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[PoleStar2] ひとりぼっち王国-02

 問題は、彼を含めて小惑星に何年も住んでいるスペクターは例外なく変人で、外部との関わりを極力持ちたがらないということだ。協力を依頼するにしても、断られる可能性のほうが高い。だが、試してみる価値はあるだろう。それでだめだったら他の手段を探すまでだ。

 リチャードは太陽系のリアルタイム座標を表示する星図を見ながら、ここから最も近い小惑星の住民を探した。小惑星番号1463番に住んでいるカーンティだ。カーンティはスペクターのなかでも古参の部類なので、なにか知恵を借りられるかもしれない。

 スペクター同士はテキスト通信が一般的だった。彼らは複雑な精神構造を持つ故に、他人との接触には慎重になりすぎる傾向がある。
 さっそくリチャードはテキストメッセージを作成すると、望遠鏡のAIが録画した変光の瞬間の映像とともにカーンティに向けて送信した。カーンティのいる小惑星1463番までは往復で18光分だが、それも彼がすぐに返信をしてくれればの話だ。リチャードは気長に待つことにした。待つのには慣れている。

 カーンティからの返信を待つ間、リチャードは、太陽レンズ望遠鏡が使えればな、と考えていた。太陽から825億kmの彼方を周回している巨大な望遠鏡は、太陽の重力レンズ効果をつかってずっと遠くの天体を観察するために作られたものだ。大昔にベーシックが考案し、スペクターたちが建築した、人類最大の建築物である──AP-SPSを除けばの話だが。
 しかし、太陽レンズ望遠鏡はその性能のほとんどを地球外生命体の探索に使用している。正体がわからない変光星を調べると言って簡単に使えるものではないのだ。それに、目的の方向を向くまで時間もかかる。太陽レンズ望遠鏡の公転周期は約500年だ。気の長い話だが、スペクターにはいくらでも時間はある。

 リチャードがカーンティからの返事を待っている間、地球から新たにテキストメッセージが届いていた。アテナからだ。アテナは地球で最も有名なオービターである。スペクターとシェオルの橋渡し的存在であり、ISSAの設立にも関わっている、この世で最も高性能な知性体の一つである。

 アテナからのメッセージは簡潔だった。「20年に一度のナノロボットを更新するため、研究員がそちらに向かう」と書かれていた。
 リチャードは困惑した。研究員が来る?彼はもう16年も人と会っていないのだ。自分の脳を分析し、緊張していることを確認すると、彼は再び鎮静信号を送ってからじっくりと考えた。
「自分のドールは大して複雑な機能が必要ではないのでアップグレードは必要ない」とリチャードはテキストを作成してアテナに向けて送信した。ナノロボットはドールの自己修復のために必要だが、リチャードは今まで全く不便を感じたことがなかった。

 35分後ぴったりにアテナからの返信が届いた。さすがオービター、とリチャードは感心した。カーンティよりずっと返事が早い。
 アテナからの返信はまたもや簡潔だった。曰く、全てのドールを持つスペクターは公平にするためにナノロボットの更新は必須である。そして、今回ナノロボットを運搬しているスペクターはISSAの新人研究員であり、彼のテストも兼ねているので協力してほしい、という内容だった。
 簡潔だが有無を言わせないという態度が透けて見えるアテナのメッセージを読んで、リチャードは脳内のイメージだけで溜め息をついた。どうやら覚悟を決めるしかないようだ。

 アテナとやりとりしている間に、カーンティからの返信が届いていた。その内容を見て、リチャードはまた困惑した。
 カーンティの判断は、彼の望遠鏡のAIと同じく「おうし座T星Saは人工物による食変光をおこしている」というものだった。
 カーンティが、人工物による食変光などという突拍子もない結論に至った思考ログを添付してくれたらよかったのに、とリチャードは思った。しかし、スペクター同士でよほど親密でない限り思考ログを送ることはない。
 カーンティのメッセージには追伸として「女神に判断を仰ぐこと」とも書いてあった。
 女神とはアテナのことだ。なるほど、とリチャードは思った。アテナに観察結果の相談をするということは今まで考えたことがなかった。アテナは常に忙しいのだ。邪魔をするのも悪いと思ったが、アテナの情報処理能力ならたしかにカーンティよりもう少し詳しく聞けそうだ。通信に時間がかかることを考慮しなければだが。

 リチャードはその後、カーンティのアドバイス通りにアテナに同じ質問をした。またもやピッタリ35分後に届いたメッセージには「カーンティの意見に同意する」とあった。
 それに、アテナはリチャードの求めていたものを明記していた。オービターに思考ログはないが、アテナは結論に至るまでのプロセスを詳細に文章化していた。

その結果は望遠鏡のAIとほぼ同じだった。等間隔でのごくわずかな減光は人工物である可能性が高いということ。しかし、とメッセージは続く。
「”我々”は常に他の文明を求めています。わずかにでも文明の痕跡に似たものがあれば、他の文明があると期待する傾向があるのです。今回の減光は確実に人工物であるとは言い切れませんが、規則的にごく僅かな減光は太陽を他の300光年以上離れて見たときと似ていると予想できます。時期が来たら太陽レンズ望遠鏡のチームに詳細を確認することを命じます」
 アテナのメッセージはそう締められていた。なるほど、期待、とリチャードは頭のなかでメッセージを反芻する。
オービターも期待するということがあるのだろうか。それともスペクターの総意がアテナに反映された結果なのか。どちらにせよ、彼もおうし座T星Saには文明の痕跡があるという結論に至ったわけだ。しかも太陽レンズ望遠鏡の使用も許可された。こうなると、リチャードがすることはもうほとんど無くなってしまったわけだ。もし仮におうし座T星Saに文明の痕跡があった場合、歴史に残る大発見になる。そうなった場合に備えて、リチャードは発見に至るまでの経緯を論文としてしたためておくことにした。スペクターに基本搭載されている文章作成プログラムを起動すると、彼は論文を書き始めた。

 太陽レンズ望遠鏡がおうし座の方向を向くまで、あと80年はかかるらしい。その間、リチャードは暇を持て余していた。もともと長い人生だ。暇な時は多い。だが今回は期待も大きい。彼は、早くその結果を確かめたいという気分になっていた。待ちきれないのでドールをスリープモードにすると、彼は長い眠りについた。

 唐突に意識が起動するのを検知して、リチャードは起き上がった。相変わらず視界にはなんの変哲もない岩肌と、満点の星空が広がっている。機材運搬用のドローンが照らす明かりでかろうじて自分の立っている地点を把握する。そうして彼はようやく、ISSAの研究員がアップグレードされたナノロボットを運んでくるということを思い出した。スリープモードに入る前にアラームをセットしていたのだ。
 通信機とドールを接続すると、2日前にメッセージを受信していた。ナノロボットを運搬する研究員からだった。あと五日ほどで到着予定なので、宇宙船を着陸できる場所を開けておいてほしいというものだった。
 どうせ小惑星プライムには、極点にある観察用資材以外には岩しかない。リチャードは研究員からのメッセージに「空いている場所ならどこでもいい」と返信すると、他のメッセージの確認作業を始めた。アテナとカーンティからは相変わらず何の連絡もない。ただ、おしゃべりな望遠鏡のAIだけが律儀に観察報告を送信していた。

「レンズに損傷あり」
 観察結果の報告を終えた望遠鏡は、今度はレンズが割れていると主張してきた。
リチャードがレンズを覗き込むと、たしかに小さなヒビ割れがあった。おそらく小粒の隕石がぶつかったのだろう。
 太陽系内に存在する、直径1センチ以上の隕石や宇宙ゴミはその存在が常に監視されており、危険がある場合はアテナから分離した防衛用オービターであるアイギスによって破壊、もしくは回避の警告を出すことになっている。しかし、小さな隕石はアイギスの防衛網に引っかからないことがある。
 リチャードはレンズのヒビ割れにドールの指先をそっと当てた。指先から鈍い金属光沢をもった水銀のような液体が出てきて、ヒビ割れを覆っていく。これこそ、スペクターやオービターが地球を遠く離れて活動することを可能にした究極の発明品、ナノロボットである。液体状に見えるのは極小のロボットの集合体だ。これらはスペクターやオービターが操作することで機材の修理やドールなど精密機械の構築に使われる事が多い。
 かつて機械はすべてベーシックの手で製造、修理されていた。しかしAP-SPSが太陽付近に設置する段階になって、ベーシックの手を使わずに修理する方法が必要になった。そうしてAP-SPSを運営しているオービターが発明したのがナノロボットだ。ナノロボットの発明により、人類の宇宙進出は一気に進むことになった。人類といっても主にスペクターだが。
 
 レンズの修復を終えたナノロボットは、リチャードの指先にスルスルと入っていく。ナノロボットはスペクター以上のデータ処理能力を持ったものでないと扱えない。望遠鏡のAIがナノロボットを使うことはできないので、リチャードがときどきこうやって修復してやる必要があるのだ。
 きれいに修復されたレンズをチェックしてから、彼は研究員がやってくるという日に向けて心の準備をしておくことにした。


つづきます。

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