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妖怪の正体─3

名無しは月を間近で眺めていた。地球周辺と同様に、月の周りもとても賑やかに感じられる。様々は電波が飛び交い、絶えず情報を交換している物質が存在する。ここに、あの妖怪たちのいう「神様」という知性体が存在するのだろうか。
名無しには光学的に物を見る器官がない。かわりにあらゆる量子のやりとりを認識できる。地球にいたあの古い木やキツネも、少量ながら同様の分子を纏っていた。その上位存在というからには、同様の分子を持っている可能性が高い。

最初は彼らのような妖怪が、仲間の見かけた「自分たちに似たようなモノ」だと思ったのだ。しかし何度か話を聞くうちに、彼らは地球から離れる術を持っていない事がわかった。それだけではない。彼らは惑星の外の世界を全くといっていいほど知らなかったのだ。では、宇宙を彷徨っていた仲間がボイドの中で見かけた知性体とは何だったのだろうか。
そのときは、宇宙を埋め尽くす暗黒物質によって交信がほとんどできなかった。しかしかろうじて、その知性体から送られてきたわずか32バイトのデータを、仲間は持ち帰っていた。

そのデータがこの星系を指していると判明したのは、ずいぶん後になってからだった。しかしそのおかげで、名無しはこうして彼らの発祥地であると思われる惑星を見つけたのだ。

月面を眺める名無しのそばを、通信電波が通過した。ごく単純な、音声信号を電波の強弱で伝える方法らしい。これまで何度か、名無しは彼らの通信を分析し、ある程度のパターンを学習していた。この音声信号を電波で伝えるのはごく短い距離での通信に限られるようで、長距離になるとレーザー通信になる。

名無しは試しに、近くを通過した音声信号をわずかに変調し、今までに学習した彼らの言葉を挿入してみた。これは、今まで何度か試した方法だ。結果はわかっている。

……応答なし。
……応答なし。

何度やっても応答は返ってこない。彼らには名無しの存在が認知できないようだ。それとも、変調した信号をノイズとして無視しているのだろうか。こんなに賑やかなのに、名無しは周囲を飛び交う電波とレーザーを分析しながら、思う。こちらからは見えるのに、向こうからは見えない。もどかしいような、なんとも不思議な感覚だった。

彼らは自分たちとよく似た存在であることは明らかだ。彼らはおそらく言語のようなものを使用して意思疎通をしている。名無しやあの妖怪たちが、体を構成する量子を交換するように、彼らは電波を交換してコミュニケーションを取るのだ。

しかし、わからないのはこちらの介入に一切反応しないことだ。何か原因があるのかもしれない。

そこまで考えて、惑星で出会った妖怪が話していた神様という存在のことを思い出した。この星系にある第三の知性体。ほんとうにそんなモノが存在するのだろうか。彼らの口ぶりからするに、彼らも神様とやらには直接会ったことはないらしい。概念、空想、あるいは集団妄想の類。そんなことを考えながらも、ひとまず名無しは月面に向かうことにした。

月の表面は見たところ砂と石ころだらけの、なんの変哲もない衛星だった。妖怪たちが人間と呼ぶ知性体たちは、ほとんどが地面の中で住処を作って暮らしいているらしい。そして、惑星と月を頻繁に行き来する物体がある。この荒涼とした場所には資源がほとんどないだろうから、主な物資は惑星から運んでくるのだろう。

小さな衛星の表面をゆっくりと飛び回りながら、観察する。観察することにはなれている。惑星よりも、月の周辺のほうが電波の交流が活発だ。

しばらく飛んでいると、なんとも奇妙なモノを見つけた。分子の塊。しかも規則正しく配列されたそれは、周囲を飛び交うどの通信とも無関係であるかのように、ただそこに存在していた。名無しはそれに近づいた。

最初は分子の塊だと思っていたのだが、近づいてみるとそれなりの質量を持った物質でもあることがわかった。大きな岩のようだ。衛星の殆どを構成する成分とは異なっているから、おそらく隕石なのだろう。奇妙なのは、それが惑星にいた妖怪たちと同じ分子をまとっていることだった。

こんにちは、と名無しはその岩に向かって言葉を投げかけてみた。

「あら、めずらしい。お客さんとは」

返事が帰ってきたので名無しは少し驚いた。まさかこんなところに自分たちと同レベルの知性体が存在するとは思ってもいなかったからだ。

「どこから来たの?名前は?」

名前はない、と名無しはキツネに言ったのと同じ言葉を送った。

「あらそう。私はモノリス。そう、呼ばれているわね」

岩はそう言った。これが月の神というものなのだろうか?名無しは逡巡したのち、直接聞いてみた。

「あら、私はそんな大層なモノではないの。ただここにいて、空を眺めているだけ」

モノリスと名乗った岩はゆっくりとそう言った。

「月の神っていうのは、たまに私に話しかけにくるモノかしらね。変わってるのよ。人の形をしているのに、あそこを歩いている人間たちとは違って見えるの。でも一番の違いは、私の声が聞こえることね」

その神とやらにはどこで会えるのか?と名無しは尋ねた。

「さあ?気まぐれにやってきて、いつの間にかいなくなっているから分からないわ。あちこちを移動しているのよ。私と違って足が生えているから。そういえばあなたも移動できるのね。うらやましいわ」

名無しはモノリスという岩の妖怪と、しばらく話をした。故郷のこと、地球で会った妖怪のこと。月の上にも妖怪がいるのは知らなかったこと。他にも妖怪はいるのか、という疑問。

「私はここから動かないから、よく分からないわ」

モノリスはそう言って、言葉をつづけた。

「でもね、私がこうしてあなたやたまにやってくる、月の神?というモノたちと話ができるようになったのは、人間たちのおかげなの」

どういうことだ、と名無し。

「だって、私がこうして言葉を持つようになったのは、彼らの手によって地中から掘り起こされたあとからなんですもの。ずっと昔はね、宇宙を漂っていたの。それからこの衛星に墜落したのよ。そこで何年も眠いっていたのだけど、あるとき小さな生き物がたくさんやってきて、私を空の見える場所に連れ出してくれたの。それからよ、私がときどきやってくる誰かさんとお話できるようになったのは」

名無しはモノリスの話を聞いて、一つの結論に至った。妖怪たちがまとっている分子。あれは自分たちと似た由来のものだと思っていたが、どうやらこの星系独自のものらしい。そして、それの発生源となるのが人間という知性体であること。

「それでね、近くに人間たちが来たときにお話しようと思うのだけど、こちらの声は彼らには聞こえていないみたいなの」

あのキツネの言っていたことと同じだ。妖怪の言葉は人間には通じない。では自分はやはり、この星系でいう妖怪に親しい存在なのだろう。

しかしそうだとしたら、仲間がボイドで見つけたモノは妖怪だったのだろうか?妖怪の誕生の原因が人間にあるとしたら、あのボイド付近には人間がいたのだろうか?
この星系は、まだ調べることがたくさんありそうだ。

「あらうれしい。じゃあまたお話できるわね」

モノリスは嬉しそうにそう言った。名無しは、ケヤキと初めて会ったときも同じような会話をしたことを思い出す。
また来ることを約束して、名無しはこの星系をしばらく観察することにした。こちらからコンタクトができないのが不便だ
が、時間をかければ何か理解できるに違いない。幸いにも、時間はたっぷりあるのだ。

そうして、今度はあの賢い木に、ここであったことをどうやって話そうかと考えていた。


                   *


「え?何です?」
突然、無線に入ったひどいノイズで声が聞こえなかった。振り返って通信相手を目視すると、荒井は「こちらへ来い」とジェスチャーしている。
渋々彼女の近くに行くと、こんどは無線を切れ、とジェスチャーで示した。無線のスイッチを切った途端、荒井はヘルメットを乱暴にぶつけてきた。

「おい田中」

ヘルメット越しのくぐもった声は、かろうじて聞き取れた。

「なにするんですか」
「ここらは無線が使い物にならない。有線にするから、これ繋げ」

そういって宇宙服の腰につけていた細長いケーブルを渡してきた。
荒井が指差すヘルメットの顎の下に苦労してケーブルを差し込むと、クリアな音声が聞こえてきた。

「これでよし。古典的だが、役に立つ」
「糸電話みたいなものですね」
「よく知ってるな。とにかくさっさと仕事を終わらせて帰ろう」

荒井はそう言うと先頭に立ってあるき出す。歩くと言っても月面なので、小刻みにジャンプしながら移動する。

「どうして無線が使えないんですか」
「原因はわからないが、この岩の近くでは電波妨害が頻繁におこる」

二人の目の前には、注連縄が巻かれた巨大な隕石が鎮座している。

「これがモノリスの御神体か〜。って、全然四角くないし、ただの丸い岩じゃないですか!」
「当たり前だ!さっさと仕事するぞ」
「この岩から何か電磁波でも発生してるんですかね?」
「さあな。誰もそんな事気にもしないし、調べる人もいない」

二人は岩に巻かれた注連縄を新しいものに交換する作業を黙々とこなしながら、会話を続ける。退屈な仕事だ。宇宙飛行士になりたくて月まで来たのに、最初の仕事がこんな雑用とは。田中は内心がっかりしていたが、それでも外に出られるだけマシかもしれない。一緒に月に来た研究者仲間は、基地から一歩も出ることなく任期を終える者も多い。

「ところで荒井センパイ、新しく見つかった地球型惑星のニュース聞きました?」
「ああ、ベガe2の話だろ。さっき地球から来たばかりの奴らもそれで盛り上がってたな。移住するとかどうのとか、気の早い連中だ」
「今度こそ知的生命体が見つかるといいですね」
「宇宙は広い。そんなに都合よく見つからないと思うね」



おわり

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