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[PoleStar2] ひとりぼっち王国-03

 数日後、ISSAの研究員が乗っているという宇宙船が見えてきた。最初は小さな点だったものが、あっという間に大きくなる。ベーシックが乗る用に作られたと聞いていたのだが、実際はどこかを改良しているのかもしれないと思わせる速度だった。彼が見たことのない形の船だ。もう16年も地球を離れているから、ベーシックたちが何を開発しているのか、リチャードはあまり知らない。

宇宙船から5つの小さなドローンが出てきた。ドローンは着地地点の形状を船に伝えているのだろう。新人研究員の操縦する宇宙船は、でこぼこしたプライムの地表に慎重に接地した。
宇宙船は3つのブロックに分かれた細長い形をしていた。10人は乗れるであろう船にたったひとりで乗ってきたISSAの研究員は、船のエアロックを苦労しながら開いて降りてきた。スペクターに酸素は必要ないが、ベーシックの作った船なのでエアロックがついている。

「えーと、ハロー?」
 エアロックから現れたスペクターの研究員は、音声通信に切り替えて遠慮がちにそう言った。彼はリチャードが見たことのない形のドールを持っていた。
 鮮やかな緑色の髪に、白いISSAの制服のコントラストが眩しい。制服から露出している顔や手は、リチャードのように無機質な金属感がない代わりに、ベーシックに似せた肌色の皮膚で覆われていた。

「ようこそ、我が家へ」
 リチャードはしばらくしてからそう返答した。長年音声通信を使っていなかったので、合成音声を作るツールを探すのに手間取ってしまった。
「変わったドールだね」
 宇宙船から箱を手にして降りてくる研究員に向かって、リチャードはそう言った。音声通話なんて何十年ぶりだろうか。リチャードは自分の記憶ライブラリを漁って、29年と3ヶ月前、と思い出した。
「このタイプのドールはぼくが設計したんですよ」
 緑色の髪の研究員はそう言った。まるで子どものような無邪気な合成音声を聞いて、リチャードは彼がまだスペクターとして若いのだろうと思った。スペクターの年齢は見た目では判断できないが、新人研究員は若いスペクターか移住してきたばかりの移民がほとんどだ。

「新しいタイプのナノロボットと交換するので、右手をこっちに入れてください」
そう言って差し出されたビニール製の袋の中には砂鉄のような物が入っていた。非活性状態のナノロボットだ。リチャードは迷いなく袋の中に右手を入れた。ドールの指先に反応して、砂鉄のようなナノロボットが集まり、液体のようになって指先から吸収されていく。
「はい、左手はこっちに」
そう言って彼は空の袋を差し出してきたので、リチャードはそっちに左手を入れた。左手の指先からは非活性状態になった古いナノロボットがサラサラと落ちてきて、袋に溜まっていく。
「古いナノロボットは再利用するので」
 そう言って緑の髪の研究員は慎重に非活性になったナノロボットを集めていた。資源の再利用は地球でも重要な問題の一つになっている。資源には限りがある。金星や月から資源が採取できるとは言っても、AP-SPSに大量の資源を使ったことで地球の資源はほぼ枯渇していた。金属類はもれなく再利用することを義務付けられている。
 リチャードの視界には「ナノロボットのアップグレード完了まであと12分」と表示されていた。彼は気長に待つことにした。ここでの長い生活に比べたら、十数分など一瞬のようなものだ。

「あと何箇所まわるんだい?」
 リチャードは暇を持て余して研究員にそう訊いた。
「ここが4箇所目で、あと2箇所ですね。次は1463番です」
「カーンティだね。彼には世話になったから、会ったらよろしく伝えておいてくれ」
「偏屈で有名な人なんですよね。テキストメッセージ送っても返事がないし、心配です」
 新人の研究員はそう言いながらリチャードの古いナノロボットが飛び散らないように、袋の口をしっかり抑えている。
「ところで、スウィフトさんはなんで小惑星に住んでるんですか?」
 彼は髪と同じ色の大きな瞳をこちらに向けながらそういった。ベーシックによく似せた顔をしているが、細部はデフォルメされている。特徴のあるデザインだな、とリチャードは思いながら答えた。
「地球から離れると、自分が宇宙でたった一人のような気分になれるからね。スペクターになってから、孤独というのは気分がいいよ」
新人は頷くと、神妙な顔をした。
「でも通信に時間はかかるし、不便じゃないですか?ぼくはここ数年小惑星帯を移動してますけど、もううんざりですよ」
そうして不満げな顔をしながらも慎重に作業を進める新人を見て、リチャードはあることに気がついた。
「君のドールには、表情があるんだね」
「そうなんですよ!」
新人は勢い込んで言った。しかし、ナノロボットを回収する袋の口を持った両腕は微動だにしない。
「このタイプのドールはベーシックの表情を再現してるんです。ぼくも開発に参加したんですよ!今ではカルミアさんも試用実験中です」
カルミアさんというのはISSAにいるスペクターの中で最も有名人で、月面のティコ基地にいるスペクター達をまとめている研究主任である。
「久しぶりにその名前を聞いたよ……私は彼が苦手でね」
リチャードはそう言った。カルミアさんは元々の性格なのかわざとそうしているのか分からないが、誰彼構わず馴れ馴れしくする傾向がある。リチャードはそんな彼が苦手だった。
 新人はそれを聞いて軽快な笑い声をあげた。音声通信を通して、リチャードにも合成音声の笑い声が聞こえてくる。小さな口の中の歯まで、ベーシックそっくりに再現されているのを見て、リチャードは感心した。ドールの外見にこだわるスペクターの研究員はあまり多くない。
「月に戻ったらカルミアさんに伝えておきますね」
「匿名で頼むよ」

 そうこうしているうちにナノロボットの交換は終わった。新しいナノロボットはより小さくなり、精密な修繕機能と物質構成機能が可能になったらしい。正直なところリチャードは以前のままでも不便はしていないのだが、アテナの指示ならば仕方がない。
「あと、修理用の資材も置いていきますね」
 新人はそう言うと、宇宙船から金属とシリコンなどの素材を運んできた。ナノロボットは修理はできるが、もちろん必要な素材が足りなければ機能しない。
「ありがとう、助かるよ。ここにはほとんど資源になる金属はないからね」
「はい。これもアテナの指示なので」
 新人はそう言うと、リチャードに向かって頭を下げた。
「それでは、ぼくは次の小惑星に向かいます」
「テストが無事に完了することを祈ってるよ」
「ありがとうございます」

 新人は宇宙船に乗り込んで、エアロックをしっかりと閉めて船の安全装置を黙らせた。そうして船のまわりに展開していたドローンを回収すると、船はゆっくりと離陸していった。
 離陸してからはあっという間に船は遠ざかり、小さな点になっていった。リチャードは船が標準倍率の視界で見えなくなるまで見送っていた。それから、「そういえば彼の名前を聞かなかったな」と考えた。ISSAのデータベースにアクセスすれば研究員の名前はわかるはずだが、彼はそうしなかった。望遠鏡のAIが、おうし座T星系に新しい惑星を発見したと知らせてきていた。リチャードはすでにそちらに意識を向けていて、新人研究員のことについてはもう頭からすっかり消えていた。


やっと他の人間が出てきたところで、つづきます。

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