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祖母との電話

「大変ね」

その言葉に、わたしはほとほと疲れてしまっていた。


夫婦で新天地に移住した矢先に、新型コロナウイルスの流行。
妊娠が判明した直後に、緊急事態宣言が発令。 
立ち会い面会すべてNGのなか、初めての出産。
出産直後に再び緊急事態宣言が発令され、家族を頼ることもできず始まった初めての育児。

そんなわたしの状況は、側から見るときっと「大変」なのだろう。


妊娠中も出産後も、家族はたくさん電話をしてくれた。
そして優しさから出たに違いないこんな言葉をかけてくれるのだった。

「コロナ禍での子育てなんて大変ねぇ」

「初めての育児を夫婦だけでしなくちゃいけないなんて大変だ」

まあね、でも大丈夫。ところでね…
そう努めて軽やかに会話を続けながら、わたしは思う。

(あぁ、わたしって大変なのか。)

電話を切り、ベビースペースで遊んでいた息子に目をやる。
息子はつかまり立ちをしてこっちをじっと見つめていた。
少し潤んだ瞳からは、電話に夢中で自分にかまってくれない母親への不満が感じられた。
これからしばらく息子はグズるだろう。
どうやって息子の機嫌を直そうか。

(あぁ、わたし大変だ。)

気付けば日々の育児は、わたしにとって大変なことになっていた。


ある日、息子と遊んでいるとスマホが鳴った。
画面には岡山に住む父方の祖母の名前が映し出されていた。
世話焼きで家族思いの祖母だ。
きっとわたしのことを心配してあの言葉を言うだろう。
わたしはフッと小さく息を吐いて心を決め、スマホの通話ボタンを押した。

「あ〜もしもし彼方ちゃん?元気しとるか?」

「うん、元気よ。おばあちゃんはどう?」

「おばあちゃんはぼちぼちしとるよ。
 そいで彼方ちゃんはどうね?毎日の子育ては。」

「ん〜わたしもぼちぼちしとるよ。」

「ほうねほうね。でもあんたあれじゃろう?
 初めての育児はそりゃもう…楽しいじゃろう?」

「まあね、でもだ…え、なんて?」

思わずいつものように返事をするところだった。
祖母は改めて喋り出す。

「だから初めての育児、楽しいじゃろう?
 そろそろ歩いたり離乳食も始めるんじゃないん?
 毎日成長が見れていちばん楽しい時期じゃねぇ。」

雷に打たれたような気分だった。
ハジメテノイクジハタノシイ…?
そうか、初めての育児は楽しいのか。
そうだ、初めての育児は楽しいんだ。

「そうなんよ、楽しいんよ!この前は遊んでたらね…」

気付けばわたしは、堰を切ったように日々の出来事を祖母にしゃべっていた。

電話を切り、ベビースペースで遊んでいた息子に目をやる。
息子はつかまり立ちをしてこっちをじっと見つめていた。
少し潤んだ瞳からは、電話に夢中で自分にかまってくれない母親への不満が感じられた。
これからしばらく息子はグズるだろう。
どうやって息子の機嫌を直そうか。

(あぁ、わたし今、楽しいな。)

わたしはグズる息子を抱きあげて、大きく高い高いをした。


緊急事態宣言は続いているし、支援センターは休館中だし、コロナの変異型はこどもにも感染するなんて報道されている。
世の中はまったく好転していなくて「大変」なままだ。

でも足元に目をやると、私のスカートにつかまってへにゃっと笑いながらこちらを見る息子がいる。
毎日新しいことができるようになる彼のまわりは、楽しさに満ちている。


祖母とのあの会話をきっかけに、日々の育児はわたしにとって大変な状況の中でも楽しさを感じさせてくれるものになった。
雨の日に傘をさしていたら風で傘がフワッと巻き上げられて、傘を追おうと空を見上げると、きれいな青空が広がっていたことに気付くような。
祖母との会話はそんな出来事であった。


祖母はいまだに父や叔父ら自分の息子のことを日々気にかけている。
旬の果物や手料理を送っては「もういいから」と言われながらも喜ばれているそうだ。
そんな話をする祖母はとても楽しそうだ。
きっと祖母もまだ、楽しい育児の真っ只中なのだろう。


#あの会話をきっかけに

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