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魂と心の違いを考える 「さよならのつづき」を観て


おはよう。スピリチュアルネイティブのタケルです。

ネトフリで話題になってるドラマ「さよならのつづき」を、モモと二人で観てる。今は5話くらいまで観た。多少ネタバレ含むかもしれない。


臓器移植で、愛した人の記憶が引き継がれる

亡くなった雄介の心臓の音を聞く主人公

軸になるのは、心臓移植によって、肉体から肉体へ「心臓=心」が引き継がれる、という部分。

臓器移植によって、人から人へ記憶や食の好みなどが移る、というのは、実際にある話らしい。ドラマは、主人公(有村架純)の婚約者である雄介(生田斗真)が交通事故で亡くなってしまい、心臓の弱い男性・成瀬(坂口健太郎)に移植されるところから始まる。

成瀬は元々おとなしい性格だったんだけど、移植後は「そんなに変わる!?」ってくらい明るくなる。言わずもがな、この変化は雄介の楽観的な性格を心臓伝いに受け継いでいる。

おまけに、主人公に対する愛情も、そっくり成瀬が受け継いでしまうわけだ。ところが成瀬は既婚者で、妻・ミキ(中村ゆり)とガッツリ愛し合ってる。という悩ましい韓ドラ構図なわけだ。


心の移植、魂の引き継ぎ


このドラマ、前世の記憶がある/それを解消してきた自分からすると、思わず唸らされる場面が多い。特に成瀬の「身に覚えもないのに心が動いてしまう」という戸惑いは、まるっきり前世の記憶が出てくる時と一緒で、例えば初めて訪れたはずの景色が、懐かしくてたまんないってのと近いものがある。

ただ、成瀬の場合、肉体から肉体へ、心臓(肉体の一部)が引き継がれるので、より変化をダイレクトに感じるだろうなと思った。なぜなら、心臓=心とは、表層意識と直結してると思うから。

一方、前世の場合、肉体から肉体へ魂が受け継がれるわけで、普段は今の自分の記憶だけで生きていることがほとんどだ。なぜなら、魂の記憶は深層意識の中で眠っているものだから。

だけど、例えば俺の場合、自分の感情や想い、トラウマと深く向き合うことによって、魂が開いて、前世の記憶が出てくる、という経験を何百回もしてきた。

その立場から見てみると、なるほど、前世の記憶は魂によって引き継がれるが、他者の心臓(肉体)が受け継がれる場合も、反応はほとんど同じなんだな、ということ。

なぜなら、魂が反応するっていうことと、心(心臓)が反応することは、いずれも「肉体にその反応が出てくる・同時に感情が生じる」という点で一緒なんだな、と思ったから。


心と魂は非なるもの?

俺の認識では、魂と心は近いけど別物。さっきも書いたけど、心はより肉体に近いので、表層的な感情そのものとイコールだと思ってる。一方、魂は細胞一つ一つに原子レベルで刻まれるデータだから、どちらかというと深層意識として感じられるものだと思う。

だから、前世の記憶がある自分からすると、成瀬の場合、心=より自覚しやすい表層意識を他者から受け継いでいるので、その心の中に誰か愛する人がいるのなら、もう肉体ごとそこに振り回されて大変だよな…と思った。

まだ5話までしか観てないから結末知らんけど、魂なら「成仏」という概念があるので、これが単に雄介の霊が成瀬に憑依しただけなら、成瀬の体を使ってやることやって気が済んだところで、成瀬はまるで我に帰ったように妻の元に帰られるんだけど。

でも「さよならのつづき」は肉体レベルの記憶を受け継いだ話なので、成仏ってわけにもいかないんだろうから。あるとすれば、主人公の感情が成仏するような結末になるのかな。


これが前世モノだったら

ちなみに、この手のドラマを前世ものに置き換えたら、それこそ前世の記憶で、生き別れた恋人と再会して〜的な物語になるんだろうけど、現実的にはもっとドライな話なのかな。

一人の中に前世の記憶って何通りもあるはずだから、その分恋人も結婚相手も膨大にいるわけで、生き別れも繰り返しまくってたりするので。その相手は、現世では親だったり友達だったり先生だったり、必ずしも恋愛対象として出てこないことも多い。

なぜなら、前世で縁があった人と現世で再会するのは、カルマの解消が目的になってくるので、解消されたら自然とさいなら!みたいな展開も起こりやすいんだよね。そうじゃないこともあるかもだけどさ。

経験上、心は留まりたがるものだけど、魂は成長したがるものだと思う。

なぜなら、魂はいつだって、痛みを溶かし、学び合う先で開ける、未知なる体験を求めてるものだから。^^


読んでくれてありがとう。

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