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笑顔は便利ゆえに自分すらときどき騙す



「いっつも笑ってるよね、楽しそう。」

「笑い声大きいよね」


あぁ、何回言われた言葉なのだろうか。


別に笑ってるのは嘘じゃないよ。面白くないわけじゃないよ。


でも、人間は多面的なのにどうしても人は一面ばかりを見る。

わたしもそうだ。



「人には人の地獄がある」そんな言葉を聴いたことがある。辛さなんてわかってもらおうだなんて思ってない。ううん、ちょっぴり嘘。少しでもわかってほしい。

どっちが辛いとか比較なんてできないし、同じ体験はできない。気持ちを完全にわかる、という文脈のわかり合う、だなんてできないのかもしれない。

なんならその辛さは過去のものなのだ。だから厳密に言うと"辛かった"ことになる。ずっとずっと前のことなのに重りのようにわたしの足にくっついて離れない。歩みを遅くさせる。



そう、この笑顔は偽物でもない。でもときどき本物でもない。笑っているのは楽なのだ。いつも楽しそうな人でいればそれ以上は踏み込まれない。他人は幸せそうな人間にあまり興味がないのだと思う。

こんな笑顔の仮面をつけ始めたのはいつだっただろうか。正直覚えていない。わたしは笑いのツボが浅いし、感情表現も豊かだと思う。だけど、いつからか本当に笑っているのか空気を読んで笑っているのか、わからなくなってしまうことがたびたびあった。

言わば怖いのだと思う。笑顔で取り繕ってきたキャラクターを今さら外せない。もしも暗い自分を見せたら周りは失望してしまうのではないだろうか、と常に怖い。



自分のことを知ってもらうには、この鎧をいつか脱がなきゃいけないのだろう、と思う。自然に脱げる日が来るのだろうか。

自分の中身を言い当てられたことが一度だけあった。5ヶ月ほど前、「どんな気持ちでアクセサリーを作っているの?」とある男の子から聞かれた。そのとき激しく動揺して答えられなかったのだ。ふざけたことを言いながら適当に流した。

その後、「こうやってふざけている人こそ、実は悲しさとか持ってたりするんだよね。」と言い放った。何も言えなかったし、これ以上何も言って欲しくなかった。自分の中に土足で踏み込まれた気がしたのだ。ドアを無理やり開けられた気がしてとてもとても怖かった。

別に彼が悪かったわけでは全くない。むしろわたしの態度が不自然だった。今でも思い出しては息がちゃんとできなくなるから、相当核心をつかれたのだろう。



それでもまだ、笑ってへらへらすることをやめられそうにない。自分にとって実は一番省エネなモードが笑って仮面をつけることなのだろう。


やめたい、とはあまり思ったことがない。笑顔でいてメリットを享受する方が多い気がするからだ。そこそこいい印象を持ってもらえるし、周りの空気が明るくなるなんて言われるのはうれしいかぎり。


心の矛盾と小さなあきらめを抱え続けるのを代償として。




日常からそっと逃避行する時間に使わせていただきます。