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30年ぶりにミス・サイゴンを観た!

帝国劇場でミス・サイゴンを観てきた。
日本での初演から30周年だという。キム役の屋比久知奈さん、クリス役のチョ・サンウンさん、エンジニア役の市村正親さん、皆とても素晴らしく、感動した。

このミュージカルを観るのは、実は3回目だ。

1度目は、1992年のニューヨーク。2度目はその翌年にロンドン。今回は、偶然だが、ほぼ30年ぶりに観たことになる。

日本語と英語の違いはあるものの、久々に美しいと旋律と歌声に浸ることができた。いいものは何年経ってもいいものだ。

ただ、今回は30年前よりも感じ入るものが多かった。

何故だろうか。

このミス・サイゴンはベトナム戦争末期の米国兵とベトナム女性(少女と言った方がいいか)の恋と別離、それに伴う人生のうねりを描いたものだ。

戦争が引き裂く恋人達。まず頭に浮かぶのは、月並みだが、戦争は悲惨である、ということ。

また、ベトナム戦争は、米ソ冷戦の中で、共産主義の拡散を止めるという論理の下、フランスが撤退した後を埋めるようにアメリカが介入を強めていったのが発端。舞台となる1975年当時になると、アメリカ国内の反戦運動もかなりの高まりを見せていた。誰から望まれているかも分からない戦争で戦地に赴いているやるせなさを思いやると、余計に主人公の心情への理解も深まる。

今夏は、30年ぶりに観た、ということで、1992年当時と現在におけるアメリカ、日本を含む国際関係についても、大幅に変化していることに思いを馳せた。

1992年は、バブルが崩壊し始めたとは言え、まだ世界経済の中ではアメリカに脅威を与える程に強くなっていた日本経済。日本製の自動車やテレビの輸出が依然として問題となっていた。

アメリカはというと、ベトナム戦争後の経済力低下や、日本の台頭の中で、製造業の衰退と共に経済力の相対的な地位低下の中で喪失した自信を湾岸戦争に勝利して取り戻しつつあった頃だと思う。

その後のIT産業の隆盛は予想もされておらず、「ベトナム戦争の反省をしているアメリカ」という目でこれを観ていたと思う。

意識としては、衰退し始めているアメリカだが、ソ連が崩壊して、euphoriaと呼ばれる何とも言えない達成感を感じている時期だったか。それに対して、登り続ける日本という世界観だった。当時は、日本のバブル崩壊による影響は10年程度は続くが、また上昇軌道に戻る、という根拠のない楽観の中にいたように思う。

2022年の今、アメリカはまだ超大国であり続けているものの、それが崩壊後に紆余曲折あったロシアは当時ソ連何失った失った権威を別の形で取り戻そうとしているように見える。ベトナムは、共産主義国家であるが、同時にグローバル化の一端を担ぐ生産拠点となっている。
一方で、日本は、その後停滞を長引かせており、株価も当時を越えることができていない。

個人的には、この30年の間に、結婚もし、子供たちも生まれた。子育てする立場からすると、ストーリーはより切実だ。

そう考えてくると、何故今回感銘を受けたかは何となくわかる。

自分が過ごしてきたこの年月を振り返りながら観たからだ。
変わったもの、変わらないものをミュージカルを観ながら思い出していたのだ。

あと何年生きるのかはわからないが、改めて思った。振り返って、やってきたことや、感じたことの変化を楽しむためには、今この瞬間を見つめて、きちんと感じることが重要なんだ、と。

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