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その日は突然やってくる〜意識を失うまで

私はパワハラで適応障害と診断され休職した経験があります。
パワハラの詳細はブログに記載してありますのでご興味ある方はご覧ください。

突然やってくるのは、意識を失い働けなくなる日のことです。当時の私はパワハラに耐えながらも毎日出勤していました。体調はすこぶる悪かったのですが、出勤してしまえば周りに笑顔を振り撒き何事もないように過ごしていました。

しかしその日は突然やってきました。。
いつものように出勤していたある朝、乗り換えるため電車を降りたところで意識を失ってしまいました。その後の記憶がありません。誰かが助けてくれたのか。自力でなんとかしたのか。気づいた時には駅のトイレの個室で泣いていました。時間を見てみると就業開始時間を過ぎていました。仕方なく課長に電話をして休む旨を伝えました。(パワハラをしてきていたのは課長代理でした)
悪い癖で強がってしまったのか、課長にも少し体調が悪いとだけ伝えてその日だけの休みをもらいました。
自宅に帰ろうと立ち上がったのですが、視界が定まらずフラフラしたことを覚えていますが、どうやって自宅に帰ったかも覚えていません。

断片的には覚えているのですが、朝乗り換える所までの部分と、翌朝自宅のベッドで目を覚ますまでの間の記憶が朧げです。
翌日も体調が悪かったので休みの連絡を入れ、精神科を受診しました。精神科はすぐに見てくれる所が少なく、早くて2週間先の病院もありました。なんとか当日診てくれる病院を見つけて、少し離れた駅の病院まで行きました。
そこの医師があまりにも酷く、詳細を話したところ
「それくらいだったら大したことないね」
と言われてしまいました。
1週間休んでみて、また来週来てくれということだったので、会社には1週間休みたいと連絡を入れました。仕事で迷惑を掛けてしまうことにはなりましたが、課長は了承してくださり1週間休むことができました。
診察を終えてすぐに、別の病院を探して1週間後の予約が取れました。

1週間休めば体調は良くなるだろうと思っていたのですが、一向に良くなりませんでした。めまいや動悸がして、夜も眠れなくなり体調はどんどん悪くなっていきました。別の病院で適応障害と診断されて1ヶ月休むことになりました。その時初めて、こんなに悪い状況だったのかと実感することができました。
診断書を貰い、休職の手続きをしました。

あの朝、急に気を失ったのは心からの最後の合図だったのかもしれません。本来であればその前に自分で対処をして、上司などに相談すべきだったのですが、厳しい指導に負けない(後にパワハラと気づく)気持ちがあり、無理をし続けていました。
今思うと厳しい指導なんかではなく、単なる言葉の暴力でした。(私の心を殺したのである意味殺心です)

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