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それを親孝行とするならば

ゆっくりゆっくり行きたいのに
突然決断を迫られちゃってオドオドしている39歳のお話。

あれから冷静にいろいろ考えたんだけど
私が【冷静】なんてのは自分に言い聞かせてるだけで、大して冷静でもなんでもないんですけどもね


恋人タミオ君の家族にご挨拶にお伺いする前に
勇気を出して産婦人科のティーチャアに自らの妊娠確率を聞いてきたものの

思いがけずピルの服用期限があることや
妊活の要否について決断を迫られる事態となり

やむを得ず恋人様に全てをぶちまけて話し合った結果

子供ができなくてもいいという気持ちは交際当初と変わらないこと、私の健康が最優先であること、やっぱりそれでも一緒にいたいと思っている、という愛情溢れるお気持ちを聞けた。がしかし

相手の子孫を残してあげられないという罪悪感から、その言葉が本心なのかどうなのか判断ができなくなってしまって 常時【引け目】を感じながら生きているのが最近の私です。


妊娠の可能性や流産の確率、一般的な年齢によるもの以外に諸々の病気があった場合の変動については、これまでも何度か確認しようと思ったことはあった。

結婚を視野に入れようと思える相手ができたことにより現実味が増し、真実を聞くことが不安だったりもしたものの、私の中の林先生が『いつ聞くの?』『今でしょ!』と言ったので聞いてきた。


結果、突然決断に迫られて困惑したからなのか、話し合うための残り時間が少ないことに戸惑ったからなのか、私は診察室から出た後に言い知れぬ罪悪感と悲しみに打ちひしがれて 小粒の涙を流すなどしたんだけど

なぜ私はあの時悲しかったのか
その、自分的に所謂冷静に考えた結果
気付いてしまったことがあった。



私は、可能性はゼロに近い とでも言われてトドメを刺されたかったのかもしれない。


年齢や病気のせいにしたかっただけで
できる可能性とかできない可能性とかじゃなくて
私は子供が欲しくないんだな と思っちゃった。

それを恋人に伝えることが悲しくて
子孫を残すという選択肢を奪ってしまうことが辛くて


ある程度、お互いの気持ちがちゃんと相手を向いていて、今後のことを考えるような間柄になったのに

なれたからこそ
私が心底相手の子供を産んで育てたいという気持ちになれないことが、なんだか女として 苦しくなって、申し訳なさが溢れて 泣いた。


今決めないと、後から欲しいと思ってももう遅い というタイムリミットに焦燥感が爆発していることもあるけれど

先生の言う
病気があってもなくても、できる人はできるしできない人はできないんだから、考えちゃダメだ ということもよくわかる。


薬をやめることによって起こる不調に耐えられるのか
今子供ができて心底喜べるのか
自分にちゃんと育てられるのか

という不安もさながら

金銭的・体力的・精神的に余裕がない状態で、果たして上記の不安に立ち向かえるのかと問われると 決してYES!We can!とは言えない。

いくら愛する人との間にできる子供が見たいとか
自らの子供として子育てをすることに興味があっても
人の命を扱うのにその覚悟がないのではいけないと、我が母性が叫んでいる。100キロ以上先まで届きそうなぐらい、大きな声で。


私にしか聞こえないけど。



私自身が、子を持ちたいという思いより 子育てが怖いという気持ちの方が大きすぎることを 初めて身に染みて感じたというか気付いてしまったために

人生最大の引け目と共存することとなり
愛する恋人タミオ君に対して、多大なる罪悪感を抱いてしまうこととなった。




無意識のうちに、子供を作らないという決断をすること を 正当化したかった自分がいたんだな。

子供の有無が幸せの尺度と一致しないことを頭ではわかっていても、やっぱり 結婚することや子供がいることが幸せなんだという方向性で私を説得するご近所住民(大きなお世話)がいることも現実で

世間はやっぱりまだ、そういう考え方を拭い切れない部分があると思う。


それに立ち向かう勇気が私にはなかったんだなと思ったら、とても情けない気持ちになった。

子供ができない理由を、年齢や病気のせいにしておきたかったり
結婚しない理由を、子供ができない理由にしておきたかったり


実際はすべて、子育てに不安しか感じられない私自身の心の問題で
それでも幸せになれると信じて「私は貴方と結婚したいわ!私をもらって頂戴!」と言いきれない心の弱さである。



タミオ君があの時、涙を浮かべて伝えてくれた愛情や優しさを、私は素直に受け止めて それでも一緒にいて欲しいとその場で言えたらよかったのかもしれないな、と今は思う。

その方がタミオ君も喜んでくれたかもしれないし、タミオ君も決意が固められるきっかけになったかもしれんな。


私は今後、少しでも心身ともに健康でいて
タミオ君をそばで支えていられる存在でいられたらいいな、と思っているし

完全な結論は出せずとも

きっと我々は、これからもずっと二人でいる方が
総合的に穏やかに暮らせると思う

という共通意見が、今も変わらない気持ちであり、唯一の救いだったりしている。


*****

ちなみに、既に子を持つ母となった妹二人にも、決断に迫られている現状を報告してみた。

結婚する前もしてからも、息子が生まれるまではとにかく二人の世界や時間をずっと大事にしてきた次女夫妻は
未だに 二人であちこち旅行をしたり、自分の時間があったり自分を最大限に着飾ったりできたころを懐かしく なかなか叶わなくなった今、それを寂しく思うこともあるらしい。


不妊治療をするために、それこそ期限を迫られて泣く泣く籍を入れた三女夫妻は、壮絶な戦いの末に生まれた息子がいない生活は 今となっては考えられないし、治療も手術も出産も、何一つ後悔していないと言っていた。

大きくなって手が離れて、夫婦でデートができるようになったとしても、子供を気にせず生活することはもう不可能だけど(そこは妹のみの意見で、旦那は放任主義らしい)それはそれで幸せなんだって。


子供がいることで感じられる幸せと
子供がいないことで感じられる幸せは別。

どっちがいいとか、悪いとかの話ではない。


きっと、私とタミオ君は
【もし妊活をすると決めて頑張ってダメだった時のショックに 二人とも耐えられないと思う】という、考えてみればごもっともな意見と

【一度子供を持ってしまえば、子供がいなかった頃の生活や気持ちに戻ることは二度とない】という三女の言葉が身に染みた。


壮絶な不妊治療を続けて、時には命の危機も味わった妹だからこそ。できない気持ちも、できた幸せも分かる立場だからこそ、言える言葉もあるね。
実に貴重な存在が身近にいて、ありがたいな と思った。



母は我が家で唯一不妊治療にも縁がなく、若かりし20代に何のトラブルもなく我々三姉妹を産み落としている健康母ちゃんだった。
娘には幸せになってほしい という気持ちや、愛する人との子供を産んでほしい という希望はそりゃ果てしなくあるでしょうし その想いは私たち娘が思う以上に純粋で強くて固いものだと思う。

それでも、闇雲に『絶対アンタは子供ができる』と言い切る母に、やっぱりどこかで 私の気持ちはわかってもらえない と思ってしまう自分がいたりする。


私は現状、子供ができない身体を嘆いているわけではないし、子供を産まない選択をしたくないわけでもない。

決して、できるよ!産めるよ!と励ましてほしいわけじゃない。


日頃「アンタにできるわけがない」「私がやらなきゃいけない」って、おまじないのように言われ続けてきたいろんなことを、たとえ自分にできるはずのことも、信じて従ってきたけど

私ができないと受け入れていることを、できなくて困っていないことに対して「できる」と説得されることを、

結局のところ母は私の気持ちや希望より、自分の理想を押し付けているだけなんじゃないかと 思ってしまう。


もはや先入観と言われてしまえば、そうなのかもしれないんだけれど。

私はそんな母との関係性に悩んで
自分の子供を持つことや、子育てをすることに怯えているのに。



私がタミオ君との間に子供は持たないと、今後二人で話し合って決めたとして、それを報告してショックを受けるのは もしかすると彼のご両親より私の母親かもしれないな。


私が本当に親孝行できるのは、いつになるかな。


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