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落語「芝浜」からみる「お金」の考察

落語「芝浜」はおよそこんな話です。

魚屋の勝五郎は大酒のみ。女房にケツをたたかれても懲りることなく、さぼる口実を探し飲んだくれる日々。ある日、芝浜で古い財布を拾ってみると中には42両の大金が。勝太郎は仕事をほっぽりだし、どんちゃん騒ぎの挙句酔いつぶれて寝てしまいます。女房に起こされた勝五郎は、「財布なんかない。夢でもみたのだろう」と仕入れにいくよう家を出されます。年が越せないほど商売は困窮しているのに、財布を拾ったのは夢、どんちゃん騒ぎは現実とあっては、さすがの勝五郎も目が覚めたのでしょう。きっぱり断酒し仕事に精を出すのです。

それから3年、もともと腕がよかったせいもあり商売繁盛でお店をもつまでになります。年越しのある日、女房が差し出したのは紛れもなく芝浜で拾ったあの古い財布。聞けば女房、大家さんに相談したところ「拾った金を使ったら犯罪になる、奉行所に届けて夢だったことにしろ」と言われてそうしたが、このたび落とし主不明でもどってきたというのです。酒まで断って頑張ってたのに申し訳ないと陰で泣いて手を合わせていたという女房に「あのままだったら、俺のクビはなかった。お前のおかげだ。」と感謝する勝五郎。「もう大丈夫だからお前さんお飲みよ」と用意されたお酒を前に勝五郎はこういいます。

「いや、よそう。また夢になるといけねえ」

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◆お金はいつでもそこに「在る」

42両が入った財布はずっと「在る」んです。単に居場所が違うだけ。
あるときは芝浜に、あるときは勝五郎の家に、次は奉行所、そして再び勝五郎宅へ。
なぜわたしたちはそれに振り回されるのでしょう。
何故勝五郎にお金が戻ってきたか、そこにヒントがありそうです。

◆何を信頼して生きるか

女房が危惧したのは、勝五郎があぶく銭に依存して身を持ち崩すこと。
ウソも方便です。
実際、財布はない、頼れるものは自分の腕だけだ、肚をくくった時点で勝五郎の磁場が変わりました。
分を信頼し、自分とつながったことで現実が動いたのです。
3年という年月も大事なポイント。
石の上にも3年。量が質に変わったのでしょう。

◆棚からぼたもち

大酒飲みを返上し、腕一本で精進していたら、いきなり42両が手に入りました。
いわゆる「棚からぼたもち」です。
自分の磁場が変わったから、お金がふってわきました。
いわゆる「引き寄せ」ですね。
でも、何もせず寝ていたわけではないんです。

◆お金は信用の現実化

勝五郎が貧乏だったのは、酒や環境など自分以外のものにすがり、自分を信頼していなかったせいでしょう。
わたしを含め多くの人がお金が「ない」と不平不満を抱き、不安にさいなまれるのはそういうことです。
お金はいつも在るんですよ。42両の財布がいい例です。
貨幣はそれ自体に価値があるのではなく(昔の小判は別ですが)信用が形を変えたもの。
本当の意味で自分を信じられない人の所へお金がくるはずもありません。
この世はフラクタルですもんね。

◆わたしたちはすでに大金持ち

お金は常に世の中に流通しています。
たまたま「今」あなたの口座になくっても、必要なときに「在」ればいいわけですよね。
実はわたしたちすでに大金持ちなんですよ。
経営者のみなさんは特に、不安で胸が苦しくなったら芝浜の勝五郎を思い出して。
今、何をすべきかわかりますよね。自己認識を変えてください。
あなた以外に誰が一番自分を信頼できますか?

◆それでもグダグダいう人は

思考の癖を変える方法をわたしのメルマガで紹介しています。
そろそろ、夢から目覚める時です。
次のステージに行こうではありませんか♪


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