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大切なのは地位や名誉じゃないんやでって話。

かつてバイトしていたファミマの店長が大阪弁でした。

表題は店長の言葉ではありません。
彼はどうしようもないクズ人間だった。

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仕事のモチベーションを維持することが難しくて困っている話を、過去に以下の日記にて綴らせて頂き申した。

仲間が育休に突入したり、会社のセキュリティ的イベントが続いたり、新たな退職者からの引継ぎ云々で再び少々仕事が濃厚になりはしたものの
相変わらず9割超提示脱獄が図れる程度に業務は落ち着いている。

こうして平日にnoteが書けるぐらいには時間に余裕があるし、若干noteを開くのが癖付いてしまっていて我ながらどうかと思っている。


どうしたらモチベーションが上がるのかを日々考察しつつ、3月いっぱいで辞めてしまうことが決まっているバディと今後のことについてよく話し合う機会があるんだけど

誰の役にも立たないような気付き事項を備忘録として置いてみようと思う。


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私は物心ついたときからピアノを弾いていた。
長らく嫁に行かなかった叔母が保母さんだったこともあり、祖父母の家には小さなキーボードがあった。

当たり前のように鍵盤楽器をおもちゃとして使っていて、小学生に入る頃には エレクトーン教室に通わせてもらうことになった。

鍵盤楽器は楽しかったし、自分に絶対音感があることには割と幼いうちから気付いていた。楽譜を見て練習して弾くことよりも、耳で聴いた音をそのまま自己流で弾くほうが好きだった。


エレクトーングレードなるものも取得したが、人に教えられるレベルである5級に達する前に辞めてしまった。
どんどん高くなる月謝と、それに比例しない音楽への熱。

中学に入る頃には、【決められた音楽を決められた通りに演奏する】ということに魅力を感じなくなっていた私は
将来就く予定もない【エレクトーンの先生】になるための資格を取ることや、そこにかける月謝が勿体なくなって、辞めた。


長年お世話になった先生と離れるのは寂しかったけど、先生も私が 指示される音楽に楽しみを見出せなくなっていることに きっと気付いていて
私が 教室を辞めても自分なりに音楽を楽しみたいと思っていることや、その頃には友人と組んだバンド活動で人前に出たり聴いてもらう機会があることをとても喜んでくれた。


当時、母の同僚だった20歳ほど年上の殿方2人と、フォークトリオを組んでいた。
それぞれが楽器を弾いて、それぞれが歌う3人組。コピーもやれば、オリジナルもやる。最初は単なるキーボードの助っ人だった私も、時を経て2人と同じように歌ったりオリジナル曲を披露するようになった。

そのうちの1人が、ガンに侵されて天命を全うしたのが今から17年前。

解散こそしなかったトリオも、プライベートで今も交流は続いているものの、ステージに立つ機会は激減した。



メンバーが亡くなって1年後あたりだったと思う
ひょんな機会で紹介してもらった喫茶店で、一人で弾き語りライブをさせてもらうことになった。

トリオに加入する前から、人前にこそ出ていなかったものの ネットでオリジナル曲を作ったり歌ったりはしていたので、ネタはたくさんあった。


当時、今でこそ当たり前のように蔓延っているInstagramはこの世に存在しておらず、Youtuberという言葉も生まれていない時代のYoutubeや 楽曲専用サイトのようなものに投稿したりする地道な活動をしていただけ。

一人になっても人前に出続けるという選択肢は、なかったわけではなかったけど、戦友を失った悲しみから立ち直り切れていない複雑な気持ちだった。


しかしながら、どうか一人でも活動してほしいと応援してくれる人たちや
何より亡くなったメンバーが私の音楽活動や人懐っこさ、誰とでもどこに行っても打ち解けられる人間性をとにかく褒めちぎってくれていた事を思い出して、ありがたく承ったのが 単独運転の始まり。


それからというもの、出発の地となった喫茶店では 店じまい最終日まで定期的に歌わせてもらって
変わらず続けてきたインターネット上での活動に加えて
バンドへの助っ人参戦や、単独ライブで、数えきれない程のステージに立たせてもらった。


今でこそ、こんなご時世なので
自粛も含めて数年間 人前での活動はしていない。

でもこうなる前から自分の中でずっと抱えていた音楽への思いというのは、一般的に音楽を愛する歌い手、弾き手の人々とは少し感覚が違うことには気付いていた。


音楽でお金を稼ぎたいとか
よりたくさんの人に聞いてほしいとか
自分の音楽を評価してほしいとか

そういう気持ちを、実は抱いたことがない。


歌いたいから歌う
たまたま聞いてくれた人がいる
その人が偶然喜んでくれたら、嬉しい。

それ以上の願望がない。

もちろん聴いてくれる人がいる限り
できるだけ失敗しないように、できるだけ心を込めて、演奏はするんだけど

そこに見返りを求めてしまった途端に、「音を楽しむ」ことができなくなってしまう。


だから一度だけ、スタジオの社長から打診されたCDデビューの話も【作ってもいいけど売るのは嫌。無料で配っていいならやる。】と超絶上から目線でほざき倒し
実際録音して1枚だけ作ってくれた音源を自分で複製して、致し方なく参戦した「お金を払って見るライブ」に来てくれたお客さんに配ったりした。

念のため説明しておくと
その社長は私に打診をかます少し前に、私より若くて綺麗で歌も上手いソウルフルな女子をプロデュースしてデビューさせており、調子に乗っていた。

前から私には「御子ちゃんは歌がうまいわけではないけど雰囲気がある。」と言い、ことあるごとに私に自分が好きなユーミンを歌わせるというパワハラを行う人だった。


ユーミンが嫌いなわけではないけど、私は私の好きな歌を歌いたい。
練習もできないのにお客さんからお金を取るライブをするのは嫌だ。そしてあなたの値段設定は高すぎる、むしろお金がかかることがわかってんなら先に言ってくれ と、一般素人の分際で食って掛かっていた。

そのちょっとハッキリ言う強めの女が、たぶん社長は好きだ。



少々お話が脱線しましたけども

本当は、評価されない ことが怖かったのかもしれない。

無償で与えることで、評価を期待せず、見返りを求めないことで、認められていると勘違いできる安全な居場所を作りたかっただけかもしれない。


その枠の中で、喜んでもらえることに、安心してた。
そうじゃないと歌えなかったんだろうな、と今は思う。



そんなわけで、時折参戦したバンドで仲間たちがこぞって奮闘した、お客さん集めやそれに伴う準備と練習、時には上を目指して受けてみたオーディションなんかも、正直私自身のやる気が沸き起こったことはほとんどなくて

そんなことはもちろん仲間には伝えないし、実際に手を付ければ みんなと一緒に力を合わせてする作業は楽しいんだけど

なんというのかな
根本的に向上心がなさ過ぎて、みんなの熱に付いていけなかった。


No Music No Life!

なんて言葉をおまじないのように言い放っても

私は音楽が好きなだけで
音楽でお金を稼ぎたいわけでも、メジャーになりたいわけでもない。もうこれは仕方がない。



そういう感覚が、仕事に対する思いと少し似ているな、と感じたのが最近の話。

地位や名誉にまったく興味のない私は
業務に役立つかもしれない資格を取ることは、音楽でいうオーディションを受けるのと同じ。

時には周りを蹴ってでものし上がって給料を上げたいとか昇進したいとか、今の生活で困っていないのに必要性を感じない。


仕事にやりがいを感じていないわけでもないし
役職がないから頑張らないというわけでもない。

ただ私は
ユーザ様からの感謝の言葉で持ち堪えていて
助け合える仲間がいるおかげで救われている。

逆に言えば
それがあれば十分幸せであって、満足してしまう。


他の時間を削って勉強して、高いお金を払って資格を取って、それが昇進や昇給に繋がる可能性があったとしても
そうなることで失われるものや、かけられてしまう期待の方が怖い。


集客して、たくさんの人にステージを見てもらって評価されることで、それがデビューに繋がる可能性があったとしても
そうなることで追いつめられる自分を想像して、不安になる。


仕事に対しても、音楽活動に対しても、私生活全般においても、【現状維持】が自分にとっては何よりも安心材料で
リスクを冒してでも進化を遂げたいと思うような向上心が、私には絶望的に足りていない。


*****


最近の仕事は、自分にしかできない作業が少しずつなくなってきて、業務量自体も全体的に減っていて、かつてのように21時22時まで会社にいることもなくなった。

自分一人で抱え込んで追いつめられることもなくなったし、そうなる前に相談できる仲間たちもいる。


業務標準化のために自分しかできない仕事を引き継いだり、取り纏めに任命されたことによって直接ユーザ様と会話をする機会はほとんどなくなった。

唯一残っている島流し出張任務でその破片が残っているだけで、それも今後 誰でも行けるように運用改革する予定。


ここには私がいなくても大丈夫だな、という安心感は
同時に、自分という存在が必要ない という虚無感を生んでしまっていて

これまで少なからず【仕事】という居場所に執着してきた自分の弱さが、モチベーションのだだ下がりに繋がっている気がしてならない。


17年という長い期間、同じ環境で奮闘し続けてきたからこそ培った経験値や、築き上げた信頼関係を手放すのがずっと恐怖だった。

どんなに仕事が辛くて、助け合える仲間もいなくて、身も心もボロボロになって、帰り道に何度も自転車ごと川に身を投げようかと悩んだ時代ですら、【仕事を頑張る自分】に対する執着から抜けられなかった。


頑張るほど仕事がない状況に置かれて
初めて、その執着から解放されている。



そしてこの時代において、致し方なく制限されてしまっている音楽活動も、自分自身が対して熱を帯びた活動意欲がないことに対する逃げ道になってしまっている部分もあったりして

言葉選びが正しいかどうかわからないけど
ありがたい とすら、感じている。



原点に、戻ったわけである。


やりたいことを、やりたいように、やりたいだけ、やる。

それに対して評価されることもされないことも
全然重要ではなくて

モチベーションという名の向上心は
やっぱり ある とは言えないけど

そうなって初めて
【心から楽しめる】という事だってあると思っているし、自分が心から楽しむことによって周りに与える影響が良くなったりすることも 大いにあると思う。



結局のところ

仕事も趣味も、必要以上に頑張る必要はなくて
生活をキープするための最低限の努力 は、する必要があると思うけど

人の上に立つことが
たくさんのお金を稼ぐことが
少しでも多くの人に認められることが

そんなに大事なのか、と考えたときに

もっともっと根本的に、大切にしたいものってきっとたくさんあって


言い訳のようになってしまうけれど


私はずっとずっと昔から
そのことに気付いていた天才なだけでした。

っていうお話です。



(は?)



ご清聴ありがとうございました。

一人でも多くの人間どもが
穏やかに幸せに暮らせますように。


頑張ることや
頑張れない自分に疲れちゃった人は

お風呂にぬるめのお湯貯めてゆっくり浸かってね。

で、湯冷めする前に布団に入ってね。

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