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黄泉の探索者-07[ベガ]

──外部入力信号によりスリープ解除


「自身」が正常に起動したことを確認すると、次にドールを起動して立ち上がる。立った勢いでふわりと宙に浮いて、ゆっくりと着地する。

目の前にはニクスのドールがあった。膝を抱えて座った状態で静止している。

自分だけ起こされたのは、何か用事があるのだろうか?アオハはそう思ってディーリーを探したが、彼の姿が見当たらない。

「あれ?起こしたのはディーリーじゃないのかな?」

独り言をつぶやくと、申し訳程度に船内に残った酸素にのって音が反響した。
体感時間でついさっき、ニクスに教わったことだ。「映像形式のほうが何かと便利なので、できれば音声も一緒に記録してくださいね」と。


時刻は、起動予定時間の32日前。ディーリーは隣の──とは言っても遥か遠くの──惑星にいる予定で、ジンウー6へ帰還するまであと60日近くある。その間は連絡するなと言われていた。きっと余計なプロセッサを使うのが嫌なのだ。
ディーリーはケチだから。
シェオルでの彼のことを考える。そうしてそもそも覚えていないことに気がついた。まあいいや、地球に戻れば回復できるデータだから。記憶の大半を置いてきたのは、それが今回のミッションに不要だと、以前の自分が判断したからだ。余計なことは考えないようにする。

意識をドール内のシステムログに向けると、37分前から何度も外部起動コマンドが入力されているのが確認できた。直前まで、それは古いシステムコマンドが使われていて、現在アオハたちが使っているドールのバージョンでは認識しないものだった。コマンドは形式を変えて何度も何度も送信されており、27514回目で起動に成功していた。

誰かが起こしに来たのだ。何らかの目的で。

なんとなく、ほとんど無意識に近い領域での直感にしたがって、サーバルーム内を一通り歩いてみた。ぶんぶんと音を立てる古い型式のコンピュータの中を歩くと、音があちこちから反響して距離感がつかめなくなる。聴覚は諦めて視覚で確認する。異常なし。

そうして次に自身のドールを見る。正確には黒い合皮製の手袋をはめたその手を。そうして手が自分の指示に従って正確に動くことを確認する。次に動作ログを見る。異常なし。

この部屋の中に何者かの侵入形跡は認められない。そんな結論を口に出して、そもそもそれがありえないことを認識する。50年前からこの船に人間の痕跡はないのだから。

やっぱりディーリーじゃないか。そうつぶやいて、彼の現在位置が隣の惑星ベガα2を指していることを確認する。”現在”と言っても7分前の現在だけど。7分で光以外の物体が惑星間を移動することはできない。直接コマンドを送信したのではないとしたら、遠距離からの通信かもしれない。ディーリーになにかあったのかも。

「宇宙空間に飛ばされたとか。ぷぷっ」

あの気持ち悪いドールが深淵へ飛んでいくところを想像したらおかしくなってきた。仮にそれが本当だとしても、こちらからしてやれることは何もない。

「ディーリーへ。真空へ飛ばされてもぼくは助けてあげられないよ。一人で頑張ってね……っと」

意識OS内の仮想エディタで作成した文章を持って、通信のために作業用ポッドへ向かう途中でふと気がついた。

「あれ?船外通信じゃないのかな?」

隣の惑星、ベガα2からこのジンウー6へ通信するには、ここへ来るときに使ったポッドに行く必要がある。アオハが今いるのはサーバルームだ。サーバルームからポッドへ直接通信することはできない。船の素材で電波が阻害されるから。

何気なく、起動コマンドの送信元のIDを見た。見慣れないローカルアドレス。これがこのサーバルームにあるマシンの一つから送信されたものだとしたら、自分を起動した何者かはこのサーバルームへのアクセス権を持っていることになる。

「ベーシック……じゃないよね」

彼らの痕跡が途絶えて50年余り。彼らの寿命を考えると生存者がいない可能性は無いもでないが、だとしたらなぜ直接コンタクトを取ってこないのだろう。そして、どうしてその姿が見当たらないのか。実際、さっき調べたときには誰もいなかった。

「ニクスを起こそう」

記録のために独り言をつぶやいて、彼のドールの場所まで戻った。スリープモード中のドールは予め設定したコマンド以外は受け付けない。夢も見ない。意識OSのスリープ中はどんな電子も活動を行わない。

アオハはニクスのドールの額部分をトントンと指先でつついた。
ドールの指先には無数の通信アンテナが組み込まれている。指向性の高い電波を送ることができるので、どんな形のドールでも、手のようなマニピュレータに通信アンテナは組み込まれている。高い指向性は何よりもセキュリティ的に強固だからという理由で。

起動コマンドを送るとすぐにニクスの大きな目が見開かれた。

「あら、予定より随分早いんですね」

彼はそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。背の高さは同じくらい。ドールの体格は規格が決まっているから、だいたい同じようなサイズになる。

「ちょっと聞きたいことがあって」

アオハはそう言って、何者かが起動コマンドを送ってきたことを説明した。

ニクスはしばらく何かを考えているようで黙り込んでいた。思考ログも送ってくれないので何を考えているのかわからない。

「まずはそのローカルアドレスのマシンを探しましょう。この中にあるならすぐに見つかるはずです」

ニクスはそう言うとスタスタと歩きだしてしまった。その後をアオハは追っていく。ローカルアドレスは既に渡している。ニクスは手慣れた様子で次々とサーバに無線アクセスし、アドレスを調べていく。アオハたちはジンウー建設当時に標準的だったいくつかの通信手段をドールに組み込んで来たので、この手の操作はお手の物だ。古式ゆかしい、音波を直接送信するタイプのラジオから、長距離用の無線通信、それから、AP-SPSという送電ネットワークを使った恒星間通信まであらゆる通信手段を持っている。

「ああ、これですね」

そう言って彼が立ち止まったのは、かろうじて稼働していると言ってもいいボロボロのサーバの一つだった。他の物と全く見分けがつかないが、試しに指先に搭載されたセンサから通信してみると、たしかに該当のアドレスが返ってきた。

「さすがニクス」

称賛の意味で言ったはずなのに、彼は嫌そうな表情を作った。

「このくらい、ドールの使用許可を得られたスペクターなら誰でもできるはずなんですけどね」
「あいにく手順書を地球に置いてきたもので」
「バックアップならステーションにありますよ?」
「いざとなったとき容量不足で記録できなかったら困るじゃん」

軽口を叩きつつ、ニクスの見つけたマシンの一つに近づいた。船のベーシックたちがギリギリまでメンテナンスしていたであろう、一台の通信用サーバ。地球を捨てた移民たちが、一体なんのために通信サーバを大事にメンテナンスしていたのか。アオハには理解できる余地もない。

「なんでこれが勝手に動いたと思う?」
「外部からのアクセスがあったからですよ」
「誰が?」
「ディーリー以外に考えられません」

ニクスはきっぱりとそう言った。それはそうだろう。このベガ星系に存在する現代地球文明を持っているものは、今のところアオハとニクスとディーリーの三人しかおらず、離れたところにいるのはディーリーだけだ。

「でも疑問があるんだけど」
「古いコマンドが使われていたことですね」
「そうそう」

アオハのドールを起動したコマンドは、現行バージョンでのドールでしか通用しないものだ。ドールもバージョンアップを重ねるごとに規格が変わっていく。しかし、最初に通信サーバからアオハに送られていたコマンドは古いドール用のものだった。
それはまるでブラックボックステストのようになんども形を変えて送信されて、27514回目でようやくドールの起動に成功していた。

「ディーリーが古いコマンドを送ってくるはずがない」
「それはそうですね……」

ニクスはまた黙り込んだ。

「とりあえず、このサーバの通信記録を調べましょう」
「了解」

アオハが起動した当時の通信ログを調べた結果わかったのは、27514回のコマンドはすべてベガ星系にある中継機から発信されたものだということだった。

二人はサーバから取得したパブリックアドレスを手分けして解析した。パブリックアドレスは地球発の文明で通信可能な装置の全てに割り振られており、建設時の記録を見れば、どこにある誰が使った通信装置か分かる。それを調べるために、二人はログを持って作業ポッドへ戻り、ステーションに保存してある記録と照合するという地味な作業をひたすら行った。

送信元のアドレスは意外に近いものだった。ベガ星系に172個存在する中継機の一つ。

中継機というのは、送電レーザーが惑星などの障害物を迂回するために存在するもので、基本的にはデータの送信に使うものではない。そもそもそこに人などいない。もちろん、どこか別の星系から送信されたものが、たまたまその中継機を経由しただけだろう。だが、それ以上の通信ログを追うには実際に中継機まで行ってログを見なければならない。

「……行ってみる?」
「不可能ではありませんが、ID:X56t70K0hDD7y51L0Po94の中継機に、仮にあの作業用ポッドで移動するとしたら58日15時間8分かかります。準備するのにさらに15分」
「ディーリーが戻ってくるのに間に合わないね……」

SOSがジンウー6から発信された原因は惑星ベガe2にある。
そう仮説を立てたからこそ惑星へ降りる準備をしているわけだが(主にディーリーが)、そもそもドールを起動できる知能を持った何かがジンウー6とベガe2の外にいるとしたら、その仮説が間違ってることになる。SOS信号も中継機を通じて、惑星外から発信されたものかもしれないからだ。

「問題はそれより、なんのためにぼくが起こされたかってことだと思うんだけど」
「それも疑問です。あなたの記憶容量が大量に空いていることとなにか関係があるのでしょうか?私のドールとの違いはそのくらいでしょう?」
「何かを記録してほしいとか?誰かが」
「それが誰なのかも大いに問題ですね」

二人のスペクターはポッドに入り、通信機の前に座って、ドールの仮想意識内で作ったテキストメッセージをディーリーに向けて送信した。ドール単体による長距離通信には限界があり、ドールの性能以上の距離を通信するにはポッドに搭載された通信機が必要だった。

現在の出来事を可能な限り早く共有しなくてはならない。ディーリーの現在位置を見る限り、光速通信でも片道6分かかる距離にいる。

「光ってなんでこんなに遅いんだろうね」
「我々が早くなりすぎたのです」

ディーリーからの返信を待つ間、二人は狭いポッドの中で膝を抱えて座っていた。さっきまでサーバルームでスリープモードになっていたときと同じように。

「誰かが何かを記録させようとしていると思う?」
「おかしな話ですね。中継機を使った通信やドールの起動ができる人間が、自然言語を操れないはずがありません。なにか理由があってそうしているのだとしても、私の持っている”常識”の範囲では理解不能です」
「スペクターだと思う?」
「ベーシックだったら自然言語のほうが使いやすいはずです。わざわざ古い規格のドール起動コマンドを使って我々を起こすより、直接やってほしいことを書いて送れば済みますから」
「じゃあ、どこにいるスペクターだと思う?」
「私はなんでも知っているわけではありませんよ」

ニクスは今度は”不愉快”の感情タグを送ってきた。流石に質問しすぎだったかとアオハが反省したとき、ディーリーからの返信が届いた。

メッセージは短かった。

「そこから動くな」

アオハは”ため息”タグをニクスに送りながら言った。

「ディーリーは短気だなあ」
「メッセージを書くのも面倒なのでしょうね」

二人はおとなしく作業用ポッドで待つことにした。

アオハは何気なく、ポッドの小さな窓から外を見た。窓の半分はドッキング中の宇宙船ジンウー6で占められている。ベガの明かりに照らされて、白く輝いて見えた。残り半分は深淵だ。遠くに明るいベガが見えた。この星系の太陽。標準倍率の光学視界では見えないが、あの周りにも無数の人工惑星があるはずである。そしてそれを取り巻くいくつもの中継機。それらは送電レーザーで接続され、恒星の光と熱で得た電力を人類の活動圏に行き渡らせている。もちろん、この作業用ポッドやジンウー6にも。惑星ベガe2の移民たちもその電力を使っていただろう。

人類の活動圏を恒星間にまで広げた二大テクノロジーの一つ、AP-SPS(Artificial-Planet Solar Power System─人工惑星による宇宙太陽光発電システム)。もう一つは言うまでもなくナノロボットだ。ナノロボットなくしてAP-SPSを維持することはできない。

アオハは無意識の領域で何かがひらめくのを感じた。しかし、それを言語化しようとした途端にひどく間抜けな考えに思えた。

そうは思ったものの、記録係としてやるべきことをすべきだと思った。気がついたときは既に、ニクスに訪ねていた。ポッド内は酸素が無いので、短距離無線通信で。

「ねえ、AP-SPSのオービターと通信ってできる?」
「できるはずがありません」

ニクスは即答した。

「AP-SPSはこちらからアクセスできないようになっています。完全に独立可動する知性。アテナと同じですが、アレと違うのは通信が不可能だということです。だからこそ送電レーザーは兵器として人間に使われる心配がない。スタンドアローンと高度な指向性は最高のセキュリティです。アテナにそう教わったはずですよね?まさかそれも忘れてきたのですか?」
「いや、それは覚えてるけど。あのね、可能性の話なんだけど……」

アオハは自分の中に浮かんだ仮説をニクスに伝えた。曰く、AP-SPSのオービターが起動コマンドの送信者なのではないかということを。

ニクスは”思案中”タグをいくつも送ってきた。それと同時に、短距離無線通信でぶつぶつと独り言のようにつぶやき始めた。

「AP-SPSからの通信などありえません。が、たしかに理屈は通っています。古いコマンドはAP-SPSの記憶そのものが古かったのかと。しかし、やはり目的が不明です。それにAP-SPSのオービターが人類に通信してきた例など過去にありません。あったら大変なことになります。AP-SPSのセキュリティそのものが疑われてしまいますから」
「あー、ベガに来て気分が変わったとか?」
「オービターの知性なら自己改変など些細なこと。その可能性は否定できません。アオハ、これは大変なことが起こっているかもしれませんよ」

ニクスは無表情のまま”不安”のタグを送ってきた。確かに三人で考えるには大きすぎる問題かもしれない。

「やっぱりアテナも来てくれればよかったのにね」
「無いものを欲しても仕方がありません。我々がやることは、ここで起こったことを記録し、地球へ持ち帰ることです」

ニクスは黙り込むと、アオハとは反対側の窓を覗き込んだ。そこからはベガは見えないはずだが、ジンウー6に反射する光を見ながら彼は”思案中”タグを送り続けてきていた。

「アオハ」
「なに?」
「あなたが我々の持っている”常識”を持っていなかったことを幸運に思うべきなのかもしれません」
「なんで?」
「私の、いえ、現代の我々の”常識”では、AP-SPSから通信が来る可能性なんて考えることもしなかったからですよ」
「じゃあやっぱりそうだと思う?」
「仮説と事実は分けて考えましょう。まずはディーリーの到着を待ち、仮説を確認するための手段を考えます。それまで少しドールでも冷やしましょう。私はだいぶ熱くなってきました」

ニクスはそういうと、ドールの背中をポッドの壁に押し付けた。ドールの冷却装置はたいてい背中側についているから、プロセッサの使いすぎで上がった温度を下げるには背中を冷やせばいい。

アオハはニクスの真似をして、壁に背中を押し付けた。ドール内の温度は正常値内なのでそんなことをする必要もなかったのだが、再び無意識領域でそうしたほうがいいと思ったのだった。

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そのうちつづきを書きます。


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