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洋画への苦手意識

おはようございます。先週は中高時代、大学時代それぞれの友人と会える機会がありました。もともと友達は少ないのである程度のぼっち耐性はあれど、誰かと会って話すだったり、何も考えずに非生産的な話ができるのはやっぱり楽しいです。何も考えてないのは私だけかもしれませんが…

今日は映画について喋ってみます。
昔から、私は洋画に苦手意識があります。苦手な理由は大きく分けて2つあると思います。

①日本語字幕・日本語吹き替えへの違和感

最初に申し上げておきますが、決して海外映画や小説等作品の翻訳されている方を非難する意図はありません。むしろそういった方々のおかげで私を含む多くの人が作品を鑑賞できているわけなので、感謝していますし尊敬します。かつては私も翻訳家という職業に憧れていたほどです。

私は英語が苦手なので、海外映画は日本語字幕がなければさっぱり分かりません。
なのですが、その字幕に対して時々ミョーに引っ掛ってしまいます。恐らく多くの人は普通にすんなり理解できるところを、私はその違和感がいつまでも気になって以降の話が入ってこないのです。

例えば、「コーヒーどうですか」という意味合いの台詞。
英語で「Would you like some coffee?」って言ってるのを

「コーヒーを?」

みたいな文で訳される時があるじゃないですか。ちなみにこの英文は私の英語力ではなくGoogle先生に教わりました。

「コーヒーを?」いやいや、普段の会話でそんなスカした言い方しないっすよね…多分誰かからそう言われたら思わず聞き返すよ…と心の中でツッコミを入れてしまいます。ほんと、こういう何でもないような言い回しがいちいち気になってしまいます。

だからと言ってじゃあ「コーヒーはいかがでしょうか?」という字幕にしたら、それはそれで何かまどろっこしいし、文字数も増える。映画の字幕なんだし、情報量が変わらなければ字数は少ないほうがいいですよね。他にも「コーヒーでいいですか?」「コーヒーいかがですか?」とか、あらゆる言い回しを検討した結果、「コーヒーを?」が一番伝わりやすいってことで落ち着いたんだろうな、っていうのは想像できるんです…が、気になるものはどうしても気になってしまう。

かと言って字幕なしで鑑賞できるほどの語学力もなければ、じゃあそれだけの語学力を身に付けよう!という向上心も残念ながらありません。偉そうに散々語っといてすみません。
ただ、私が感じるこういう違和感は映画1作品中たかだか5%程度です。残り95%に対しては何の違和感もなく作品の内容に集中できているので、そう考えるとやはり、翻訳に携わる方々は偉大です。その裏にはきっと私が知り得ない多大な苦労があることと思います。

②文脈の理解が苦手

その台詞自体の意味を理解するだけではなく、前後の文脈から話の内容を推察しなければならない感じがちょっと苦手です。これはもしかしたら洋画に限った話じゃないかもしれませんが、先ほど書いたような言語の壁すなわち「字幕への苦手意識」も一因ではないかと感じています。

例えば、『ワイルド・スピード』って映画(1作目)。私、初見ではわけ分かんなかったんですよ。

え、なんか次から次へと人物出てくるんだけど、主役、誰?
え、なんで突然カーレース始まるの?てか、こんな道のど真ん中で人がワラワラ集まってやいのやいの言ってるのって、どういう状況なんだ?この女の人、誰とどういう関係?別のこの人は??何で警察?えっこの人警察だったの????

てえな具合にとにかく情報がどんどん出てきて、私の頭は軽くパニック状態でした。終盤にさしかかる頃になってようやく自分の中でアレコレに辻褄が合ったので最後は楽しんで観れたのですが。設定を理解できたので2周目以降は最初から楽しく観れると思います。観てないですけど。

海外映画を観るとそういう事が続くので「これは何かの診断名が付くのではないか」と本気で思っていた時期もあったんですけど、実際そんなことはなく、ただ単に私の頭が悪いだけでした。
ていうかこれって想像力の問題な気がしてきました。むやみやたらにいちいち説明するのではなく、会話の行間や情景やアングルなどに語らせる。それはむしろ映画の醍醐味ですよね。あれ、ってことは私もしかして映画鑑賞向いてない…?

でも

あ、もちろん好きな作品もたくさんありますよ。
海外映画で一番好きなのは『ライフ・イズ・ビューティフル』です。

基本的に私は家族ものとか親子ものに弱いです。初めて観たのは中学生の時でしたが、多分今観ても泣くと思う。
苦難の中にあっても常にユーモアを忘れない、主人公グイドの生き方に胸を打たれます。
特に、グイドとドーラが夜に二人で家に入っていった後、朝になって同じ家から子どもたちが出てくるってとこの描写がすごく好きです。