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息子が3歳になった

3年前はこんなにも寒くなかったし、雪も降っていなかった。
でも、今日と同じくらい澄んだ青い空が広がっていた。

妻は計画無痛分娩だったので、前日から入院していた。午後に歩いて病院に行って、麻酔のルートだけ取ってその日はおしまい。帰るときに看護師さんから「気合い入れて朝から来る人いるんですけど、お産は一日仕事だからゆっくり休んでゆっくり来てください」と注意された。

家に帰って何をするでもなくこたつに入り、リビングの静寂が耐えられずに興味もないテレビをつけて、遠足の前の日のような高揚感を覚えながら床についた。

2時ごろ、携帯が鳴った。
「陣痛が来たかもしれない」
全然ゆっくりできないじゃないか、と思っていたら、
「でも今のところは大丈夫」
という通知が届いた。通知だけなら既読はつかないので、寝ていたことにして携帯をそっと置き、再び眠った。

次に携帯が鳴ったのは朝の6時だった。
「破水した」
本来であれば人工的に破水するはずが、ちょうどこのタイミングで来てしまったらしい。
「まだ来なくていいけど、予定よりは速くなるかも」
という連絡を受け、のそのそと病院に向かう準備をした。

1時間ほどして病院に向かった。
パンパンに膨らんでいたお腹は、赤ちゃんの形がわかるようにしぼんでおり、妻は少し不安そうにしていた。僕はもっと不安そうな顔をしていたに違いない。

先人たちから「妊娠出産で妻への対応を誤ってはいけない」ということを口酸っぱく言われていた。大丈夫だ、抜かりはない。こういう時は腰を押してあげてね、とアドバイスされていた。

「腰痛くない?マッサージしようか?」
「してもいいけど麻酔されてるから触られてるくらいの感覚しかないよ」

気づかいは1ターンで終わった。
1時間ごとくらいに助産師さんか看護師さんかわからないが、確認に来るのでその際は病室を出なければならない。待合室のようなところでは、同じ境遇と思われる男性たちがたむろしており、でも会話するでもなく皆スマートフォンを触っていた。

「11時から分娩室に入ります。お父さんは準備してください」
と言われ、手袋やメディカルキャップを準備した。
いつでも行けるぜ!と昂っていたら、
「すみません。隣の方が速そうなので向こうが先でもいいですか?あ、もういきんだらダメです」
とまさかの順番交代。そうかこれが一日仕事というやつか。

12時になって、妻は先に分娩室に入り、5分ほどして僕が呼ばれた。
妻の呼吸に合わせて身体を持ち上げてくださいね、じゃあ練習してみましょう!と3回ほど練習したところで産科の先生が登場。そこから5分ほどでスポーンと長男この世に爆誕。え、こんなに早いの?

時計を見ると12時12分12秒だった。僕は当然見てはいないが、抱かせてもらったとき嬉しそうな顔をしていたらしい。そりゃそうだ。実際に嬉しかったんだ。

ギリギリで低出生体重児だった息子は、他に並んだ赤ちゃんよりも小さく、だいたいいつ見てもスヤスヤと眠っていた。そんな寝顔と、大仕事を終えた妻の安堵した顔を見て、父になったことを自覚した。

握るとつぶれそうなくらい小さかった手は、今僕の手をぐいぐいと引っ張って走るようになった。でっぷりとしたお尻は、走り回るようになってスリムになってしまった。片手に収まっていた頭は、僕と同じゆるい天然パーマが生えている。

息子が生まれた日、空は青く澄んでいた。
3年経った今日、場所は東京と大阪で違うけれど、あの日の空に続いているかのような青をしている。
あの日から少し老けた僕と妻と、大きく成長した息子がいる。家族が誰もかけることなくこの日を迎えられてよかった。

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