核廃棄物と人類

例によって大学のレポートそのまんま。

今まで扱ってきたテーマは、もし仮に人類全員が本気で取り組もうと思えば解決も見えてくるような内容だったが、核廃棄物の問題に関して言えば、「原子力を使わない」という選択をしない限り決して本当の意味で「解決」することはない問題だと思う。

けれど、これだけ規格外の力を目の前にして、愚かにも人類というのはあまりに弱い。

自分たちに対して「自然の中の1ピースにすぎない、ひとつの種の動物」という謙虚な認識をするのであれば、核というのは「使わない」のが賢明な正解だと思うが、もはや人類種は「自然の中に生きる動物のなかのひとつ」という自己認識にとどまることができていない。今となっては「自然」という言葉の対極にあるのが「人為」という言葉なのだから、明らかに人間は自然というものを自身の外側にあるものとして認識してしまっている。

「核を使うかどうか」というテーマは「人類という存在が世界に対してどのような存在であると主張するか」と同義であると思う。

持続可能性というテーマとは根本的に違う、自らの存在をかける問いであるにもかかわらず、現状我々は、核なしに電力需要を満たすことができないという、言ってしまえば消極的な動機でそれを利用している立場にある。

しかし「それがなければ立ち行かなくなる」という理由だけで使い続けると決めるのはあまりに危険な手段であることを知ったうえで、人類全てが、決して考えることをやめてはいけないと思う。

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