『安楽死』考察。


 まず、Twitterでのみ度々議論にあがる「早く安楽死を合法化しろー!」というお話だが、年齢・健康状態等無差別の安楽死制度は100%実現しないだろう。
 もし仮に実現するとしたら、日本社会が本当に維持できなくレベルの少子高齢化が進み、それでも相当な(恐らくほとんどの人間が該当しない)レベルの年齢や健康状態の制限をかけた上で、だろう。

なぜ無差別安楽死が合法化しないかという理由だが、尊厳とか生物学的な生きる意味とか人道的配慮だとかそんなふわふわした理由ではない。財源。以上。
 自分から死のうという人間に金を出す人間はいない。俺だって出したくない。
 日本には現在手付かずの山々や森林が腐るほどある。
 もし真剣に安楽死を考えているコミュニティが存在するのなら、それらを買取り、開墾し、施設を建設し、維持するような仕組みを民間で作り出すべきだ。無論、自分たちのお金で。


 最後に、自殺について自分の立場を示すことにするが、自分も自殺を二度試みた人間として"死にたいな”という心理状態は理解できる。「他人の心を理解できる訳がない!」と宣う人間がよくいるが、それは大いに間違っている。他人の心は『理解できる』。そういう人間は理解と同情を一緒くたに考えているからそう叫ぶのだ。

 俺は人に迷惑をかけなければ自殺はしても構わないと考える。迷惑とは死んだ後のことも含む。なので、遺書は必ず書いておくべきだ。(ちなみに、人間は本当にいつ死ぬか分からないので、遺書とまで格式ばったものではなくてもそれに近いもの、自分が突然死んだ時に葬式は誰を読んでほしいのか、お金をどう使ってほしいのか、大切にしていた宝物はどうすればいいのか等を書き留めて置いておくことは万人におすすめしておく。)

以上、考察である。
 
 
 

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