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妖怪の正体─1

奥羽山脈の西側にある盆地を見下ろす高台に、一本の大きなケヤキの木がある。樹齢二千年ほどの古い木だが、枝いっぱいに茂った葉は青々としている。それは、降り出したばかりの夕立を受けてツヤツヤと輝いていた。そこへ一匹のキツネが雨宿りにやってきた。尾が二本ある、これまた古いキツネである。

全身を震わせて水滴を落としたキツネは、ケヤキの根本に座って雨粒が葉を叩く音を聞いていた。
とつぜん、良い雨だね、と声が聞こえたきがしてキツネは飛び上がった。辺りをキョロキョロと見回したあと、ケヤキの幹を見上げて言った。

「なんだ驚かすなよ、あんたも妖怪の類か。こんなに大きいんだからさぞかし長生きなんだろうな」

ケヤキの木は、キツネの何倍も生きていると答えた。

「俺はこないだ新しい尾が生えたばっかりなんだ」

キツネはふかふかの毛で覆われた二本の尻尾を振ってみせた。
徐々に雨は激しさを増していき、ケヤキの周りは白く烟っている。しばらくやみそうにない。

「あんたにとっては恵みの雨かもしれないが、俺は毛皮が濡れるから嫌だね」

ケヤキはキツネに、どこから来たのかと尋ねた。

「東に大きい山があるだろ。そこを越えて来たんだ」

ケヤキはたまにやってくる鳥たちから聞いたことを話した。南北に走る山脈は鳥たちの鍛錬の場であり、たくさんの妖怪が住んでいるとも。

「そうそう、山を通るときに色んな動物や妖怪に会ったよ。でも俺は騒がしいのが苦手だから下りてきたんだ」

キツネはそう言って、ゴロンと横になって梢を見上げた。雨に濡れた葉がキラキラと輝いている。

「しかしたまには、こうして話し相手がいるのもいいな。このあたりには人間が住んでいるか?」

西の大きな川を越えた先に人間が住んでいるとカラスたちが話していた、とケヤキは語った。昔はこの辺りにもたくさん住んでいたが、今ではほとんど見かけないらしい。時々ケヤキの手入れをしに、数人でやってくる程度だという。

「そうか。お前が長生きしてるのは人間が手入れしに来てるからなのか。あいつらもちょっとは良いことをするんだな」

葉の隙間から水滴が落ちてきて、キツネの耳に当たった。キツネは後ろ足で頭をカリカリとかいた。

「俺は人間が苦手なんだ。あいつらがいなくて、静かに暮らせるところを探してるんだよ。いい場所を知らないか?って、ここから動かないやつに聞いても無駄だな」

雨足がさらに強くなって、空を覆う黒い雲からはゴロゴロと低い唸り声が聞こえていた。雷さまが怒ってるぞ、とキツネは思った。まだ遠くにいるが、近くで見る雷さまは恐ろしいのだ。
 雷をおそれているキツネに、ここには雷は落ちないから大丈夫だとケヤキは説明した。ケヤキが落雷で燃えないように人間が管理しているのだと、最近できた友達から聞いた話を教えてやった。

「へぇ、空を飛べる友達がいるのはいいな。白くてもわもわしてる?なんの妖怪なんだそいつは。」

そんな会話をしていると、唐突に南西の空が明るくなったのでキツネは思わず見上げた。厚い雲に覆われているにもかかわらず、空は見る間に明るくなっていく。

「なんだありゃ。雷さまじゃないよな──」

次の瞬間、一条の光が雨雲を貫いた。キツネには、まるで巨大な刀が空を斜めに切り裂いたように見えた。光は夕立を降らせていた雲を散らして、その向こうにある青空が見えた。それから続けてバリバリバリと轟音が響いた。

「うひゃぁ!」
悲鳴をあげて、キツネは耳と尻尾を縮こませた。

轟音は山と地面に反響し、キツネの耳はしばらくの間耳が麻痺したような感覚に陥っていた。それが収まると、キツネはおそるおそる顔を上げた。
さっきまで夕立を降らせていた雨雲は消え去って、かわりに青い空と太陽が見えていた。

「驚いたな。ありゃ一体なんだ?」

呆然と空を見ているキツネに、ケヤキは雲の上に住んでいる人間の仕業だと教えた。

「へぇ。人間は雷さまを操ったり、追い払うようになっちまったんだなぁ」

キツネは感嘆と恐怖の間を行ったり来たりしながらつぶやいた。キツネがまだ妖怪になる前に仲間から聞いた話は、空の上には神々が住んでいて、地を照らし雨を降らし雷を落とすというものだったが。

「今では空の上に人間が住んでるのか……」

ケヤキはキツネに語った。
人間が減る少し前に、あれはできた。晴れの日は一条の光が降ってくるだけだが、雲が多い日は光が雲を散らすのでものすごい音がすること。夜は地上が昼のように明るくなること。
そして物知りな友達の妖怪曰く、光の正体は空の上に住む人間が、地上に住んでいる人間に向けて電気を送るためのものだという。

「その友達っていうのはさっき話してた白いやつか。なんでそんな事を知ってるんだ?」

友達はあちこちを旅しているらしい。そしてケヤキが見ることができない場所の話を聞かせるのだと。かわりにケヤキは昔ここに住んでいた人間の話や、時々やってくる他の妖怪の話をしているという。

キツネはそれを聞いて、物知りな白い妖怪と話してみたいと思った。空を飛べるなら住むのに良い場所を知っているかもしれない。

「俺もその白い友達ってのに会ってみたいな」

白い妖怪はいつも新月の夜にやってくるとケヤキは応えた。

「それじゃあ、次の新月にまたここに来るよ。楽しみにしてるぜ」

キツネはそう言うと、しっぽをふりふり山に入っていった。



つづきます。

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