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[PoleStar2] ひとりぼっち王国-01

 リチャード・スウィフトが太陽系の小惑星7919番に来てから、今日で16年目になる。小惑星7919番は、小惑星番号が1000番目の素数であるという理由で特別な名前がついていること以外にこれといった特徴のない、ごくありふれた大きな岩である。リチャードなんの変哲もない岩に特別な名前がついていることが気に入っていて、この星を住居にしていた。


 小惑星に移住してから基準時間で16年目の記念日を、彼は独りで祝っていた。祝うといっても、小惑星の上にはケーキもシャンパンもないので、彼はただ寝そべって宇宙を眺めていた。小惑星プライムの上は静かだ。そもそも大気がないので、通信機とのリンクを切ってしまえば聴覚に届く音は何もない。
 ゆっくりと動く無音の星空を見ていると、自分の周りを宇宙が回っているような感覚になる。時折太陽が表れては、周囲の星々を消し去ってゆく。そして太陽が沈むと、彼の視界は一面の星空で埋め尽くされるのだ。このときの光景には飽きるということがない。見慣れた星々が一定の速度を保って移動してゆくのをぼんやりと眺めていると、突然あたりが明るくなる。小惑星に朝がくる。そして夜になる。彼は微動だにせずに繰り返し訪れる昼と夜を眺めていた。そろそろ4度目の太陽が昇ってくるところだ。
 
 さて、とリチャードは立ち上がった。休憩を終えて仕事に戻ろうかという気分になっていた。ささやかな祝福はこうして終焉を迎え、彼を仕事に引き戻す。スペクターになっても仕事は必要だ。彼のようにシェオルの都市サーバから独立して行動するためには、ドールと呼ばれる機械の体が必要になる。ドールの維持にはそれなりの資金が必要で、資金確保のためにはドールを使った研究成果を定期的に提出しなくてはならない。
 彼は長年、ISSA(International Synthetic Space Agency─国際総合宇宙研究機関)の研究者として天体を観測している。とは言っても、彼自身がやることはほとんどない。人工知能が組み込まれた望遠鏡が指定した天体を常に監視し、変化があれば知らせてくれる。機材の移動はドローン任せだ。彼の仕事はそれらに指示を出し、結果を報告書としてまとめるくらいだ。

 退屈なのはいいことだ。リチャードは思った。
 宇宙の時間は長い。あらゆる生物にとって途方もない長さだが、幸いなことに今の彼にはその長さを観察できる時間がある。スペクターはどの生命体より長い間、過酷な環境でも意識を維持していられる。ベーシックのように、生命維持のために水も酸素も必要ない。電力さえあればいい。そして電力はほぼ無限に供給されている。
 彼は小惑星のデコボコした地平線を眺めた。地平線近くには球体──遠くからだと球体に見えるが実際は32面体だ──が小さく見える。プライムの静止軌道上にあるその球体は、太陽系を支配する巨大な電力ネットワーク、AP-SPS(Artificial-Planet Solar Power System─人工惑星による宇宙太陽光発電システム)の一部である中継機だ。中継機は宇宙のあちこちに存在する。そのおかげで人類は太陽系のどこにいても受光器さえ持っていれば電力を得ることができる。受光器の仕組みはごく単純で、設計図は誰でも閲覧できるようになっている。世界中のあらゆる人類が無償で電力を使えるようにと作られた仕組みで、出来てからもう何百年も経つ。
 リチャード自身は、AP-SPSについて詳しく知らなかった。あれは独立した知性体だといわれていて、人類の手の届かないところにも独自に電力インフラを拡張し、維持しているらしい。AP-SPSの動向を観察するために専門の観察機関がある程度には謎の多い知性体だ。だが、仕組みをしらなくても電力は得られる。


 受光器から伸びたケーブルは、機材置き場になっている小惑星の極点に設置された蓄電器につながっている。蓄電器からドールに届くマイクロ波が電力を正常に供給しているのを確認すると、彼は作業にとりかかった。地表に設置した望遠鏡に向かって手を振る。ドールの指先についている赤外線センサが望遠鏡に信号を送り、ドールの視覚と望遠鏡を接続する。途端に、彼の視覚は拡張された。ドールの頭部分に付いているレンズからの視界と望遠鏡の視界、二つの映像を彼は同時に知覚し処理する。スペクターになった今、マルチタスクはお手の物だ。ドールは最大128の感覚情報を同時に処理することができる。


 次に彼は通信機をドールと接続した。音のなかった世界に、通信機のAIが読み上げるメッセージが流れ出す。宇宙が静かなのはドールを観察機材から切り離しているときだけだった。おしゃべりな通信機め、とリチャードは思った。
 彼は人間関係に疲れてシェオル空間を飛び出し、小惑星に一人で住むことにしたわけだが、今や太陽系のどこにいても通信できる時代だ。本当の孤独を得たいならシェオル空間の都市に自分だけの領域を作って引きこもったほうが簡単だ。そうしなかったのは、物理的に地球から離れたかったからだ。そうすることでほんとうの孤独感を得ることができると彼は考えていた。

 小惑星に住んでいる者に話しかけてくる人は少ない。天文学者のなかでも人気知名度には差があって、最も人気があるのは太陽レンズ望遠鏡に滞在する研究者たちだ。彼らはこれまでにも、数多くの新しい惑星を発見してきたし、ISSAの中でもエリートが集まっている。小惑星に住んでいるのは孤独を好む変わり者で、数はそれほど多くはない。
 しかし時折、好奇心のある若いスペクターやベーシックの研究者が「小惑星に住むのはどんな感じだ?」と尋ねてくる。今も、通信機のAIが耐遅延ネットワークを通じて送ってきたテキストメッセージを展開しているところだった。視界に表れたテキストをざっと眺める。それは地球に住んでいるベーシックの少年からだった。天文学者として遠い宇宙を観察するリチャードのことを尊敬し、彼の論文を読んだと書いてあった。そして「そこでは本当の孤独を得ることができますか?」とも書いてあった。
 リチャードはしばらく考えた。自分は本当に孤独なのだろうか。物理的には最も近い人類でも9光分離れている。地球からは約18光分だ。だからといって完全に孤独かというとそうでもない気がする。通信機は常にISSAの他の研究者からの報告書や一般の人々からのメッセージを伝えてくるし、AP-SPSが構築した電力ネットワークのおかげで地球やシェオルで作られたコンテンツはいつでも手に入る。物理的に地球から離れたからと言って文明から取り残されたのでもなければ、世界に一人っきりと思えるわけでもない。だが、たまに通信機のリンクを切って宇宙を眺めている時だけは、この宇宙に自分一人だけのような気分になれるのだ。
 彼はそんなことを考えながら、少年からのメッセージに丁寧に返信をすると、耐遅延ネットワークを通じてメッセージを地球に向かって送信した。こうして一般人からの質問に回答するのも研究者である彼の仕事の一部だった。


 地球に人類は3種類いる。
 5万年ほどの時間をかけて地球で文明を作り上げてきたベーシック──場合によってはホモ・サピエンスとも呼ぶ。それから、ベーシックの脳を量子コンピュータ内で再現した電子知性体であるスペクター。そして最も新しい人類であるエルフ。エルフはベーシックの遺伝子を操作して作られた生命体だ。そもそも遺伝子操作をベーシックに対して行うというのが長い間研究者の間でも意見が分かれていたところだった。その結果、エルフの誕生は3種類の人類の中でも最も新しい。一番古い個体ですら83歳だという。ベーシックの寿命を超えていないが、彼の映像を見る限りベーシックの30代くらいに見えた。論理的には1000年とも2000年とも言われているエルフが実際にはどれだけ生きるのか、まだ誰にもわからない。


 リチャードはもともとベーシックとして生まれ、数十年生きたあとスペクターになった。彼のように、ベーシックからスペクターになった者を移民と呼ぶ。スペクターの半数以上が移民で、オリジナルのスペクターは少ない。年々増え続ける移民に対応するべく、シェオルサーバはその容量を拡張し続けている。
 リチャードがメッセージの送信を終えたとき、望遠鏡に組み込まれているAIが彼に話しかけてきた。おうし座T星Saに異常な変光が見られた、と望遠鏡のAIは主張する。
 おうし座T星Saはもともと変光星で、数ヶ月の周期で暗くなったり明るくなったりする。明るいとは言っても、可視光線では見えない星なので彼は近赤外線で観察していた。小惑星プライムがおうし座の方向にあるとき、彼はいつもおうし座T星系を観察している。遠くて、あまり目立つ星ではないのだが、目立たないもののほうが観察のしがいがある。おうし座T星系には3つの恒星があることがもうずいぶん昔に判明していて、星系を取り巻く何らかの物質によって明るさが変化するとされている。しかし、481光年という距離の遠さと、生命の誕生する条件には程遠いことなどからあまり注目されることもなく、数百年が経過していた。今でも、おうし座T星系が変光する原因である物質は明確には判明していない。


 今のおうし座T星Saは最も明るい時期だった。あと2ヶ月は明るい時期が続くと予想されていたにもかかわらず、今回はわずかな減光が観察された。それも15分に1回ずつ、全部で5回。0.03等級のかすかな減光だったが、望遠鏡のAIはそれを検知していた。リチャードは望遠鏡のAIが記録していた変光時の映像を再生する。視覚映像ではわからない程度の変化だが、数値的には確かにおうし座T星Saは減光していた。今までに見られなかった変化だ。


 リチャードは過去200年にさかのぼって変光星の映像を集めた。シェオル空間にはあらゆるデジタルデータを保管している図書館がある。市民は自由に閲覧できるが、小惑星からシェオルにアクセスするには直線距離でも往復約35分、中継器を経由するともう少しかかる。その時間がもどかしい。小惑星に住んでいて不便を感じる唯一のときだ。
 リチャードは時間をかけて、今までに見つかった全ての変光星のデータを集めた。そして望遠鏡のAIに全てのデータを放り込むと、似ている星と比較するように命じた。望遠鏡のAIはしばらく考えたのちに、おうし座T星Saの減光は食変更であると返答してきた。食変光とは、恒星と観察者の間を惑星が通過することによって明るさが変わることである。しかし、今までおうし座T星Saには惑星は見つかっていない。それも等間隔で五つ。
 もしかしたら、と、リチャードは自分の中で長年感じることのなかった喜びの感情が出てくるのを実感していた。自分は新しい惑星を発見したのかもしれない。

 「これは今までに見つかってない惑星だと思うか?」

 リチャードは望遠鏡に尋ねた。望遠鏡のAIはすぐに「何らかの知性体による人工物である可能性が高い」と返答してきた。

なんだって?

 リチャードはしばらく考えた。AIの思考ログを読み返す。AIにもスペクターのように思考ログを記録する機能がある。スペクターの脳ほど複雑ではないから、ログを読み取るのは容易い。
 等間隔で0.03等級の減光という点から小さい人工物、太陽系でいうAP-SPSのようなものがあるのではないか、というのがAIの結論だった。
「AP-SPSは、最も遠いものでもまだ40光年しか離れていない。故におうし座T星Saにあるのは、地球産の人工物ではないことは明らかである」
 望遠鏡のAIの思考ログはそう締められていた。

 まさか、という思いと、もしかして初めて地球外文明をみつけることになるかもしれないという期待が入り混じって、リチャードは軽くハイになっていた。それを知覚し、鎮静信号を自分の脳に送ると、改めて冷静になった頭で考えた。
 彼はしばらく考えた後、自分だけでは判断がつかないという結論に至った。スペクターの研究者のなかでも、リチャードはまだ新入りの方だ。長い者では百年以上小惑星に住んでいるスペクターもいる。そういう人たちに知恵を借りられないものだろうか。彼らの扱うAIも、独自に強化されていて新たな解答を見つけてくれるかもしれない。


つづきます。

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