何を言うかではなく誰が言うかで受け取り方が変わるのを辞めたい話。
はじめに
生きていると、
誰かに助言してもらうことがある。
「〇〇した方がいいよ。」
「私はこう思うよ。」
でも、その意見をフラットに、
素直に、受け取ることができる人間は、
一体何%いるのだろうか。
私はもちろん、できない方の人間。
同じことを言われても、
相手の人によって受け入れられたり、
受け入れられなかったりする。
今回はこの、私の永遠のテーマであり課題である件について語りたい。
ムカつく奴と大好きで尊敬している人
私は職場で、ムカつく奴(誰かにとってはとても大切な人なのは重々承知していますスミマセンでも私にとってはムカつく奴です)にアドバイスされると、どうしても指図に聞こえてしまう。
こいつ(私)がクソ野郎だな、
などと思い読むのを辞めないでほしい。
どうか見捨てないで欲しい。
でも本音である。
何を言われても「は?俺に指図するなゴルァ」となってしまう最低人間が私さ。
でも誰しもそんな瞬間があるよね?ね???(不安になってきた)
でもどうだ。
同じことを大好きで尊敬している人に言われた時、私(クソ野郎)は全く違う受け取り方をする。
…本当に同じ人間なのだろうか。
自分でも恐ろしや⭐︎
信じたくはないが事実である。
信じたくはないが全く盛っていない。
誰しもが経験したことがある…はずだよね?ね????(圧)
糸井重里さんの言葉
私はというと、
こんなにポップに語っているが、
そんな自分が好きになれずよく落ち込んでいた。
「私って性格悪い…」
「良いことを言ってくれているのに素直に受け取れない…」
などなど。
そんな日々を過ごしていた社会人3年目。
大好きな糸井重里さんの本の中にあったこの言葉が私の心にとても響いた。
読書する楽しみって色々あるかと思うけれど、
その中の一つに、
頭の中にポヤポヤ〜とあった自分の気持ちを
うま〜く言語化してくれた
あの瞬間もあると思う。
それが言いたかったんですよ〜!!!!
な爽快感。
この言葉はまさにそれだった。
こ、こ、これだ〜!!!と思った。
この時の気持ちよさったらなかった。
(ちなみに、糸井重里さんの本、ほとんど全部持っています。読むたびに、心に響くページが変容する感じが好きです。)
東京03のコント
糸井重里さんの言葉と同様、
私を気持ちよくしてくれた言葉があった。
それは、タイトルの通り、
東京03の「同意見」というコントに出てくる。
(全てのコントを見ていると言っても過言ではないくらい東京03が大好きで仕方がないのですが、ここで語り出すと止まらなくなりそうなので…割愛)(語りたい)(ライブにも行ったことあります)(マウント))
そ、そ、それだ〜!!!!
このコントを見た時にも、
かなりの気持ちよさがあった。
頭の中にポヤポヤ〜とあった自分の気持ちを、
うま〜く言語化してくれたあの感じ。
それが言いたかったんですよ〜!!!!
な爽快感。(さっき聞いた)
飯塚さんありがとう。最高です。
そしてこの、
オシャレ↔︎ダサい はつまり、
尊敬している↔︎尊敬していない
でもあると思うし、
シンプルに
その人が好き↔︎その人が嫌い
でもあると思っている。
つまり?
と、ここまで殴り書きできたが、
結局言いたいことは何かというと、
自分はオシャレだったり、
尊敬されていたり、
好かれていたりする側の人間であれるよう、
努力し続けようと思った。(まさかの着地点)
受け取り方の誤差(どころではない)が
あることにやいのやいの言ったり感じたりするのではなく、
そしてそんな自分を責めたり嫌いになったりするのではなく、
自分が「受け取ってもらえない側」の人間にならぬよう頑張ることが、今の自分にできること。
なーんて。
長い長い文章を読んでくださりありがとうございました。
共感してくれたら嬉しいです。
※気になった方ぜひ見てください最高に面白いです↓
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