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『進撃の巨人』を読みました(ネタバレ有)

こんにちは。しばらくぶりです。私が書かない間も周りの皆様は変わらず記事を更新されていて、すっかり浦島太郎気分です。
というか前回の記事で「noteのネタがないと弱音を吐いたら親切な方がネタを提供してくれた」とか書いたくせに、しばらく放置してしまいました。すみません。

ってことで本日は、その提供いただいたネタすなわち漫画ネタに挑戦してみたいと思います。
取り上げる作品は『進撃の巨人』
先日ようやく2周目を読み終えました。


ちなみに私は漫画を読むのは好きですが、そこまで色々な作品を読めているわけではありません。なのであまり深い感想は書けませんが、どうぞ寛大なお心で読んでくださると幸いです。
なお、ネタバレありのため未読の方はお気を付けください。あと、ストーリーの読み間違いとか「そうじゃねえ」という部分があったらごめんなさい…

進撃の巨人と私

意気込んで書き始めたものの、漫画の記事ってどう書けばいいのか…。
作品の大まかなストーリーについては、私が語れる自信もなければわざわざここで語る必要もないと思うのですっ飛ばします。

もともと私はあまり少年漫画を読んできませんでした。あの超名作『ワンピース』や『スラムダンク』も、社会人になってからようやく読んだくらい。
誰かに勧められなければ、よほどのことがない限りは今でも自分からはあまり手を出さないジャンルです。

『進撃の巨人』も例にもれず、夫からの勧めでした。
当時はまだ連載中、発刊されていた単行本24巻あたりまでは何とか読んだのですが、ストーリーが進むにつれ複雑になっていく世界観や人間関係にかなり頭が混乱しました。
夫はその後も完結まで単行本を買っては読み進めていましたが、私は途中でギブアップ。確かマーレ編の序盤でした。
「完結したらまた読むか…」と思ってから数年後の今年、遂に完結。無職の私は時間だけはあるので、夫の部屋の漫画コーナーから拝借して再び1巻からじっくり読み直しました。

読み直してから気付いたんですけど、数年前に読んだ時は序盤のかなり重要な設定をよく理解もせずさらっと読み飛ばしてしまっていたようです(各兵団の特色とか)。
『HUNTER×HUNTER』の念能力の説明を読んでる時も思ったんですけど、ストーリーが作り込まれてる作品って序盤の設定を正しく理解していないと後々詰むんですよね…。

あ、ちなみに考察サイトや考察動画を私はまだ見ていませんが、YouTubeで考察動画を見ていた夫からの入れ知恵は多少あります。
そのため以下は、各種考察を理解していない(けど中途半端な知識はある)立場からの文章になります。ご容赦ください。

特徴的だと思った点

絶対的正義なキャラもいなければ、絶対悪もいない今は結構こういうスタンスの作品は多いような気もするのですが、『進撃の巨人』もまた、「主人公=正義」という一般的なセオリーとはかけ離れてますよね。
主人公のエレンにとって巨人は「駆逐」すべき悪の存在ですが、別の人間達にとってのエレンは悪そのものだったりするし、終いにはエレン自身の手で何の罪もない民間人も含め多くの人を殺すことにもなるし…
だけどエレンには自分の意志があり信念があり、強くもあれば脆くもある。対して、壁の向こう側からエレン達を襲ってくる巨人達にもバックグラウンドがあって、「9つの巨人」の継承者たちにもそれぞれの思いがあり故郷があり愛する家族もいるわけで。じゃあ、それ以外のところに絶対悪が存在するか?といえばそういうわけでもなく。
これ以上書くと私の読み方の浅さがよりバレるので詳しくは作品読んでね!ということになってしまうのですが、何にせよ「正義vs悪」の単純な構図では語れないし、中にはクズみたいな人物もいますけど、そんなヤツが語る言葉が意外にも人間の本質を突いていたりして「ぐぬぬぬ…」となることも多かったです。

綺麗事をバッサリ斬っていくスタンス
上と少し内容が被りますが、例えばまあ「最後は必ず正義が勝つ」とか「話し合えば何でも分かり合える」とか「平和な世界になればみんなが幸せ」みたいないわゆる綺麗事なんてクソ喰らえ…は言葉が悪すぎますが、そういうのバッサリ切り捨てる感じの作品かなとは思います。自己欺瞞だとか偽善とか、皮肉ってるフシがところどころに感じられますし。
「夢!友情!勝利!」みたいな作品とは対極的な位置にある気がします。
でも、だからといって作中でそれらを全否定しているわけではないんですよね。エレンもアルミンも壁の外の世界に夢と希望を抱いているし、エレンたち調査兵団同期の間には固い絆があるし、人間が巨人に勝利する場面も描かれていますし。

ジェンダー的にニュートラル、ポリコレ的な押し付けのなさ
調査兵団にはミカサやハンジを始め女性キャラが多数いますし、ハンジも作中でハッキリと女性と分かる描写ってないんですよね(アニメでは女性の声でしたが)。
あと、いわゆる「〜わよ」みたいな、いわゆる女言葉を使う女性キャラがいないのも個人的には好きなポイントでした。『進撃』で女性らしいキャラと言えば自分の中ではクリスタ(ヒストリア)かカルラが浮かびますが、こういう言葉遣いではなかったなあ…と。
最近のディ○ニー映画にありがちだと思うのですが、いかにもポリコレを意識した「批判されないために登場させました」と言わんばかりのキャラや演出が私はあまり好きではありません。もちろん制作側も押し付けがましさを極力抑える工夫をされているのかもしれませんが、もっとサラッと描いてくれればいいのに…と個人的には思ってしまいます。
『進撃』作中ではユミル(調査兵団の方)がクリスタに対してやや同性愛とも取れる発言がありますが、別にだからどうって風でもなくて、すんなりと受け入れられたように思います。

印象的なセリフや場面

名ゼリフ、名場面、本当にいっぱいありますよね。これも書き出したらダラダラ長くなりそうなので、今ぱっと思い浮かぶものだけ書いときます。

良い人か… それは…その言い方は僕はあまり好きじゃないんだ
だってそれって… 自分にとって都合の良い人のことをそう呼んでいるだけのような気がするから
すべての人にとって都合の良い人なんていないと思う
誰かの役に立っても他の誰かにとっては悪い人になっているかもしれないし…

女型の巨人の正体がアニであることを見破った後、アニを捕らえるためにアニと駆け引きした時のアルミンの台詞です。
この時はアニを罠にかけるわけですが、アルミンのこの言葉は嘘ではなく本心からだと思います。
で、この「良い人って言い方はあまり好きじゃない」台詞はストーリー終盤でアニと再会した後に再び出てくるんですよね。そういう意味でも印象に残りました。
私も、誰かが他の人に対して「良い人」と言っているのを聞くと、何だかいい気分はしません。アルミンの言う通り「その人にとって都合の良い人」というニュアンスとか、言葉の裏に何かあるんじゃないか…と疑ってしまいます。とはいえ私もつい使っちゃったりするのですが…

あと個人的に好きだったシーンをひとつ。
細かいんですけど、マーレ編のヴィリー・タイバーの演説当日のお祭りで、ガビやファルコ達4人がライナーに屋台の食べ物を奢ってもらうシーン。
いっぱい美味しいものを食べて笑顔になっていく子供たちに対して、財布を出すライナーの顔がだんだん渋くなっていくところの対比が好きです。私がただ単に私が食いしん坊なので印象に残りました。

推しキャラはジャンです

『進撃の巨人』には魅力的なキャラがたくさんいますが、私の推しキャラはジャンです。
大人気のリヴァイ兵長もいい上司ですが、もし自分の職場にあんな人がいたら私は萎縮しちゃいそうです。

ジャンの好きなポイントは、普通の人であり、人間味があるところ。
訓練兵で10位以内に入れる能力はあるけれど、逃げたいと思う恐怖心も人並みに持っている。だけど、同期マルコの死を始めとする悲しみ、怒り、恐れに向き合い、乗り越えていくことでだんだん強くなり、頼れる存在になっていくという過程がすごく好きです。
ミカサのような戦闘力やアルミンのような頭脳、エレンのような巨人の力も持っていないけれど、だからこそ彼のそういう姿が凡人の私には突き刺さりました。

あと、悪態はつくけど実は仲間想いっていうキャラに個人的に弱いフシがあります。序盤はエレンと喧嘩する場面もありましたが、欲を言えばエレンともっとバチバチしてほしかったです(ジャン推し的には)。

特にグッときたところ

カルラの台詞

特別じゃなきゃいけないんですか?絶対に人から認められなければダメですか?
私はそうは思ってませんよ
少なくともこの子は・・・偉大になんてならなくてもいい。人より優れていなくたっていい
だって見てくださいよ。こんなにかわいい。だからこの子はもう偉いんです
この世界に生まれてきてくれたんだから

私は現在子どもはいませんが、このページを読んだ時「カルラ母さん、偉大だ…」と思いました。赤ちゃんエレンを抱っこしながらシャーディスに言った台詞です。
特別でもなければ人に認められるでもないけれど、それでも自分にとっては唯一無二の大切な存在。何でもない言葉のようですけど、ストーリー全体を振り返って改めて思い返すと、この台詞は結構核心に近いんじゃないかなって思ったりします。
ストーリー抜きにして一般的に言っても、これってその人の自己肯定感に繋がる大事な考え方だと思います。
多くの人に認められなくても、偉い存在になれなくても、いてくれたらそれでいい…そんな風に思ってくれる存在がいると分かれば、生きるのだいぶ楽になるんですよね。ついでにうちの猫もインスタやYouTubeの猫ちゃんほど特別可愛かったり愛想があるわけじゃないですが、私にとっては世界一可愛い猫です(蛇足)
カルラ母さんは結局巨人に食べられてしまいますが、この場面はグロとかスプラッターなどの画的にというよりも心理的にキツかったです。
自分を犠牲に子ども達を守った行動に出た直後の「行かないで…」の台詞が妙にリアルで、『ふしぎの海のナディア』のフェイトさんを思い出しました。

何のために生まれた?
終盤でエレンとジークが「道」で語り合い、過去を回想するシーンで、「何のために自分が生まれたのか」をそれぞれが自身に問うてますが、ジークは「キャッチボールをするためだったんじゃないか」、エレンは「(ミカサとアルミンと)3人で追いかけっこをするためじゃないか」と言っています。
それは世界を救うでも、巨人を駆逐するでもなく、日常のほんの些細な出来事に過ぎないわけです。
だけど、そういう一瞬こそがとても大事なことで、その人の生きる支えだったりもする。
私もそうだと思います。もちろん私には非凡な才能や能力なんてありませんが、「仕事で成功する」とか「子どもを産んで立派な子に育てる」とか、そんな大層な目標のために生きてるわけではなく、今日食べたラーメンがおいしかったとか、新発売のあのアイス食べたいとか、そういう小さな喜びと欲求の積み重ねで生きてます。

好奇心と想像力と希望
エレンとアルミンは、幼い頃から壁の向こう側に好奇心を抱き、想像力を膨らませ、希望を語り合ってきました。
結果、壁の向こう側には人類が生きていて、壁の内側にいる自分達と敵対していることも知った。
その時、「壁外に人類がいると知ってガッカリした」エレンと、「それでも壁の向こうを見たい」と願ったアルミン。
エレンは最終的には調査兵団の仲間のためにあのような行動を取ったわけですが、上の台詞はエレンの本心だと個人的には思いました。

調査兵団の団員達の心にある、壁の向こうへの好奇心や希望。
エレンが壁の向こう側の真実を知った時の、希望が絶望に変わった瞬間。
それでも、人類の未来に対する希望を捨てなかったアルミン。
ただ、エレンもアルミン達に人類の未来を託してあのような結末になったわけで、エレンの状況を考えればやむを得ない気がするし、うーむ。自分で書いてて混乱してきちゃいました。

あと、人は夢や希望があるから生きていける、というのはすごく共感しました。
相変わらず某新型ウイルスが大活躍のこの世の中、外出も人と会うこともままならない閉塞感の中でも、「終息したら○○しよう」とか「家の中でも楽しめることをやろう」とか、何かと希望や楽しみを持っているから、いつかは終わりが来ると信じているから私は日々生きていられます。
希望があるから、人は前に進もうと思えるのですよね。

分からなかった点

だんだん息切れしてきたので箇条書きにしました(雑)

・なぜ始祖ユミルが選んだのがミカサだったのか
・なぜミカサはエレン本体が口の中にいると分かったのか(夫談)
・なぜ始祖ユミルはエレンとミカサのキスシーンで微笑んでいたのか
・ラストのページの意味
・イェレナの末路

他にも「分からないことが分からない」状態になっている箇所も多数あると思われますが、追々考察サイトなどを覗いたりして少しずつ消化していきたいです。

小ネタについて

オノマトペ
私は1周目の終盤でようやく気付き、2周目はじっくり探しながら読みました。シリアスなシーンでも最後の最後でも結構遊んでるんですね。それにしても「シドビシャス」は無理やりすぎないか。

進撃のスクールカースト
未だ厨二病を引きずっている私には無駄にグッサリ刺さりました。「見て見てー親に食わせてもらってる身でいっちょ前に絶望してる視野狭窄な高校生がいるよ!」とか、退屈に飽き飽きしてる感じのヒストリアがエレンに対して「君も世の中がつまんないんでしょ、分かるよ」と心のうちで共感したのにいざエレンがリア充と分かったら露骨に嫌悪するところとか。

こんな人に読んでほしい

またかなり無駄に長くなりましたが、もし未読の方でこんな方がいたらぜひオススメ!って書いて締めます。

・綺麗事なんてクソ喰らえな人
・同じ作品を2度読み3度読みするの好きな人
・潔癖で口はクソ悪いが頼れる上司に憧れる人
・人類最強の兵士を見てみたい人
・中性的なキャラが好きな人
・シュールなギャグが好きな人


ちなみに、画像転載はどこまでセーフなのか分からないので念の為載せませんでした。
今はhuluでアニメを観てますが、漫画に比べるとストーリーのテンポが結構ゆっくりな気がします。立体機動のアクションシーンの迫力はアニメならではですね。今年ファイナルシーズンが放送されるので、それまでには過去放送分消化したいです。

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