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父親は、自分と似ている

歳を重ねるたびに、自分という人間がますます父親に似つつあるように感じる。

10代の頃は「社会性を欠いた頑固おじさん」という目で見ていたのに、気がつけば自分までそれに近づいている。

大勢で行動することが苦痛になった。
賑やかな場所が苦手になった。
流行り物を拒むようになった。
人生の憂いについて思いを巡らせるようになった。

ネガティブな内容ばかり列挙してしまったが、逆に楽しみを感じるところも近いように思う。

もはや自分の人生は、「もし父が平成の世に生まれていたら」の世界線を体現しているのではないかとさえ感じる。


しかし、そんな父が二十代後半の頃に歩んだ道は、同じ二十代後半の自分からするとどうも不可解なものに思えてならない。

睡眠時間も確保できないほど仕事が忙しくて、趣味に費やす時間もなくて、その傍ら博士号を取るための研究に追われていた父は、なぜか二十代後半にして母を迎え、翌年には父”親”になった。

「なぜ?」

なぜ、一人で趣味に耽る時間が好きなオタクが、他者の意思に時間と資金と気力を吸われる決断をした?

自分が鉄道旅の話をするたびに「羨ましい」とぼやくくせに、なぜわざわざそれができなくなる選択を取った?

「仕事終わりに平安文学やフランス哲学を読み耽って、深夜アニメをいっぱい消化して、休日は乗りたい電車や船に乗りに行く」…
そんな生活に、1ミリでも憧れなかったのか?


確かに、人類にだって子孫を残す機能はプログラムされているのだから、上記の理由についても「自然の理だ」と言い放ってしまえば、その限りだ。

しかし、父は聡明な人間だ。一過性の感情にけしかけられて「好きな人とずっと一緒にいられたら死ぬまでハッピー」なんて幻覚に酔った結果、気がつけば家庭という責任を抱えていた…そんなことはないだろう。

別の見方をしてみると、今に比べて、当時はまだまだ「家庭を持たないヤツはヤバい、訳あり、非国民」なるレッテル貼りがさかんだった。
その風潮に逆らえず、義務感に駆られるように家庭を持つことになった人々も実際たくさんいるだろう。

しかし、父は頑固な人間だ。社会からどう見られるか程度の理由で、渋々自分の望まない選択を取るような真似は見せないだろう。


となると、父は明確に前向きな意志を持って、この選択を取った線が濃厚になる。

きっと、一過性の感情でもなく周囲からの評価でもなく、何か目的があったのだろう。

自分の世界に耽る時間や資金を犠牲にしてでも、果たしたかった目的が…


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ふと、数年前の出来事を思い出す。

妹が第一志望の大学に合格し、進学を決めようとしていたが、父はその大学のことを忌み嫌っており、「他に受かったところにしないのか」と文句を垂れていた。

当然妹としては第一志望だったため、そこへ進学したいという意志を示したところ、父は強硬的な態度を露わにした。

「妹と口を聞かない、自室に引きこもる、入学金を払おうとしない」…ある種のボイコットだ。

妹の受験を応援していた自分としては、歯切れの悪いハッピーエンドに我慢がならなかった。

妹にとって人生で数度レベルの祝いの場を、通夜にしたくなかった。


自分は、父を説教しようと思った。

「かねてから抱いていた不可解な思いを、理詰めでぶつけて、ぶつけてやる…!!」


最初から本題には気づかせまい。
まずは雑談風に、論理の土台から。

「つくづく父さんと自分は似た人間やなぁと思うんやけど、なぜ家庭を持とうと思ったん?
自分は、自分の意思で時間や金を使えなくなるのが絶対に嫌なんやけど。」

「まぁな…昭和の人間としては、”家庭持って初めて一人前”って認識があるからなぁ。」

それだけが理由だとは思えなかったが、そんなことはどうでもいい。
自分が突き詰めたいのは「時間や金を他者の意思に吸われる選択をした」、そこのところだ。

「子供を持つって、自分のコピーでも操り人形でもなく、別なる意思を持つ生命への責任を、この手に負うこと。たとえそいつが自分の好きじゃない道を望んだとしても、親としては応援してあげなあかんことになる。
こんな理不尽を、父さんは望んだん?
自分には無理や…」

「……」

さて本題を突きつけるぞといったところで、何故か自分は感情を抑えられなくなった。
涙袋はもはや決壊寸前だった。退路がない。
勢いで走らざるを得ない状況だった。

「まあ、変な話をしたけど何が言いたいかってさ…

妹の合格を聞きつけて実家に帰ってきたってのにさ、この数日間の態度は何なん!!?こんなんおかしくない!!?
アイツなりに努力して、一番行きたいところに受かって、そこって親としておめでとうって言ってあげるところじゃないん!!何で祝うどころか無視なん!?
こんなんおかしい、おかしいって……!!!!」


最後の最後、大事なところで語彙力が崩壊した。
ボロボロと溢れ出る涙のせいで、まともに言葉を繋ぐこともできなかった。
静かなリビングに、自分の嗚咽が響いた。

母、静かに涙を流す。
妹、無の表情で棒立ち。

「分かってる、分かってる…。
理路整然としていて、アンタらしい…」


その後しばらくのことは記憶から消滅したが、結局妹はその大学への入学を認めてもらえた。
ほとぼりがさめてから、LINEで「大学生活が楽しみになったよ、ありがとう」と来た。

直接言わんかいアホ


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あの頃、29も歳下の若造に変な説教をかまされて、父は何か考えただろうか。

たかが若造の号泣芸といえど、仮にも同じ血を継ぐ者。ましてや似通った人格を持つ者。

ちょっとぐらい、過去の思いに立ち返ってみたりしたのかな…。


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今の自分の生活空間は、心を際限なく遊び回らせることができるもの。

電車乗りたいな、バイク乗りたいな、音ゲーしたいな、歌いたいな、バカ食いしたいな、飲み耽りたいな。

そう思い立てば、この体はいつだって自分だけのもの。
そんな無限の自由が、幸せが、今後もずっとずっと、永遠に続く


外気は摂氏一桁の寒空、厚手の羽毛布団にくるまりながら、冷え切った部屋の寒さを凌ぐ。

自分の心には、確実に何かが欠けている」…
そんな余計なことを考えながら、脳裏に僅か残る幸せな記憶を指で辿る。

欠けた何かを埋めるためなら、人はどんな犠牲も厭わないものなのだろうか。
人は、心にぽっかりと開いた穴に耐えられないから、嬉々として人生の墓場に身を突っ込むのだろうか。

…だめだ、自分にはできそうにない。
いくら麻薬的な幸せがあったとしても、無限の自由を手放す勇気はない。

自分のような人間、幸せの極大値を追い求めている限りは、一生今のような毎日が続くのだろう。


そう思うと、父は高波のように訪れた幸せに、確固たる意志を持って身を委ねたのだろうか。
結果としては母の尻に敷かれているし、充実した趣味の世界を楽しんでいるとはとても言い難いが、当の本人は特に後悔していないように見える。

第一子がこんな頭のおかしい文章を書き連ねる人間に育ったのは申し訳ないが、ここまで色々書いてみると、少し父の考えに理解を示すことができたような気がする。

もちろん本人に答え合わせをしたわけではないので、全て想像の範疇だが。


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何だか、難しいことを考え過ぎて少し疲れた。

唐突に、数年前に一人で居酒屋に行った時に、近くで一人で飲んでたおっちゃんが放ったセリフを思い出した。

「まぁ結婚なんかするのってさ、えっちしたいからじゃん?」


まさか親がこんなこと考えてたかも…なんて、微塵も思いたくないけど。

当時の自分なりに、このおっちゃんの気持ちはちょっと分かる気がした。

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