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さやかに星はきらめき

 今日は一人だ。いや、今日も一人だ。

 年の瀬、といってもシフト制で働いている私にとっては、ほとんど関係なく、ここ数年はクリスマスもお正月も職場で過ごしている。

 それが嫌なのではない。むしろ、望んでそうしている。

 両親が相次いで5年前に他界。二人とも病気だったが、早期に退職して母の看病していた父が、急逝した。

 兄はいたが、行方知れずで10年。いつか帰ってくるだろう...という楽天的な両親は、兄を探すのを1年でやめた。あいつにはあいつの人生があると。 

 他に頼れる親戚もおらず、友だちも多くない。父が亡くなってから、母の介護をしてきた。

 母は若年性認知症を発症してから、数年を経て、寝たきりになった。

 父は若い頃、いや、早期退職するまで仕事仕事で生きてきた人だ。私は、大学から自宅を出て生活していたから、父と母がどうやって生活してきたか、細かいことはわからない。仕事一辺倒だった父が退職してまで、どうして母の介護をしたのだろうと思い、帰省した時に聞いてみたことがある。

 「ねぇ。お父さんはどうしてお母さんの介護のために仕事を辞めたの?」

 「ん~。なんでだろうな。」

 父はただそれだけ言って、すっかり細くなった母の手をマッサージする。

 その時の帰省が、父との最後になろうとは。

 父は、自分の通院のために、週に1回はヘルパーさんに介護をお願いしていた。

 ヘルパーさんに母の状態を話してから父は通院に出掛けるのだが、その日は、呼び鈴を鳴らしても父が出て来なかったため、早めに出掛けたのだろうかと思ったヘルパーさんが、家に入ったところ、母のベッドサイドで、父が倒れていたという。

 慌てて救急車を呼んだが、すでに事切れていた。

 腹部大動脈瘤の破裂だった。

 あまりにも急で、涙を流す暇もなかった。

 車椅子で火葬に立ち会わせた他は、母をショートステイに預け、兄もとっくに行方不明だったから、ほとんど一人で葬儀を執り行った。

 慌ただしかった。悲しむ暇もない。葬儀が終われば、母をどうするか考えなければならない。 

 私は15年勤めた会社を辞めて、帰郷した。母の介護をすることにした。

 母は寝たきり状態であり、話しかけても言葉を発することもなく、目線も合わない。食事を口から摂ることもできず、胃ろうを作って、経管栄養という形態で、胃に直接食べ物を流す。水分も管から流す。

 関節も硬くなり、褥瘡ができてはいけないからと、エアマットを使ったり、マッサージする。

 紙オムツを使っていて、時間で交換する。父はこうやって慣れない介護をしていたのだな。

「お母さん。何、考えてる? お父さん死んじゃったのわかる? お兄ちゃんもいなくなっちゃったし。お父さん、ひどいよねぇ、急に死んじゃうんだもん。本当にひどいよ。」

 急に理由もなく悲しくなって、母の足をマッサージしながら私は、おんおん、おんおん泣いた。子どものように泣いた。母は奇跡的に反応した...ということもなく、力のない目は、ただ天井を見つめる。

 母は父が亡くなってから、3か月後に亡くなった。父が迎えに来た...そう思うことにした。そう思いたかった。

 そのまま地元に残ることにした私は、24時間営業している託児所で働き始めた。

 赤ちゃんから小学校入学前の子どもたちを預かる。親の事情や都合、預ける理由はいろいろあるが、子どもたちの笑顔が本当にかわいいと思う。私も、こうだったかな...。もうそんなことを聞ける人もこの世にいない。

 仕事が終わって、帰路につく。今日はシフトDなので、終わる時間は18時。電車に揺られ、込み合う電車の窓から外を見る。クリスマスのイルミネーションが必要以上に輝いているように感じる。

 電車を降りて、まっすぐ帰りたくない気持ちになった私は、家と反対側の道を進む。

 商店街を突き抜け、公園の横を通る。その先に教会があった。高校までこの街で暮らしていたのに、教会があったことなんてすっかり忘れていた。

 教会から明かりが漏れている。歌声も聞こえる。

本日、クリスマスイブ礼拝 どなたでもお入りいただけます。

 教会の古い扉のお知らせボードには、そう書かれてあった。私は何も考えず、その中に入って行った。

 古めかしいこの建物は歴史あるもので、明治時代の西洋風建築だった。父がよく話していたことを思い出す。 

 礼拝堂の中ではクリスマスイブの記念礼拝の最中だった。牧師の説教が始まった。

 「イエスの誕生日は明日なのですが、皆さんは、ご自分が生まれたことをどう考えますか? この中には、もしかしたら生まれて来なければよかった、と思う人もいるのではないでしょうか...」

 牧師の説教が続く中、木製の硬い椅子に腰かけた私は、幼い頃に、父がここに連れてきてくれたことを思い出した。父はクリスチャンではなかったが、幼い頃、何回か教会に連れてきてくれたような気がする。ただ、私は記憶が定かではないが。

 「ここに来ると、許される気がする。」

と、父がいっていたことを思い出した。

 何に対して許されるというのだろうか。その頃は、父が悪いことをして、誰かに許してもらいたいのかと思った。

 しかし、今になれば、誰かに許してほしいことがあるのではなく、自分という存在自体のことを言っていたのではないかと思う。

  礼拝堂では、牧師の話が続いている。まだ若い牧師で、私と同じくらいだろうか。

 「明日はイエス様の誕生日です。星がイエス様の誕生を知らせてくれたように、私は皆さんお一人おひとりの上に、星が瞬いている、と思うのです。私たちは、どんな存在であっても、意味があって生まれてきていると思います。人生にはいろんなことがあります。悲しいこと、嬉しいこと、楽しいこと、辛いこと。しかし、どんな時であっても、星はあなたの上にあります。輝き方が少し変わることはあるかもしれませんが、あなたを導き、あなたを安心させるものです。その星を信じてください。あなたは一人ではありません。人の数だけ、星がある、と思っています。今宵もあなたは星に照らされています。では、お祈りをします...。」

 礼拝が終わり、家に向かう。吐く息が白い。空は漆黒で、星の幾千幾万数多の輝き。

 私の星はどれだろう。

 「お父さん。私は私を許します。あなたがそうしたように。お母さん。お父さんに会えたかな。お兄ちゃん。どこにいてもきっとお兄ちゃんの星は、頭上にあるよ。私は一人じゃない。」

 私は意味があって生まれてきたのだ。そう思いたい。

 仕事で関わっている乳児から就学前の子どもたち。この子たちを抱き上げるたびに、ともに過ごすたび、癒され励まされる。あの子たちにも、一つひとつ星はある。

 私には、家族はいないが、託児所の子どもたちは、私を必要としている。職場でも必要とされている。

 そうだ。誰かに必要とされる喜びを私は求めて生きているのだ。

 そう思った時、キラリと光ったのが私の星のような気がした。

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

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