでタバコは吸わないと決めた次第で…

お酒は、おじいさんからわずか1歳で酒を飲んだらしい逸話が残されているけど、一時期は飲兵衛の血が騒いだ時期もありましたが、今はほとんど飲まなくなりました…

わたしの父親は酒を飲むと顔が真っ赤になるのですが、わたしも母も色白のままなので、きっとわたしは母方の家系に似たのだろう…

今は鹿児島のおじいさん、おばあさんの家も跡形もなくなり、親戚の家として建て代わりましたし、父方のおじいさん、おばあさんはわたしの生まれたときには既に他界していて、住んでいた霧島市の家も今や竹やぶと化している様子…

鹿児島空港に近いところなので、そのうち再開発などで変化するかも知れないかな~♫ 未だに鹿児島弁は理解できるけど、しゃべれないですね♪
生まれ育った福岡では、博多弁OKだけど、最初に就職して東京勤務になったときに、博多弁は喋らなくなりましたね〜、いわゆる強制的に…
おかげでその後、福岡に戻ったときには、「博多弁を捨てた男」として知られることになりましたが…(笑)

話が逸れたので、戻しますか…

と言いつつ、母方のおじいさん、おばあさんには、その後、夏休みになると旅行を兼ねて泊まりにいってました… 

当時、JR鹿児島本線は熊本の吉松あたりでスイッチバック(電車の進行方向が入れ替わる)だったような… 球磨川上流の渓谷って神秘的で印象深かったですね〜♪ 小学校高学年になると、福岡から鹿児島まで当時東亜国内航空のDC9に乗ってましたね〜♪ 当時は、機内で味覚糖のアメが配られていた記憶が…

さて、またまた話が逸れたので、戻すことにしよう…

そんなこんなで、鹿児島のおじいさんとおばあさんに会いに行くと、おやつとしては必ずボンタンアメと兵六餅がありました。

今でも売られているのかアマゾンで確認したら、まだ作られているんですね~♪ びっくりしましたー♪

いや、びっくりしました…

昔の田舎は、カイコが飼われていたし、豚も飼育されてました…

ニガウリも庭に沢山なっていたし、畑にはスイカも沢山ありました…

後は、チマキを作っていましたね…

チマキと言っても、昨今は「あく巻」といった方が解りやすいかな~♫

とはいえ、もう殆ど鹿児島に行くことは皆無になったかな~♫

最近も懐かしい味が忘れられなくて、小さいときに5月頃にずっと送られてきていたことを思い出し、あく巻も取り寄せて食したりしています…

不思議と小さい頃の記憶を思い出すものですね~♫

そうそう、そろそろボンタンアメや兵六餅を取り寄せてみようかな~♫

今も当時と同じ味がするのでしょうか…

いや味をわたしが覚えているのかも、もはや怪しいのかも…

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