【梅田哲也/O才展】飛田会館ツアーガイドの記憶
ようすがおかしい展覧会
大阪・西成。日雇い労働者が多く集まるあいりん地区もあります。なかでも昔ながらの町並みが残る山王地区。地図を片手に、住宅街の空き地を出発、商店街や路地、遊郭の一角などを巡りながら梅田哲也さんの作品と出会う展覧会。
ゴルフ場に巨大な黒い球。輪になって少し歌うひとたち。アスファルトの裂け目に詰め込んだ金柑。おっちゃんがビールケースで踏み台昇降をしているのは作品なのか街の日常なのか。突然ガラッと窓が開いて「あんたらなにやってんの〜?」とおばちゃんが叫ぶ。まさかキャストではないだろうけど、いったい何がどこから作品なのか。そんなルートの最終地点、遊郭の料飲組合のある「飛田会館」で私がつとめたのは、嘘のようだけれど本当のことだけを話すツアーガイドでした。
開催前のおよそ一ヵ月間、時間を見つけては山王に通い、梅田哲也さんと話し、スタッフとうどんを食べ、ネットで調べ、本を読み、ここらへんが舞台の古い映画を観ました。空き家の黴臭い空気を吸い、喫茶店でおばちゃんたちの病気の話に耳を傾け、商店街のガリガリのスピーカーから流れる「王将」を聴いて過ごしました。ツアーの台本はつくれなかった代わりに、梅田さんが近くの骨董店で見つけた赤い表紙の鍵のかかる日記帳に、本番の何倍かの時間分の小さなディテールをメモしまくりました。歴史であれイメージであれ、みたこときいたことなんでも。準備の期間に緊張してへとへとになって、でも本番直前には、すっと静かになって、それは個人的には演劇の本番を迎える過程に似ていました。でも、今までに演じた演劇ではないし、歌ってきた歌でもありません。がんばって説明しようとすると、たまに、寺山修司みたいだね、と言われて、ああ、と思う。やっぱり説明できていないんだな、と。私の知る限り違っていたと思います。梅田さんの作品は、水みたいにどんどん形を変えて、それは何かを主張するようなかたちではなかったけれど、確かにそこにあって、いる、というか、ほらまた、うまく言えませんね。
これは、展覧会が終わってしばらくのころに、飛田会館の現場にはいなかった梅田哲也さんとスタッフに読んでもらうために残したプライベートな記憶です。
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梅田哲也「O才展」開催概要
日時:2014年2月22日(土)・23日(日)・28日(金)、3月1日(土)・2日(日)・7日(金)・8日(土)・9日(日)
会場:大阪市西成区山王一帯
出発時間:14時〜16時(鑑賞時間は2時間に限定)
出発場所:山王郵便局横 空き地
料金:1,000円(中学生以下無料)
定員:各日50名
ゲスト:會田洋平、アキビンオオケストラ、捩子ぴじん、ハイネ・アヴダル&篠崎由紀子、松井美耶子、渡邉寿岳(五十音順)
飛田会館ツアーガイドの記憶・前編
飛田会館のガイドは梅田さんの代弁者なんだと気づいてたつもりでいたけど、考えたらキャストもスタッフも全員そうだった。でも喋る役割だから直接的。梅田さんなら笑わないと思ったけれど、最初、私が基本設定にしてみたのは3分の1くらいの半笑いの笑顔。ちょっと不穏でいいかな、とか、思っていたのは、初日くらい。「あの女の人、大好き」などと言ってくれるお客さんの反応も聞いて、うれしいような あれ? と思ったりして距離が難しい。何にしても余計なことを思うのはやめて普通にしていよう。でも自身のニュートラルだから案内人にしてはずいぶん小さい声だ。こそこそ何言ってるかわからないようなガイドに、むっとしてるオバサマとも出会って自分なりに楽しんでいたので思い出せる限り書いてみます。
はじめ、黙礼してから「どうぞ、ご案内します」というだけで、半分は何だろう誰だろうというような不審顔。異世界を歩いてきたから、こんな最終地点で何も起こらないわけはないだろうという感じ。半分は普通にガイドさんだなという顔をしている。空気をよみたくないタイプのMさんが「Kさんもきましたよー」と言ったから仕方なく会釈した。Kさんは私の身内。「あのー、演者に話しかけないでー」とあきれたけど、今思えば普通に「ありがとう」と返せばよかった。とにかくそんなふうにあいまいな感じで始まりました。
「このツアーは約10分で終わりますので、ぜひ携帯の電源を切ってお楽しみください。館内と屋上からの写真撮影はご遠慮ください」「10分たったらお知らせしますので、お時間のない方はスタッフの案内でご遠慮なく退館して頂いて結構です。なお、お一人で、あちこちドアを開けたりの自由見学はご遠慮ください」。と言ってタイマーを取り出すと最初の妙な空気。どう見てもキッチンタイマーだし。ゼンマイの音が、ちちちちち・・・と鳴るのをしばらく聞いてから「では行きましょう」と歩き出しました。
「あ、あの人写真とってるけど、い、いいんですか?」と、撮影してくださってるギャラリーのUさんを指して何度も絡んできたおっさんがいました。「一般の撮影はご遠慮ください」と言いなおしてからはずっと無視。他のお客さんも見ないふりする、ありがちなタイプのおっさんでした。お酒飲んでるお客さんはまあまあいました。美術館じゃなくて街だから。そういう街だから。Yさんは入ってくるなり体感では10㎝の至近距離まで顔を近づけてきてゆらゆらしてました。ラリってるみたいに酔ってる。うらやましくも、めんどくさい。Sさんの連れみたいだな-と思ったけど、Sさん、にこにこしてて助けにならなさそう。つい「大丈夫ですか」と普通に言ってしまった。本当ならこちらから反応したくはありませんでした。自分がブレたのが悔しかったので、屋上でセルフ逆ギレ。つかつか寄って行って非常階段を指さして「階段です」と言って、しばらく見つめてから立ち去ったら、後ろで「なに、わ、わからへん、わからへん」って声が聞こえたので、ちょっとすっとした。(注:すみません、Yさんによろしくお伝え下さい)
さて、「行きましょう」の続きですが「ここには飛田新地料亭組合の事務所が入っています」で、いつもちょっとギョッとされました。普通の本当の事。昭和8年に建ったという説が有力ですが、はっきりとしたことは不明。インターナショルスタイルという様式ですと、扉のガラス絵やハリなど指差したり。ちなみに、Kさんは「インターナショナルスタイルとかってウソやろ?」と言ってました。本当の事を言うだけでいい。
金庫の扉を開けるときには本気で力がいりました。でも閉めるときに大げさにガシャ--ン!と閉めてたのは、思えば必要なかったのかな。でも、もしかして芝居じみた存在なのかと混乱もしていてほしかった。40年間開かずの扉、開いた時にはお祝いにみんなでお茶を飲んだそうです、というのも、え、冗談のつもりで言ったの?と、へんな間(ま)。本当なんだけど。さっと入って棚においた赤い日記帳を取り出す。何回目からだったか「入りたいですか?」と誰かに言うようにしたら、たいてい入りました。あまりゆっくりされても何もないし、時間もないので、閉じ込めるように扉を閉めかけると、はあ?と不審げに出てきてくれました。ずれた(言い換えれば、良い)タイミングで扉を閉めかけるのは、まあ勇気がいりました。早く次に行きたいというのは事実だけれど、ベタな行為が確実に場にそぐわない。
注視される中、赤い日記帳の鍵をあけて(日記、いきなり、かなり目立ってますね)振り切るように先へ行くと、ほぼ皆さん、なんかおかしいかな?とは思ってるみたいでした。その後、最初の週は、日記を開いて建物の解説を読み上げながら廊下を階段まで歩きました。2週目からは「これは私の手帳で、金庫に2年前から保管している」と説明しました。聞かれたわけではないですが、みんな何だろうと思っていた気がしたので。両脇の部屋のプレートを読み上げながら階段まで行き、折り返して人の中に入り、映画の撮影に使われたと説明。一度「何の映画ですか」と聞かれ「ミナミの帝王です」と答えたら、ぎょっとされたので、おもしろいから次から言うようにしてみました。
顔見知りも混じって、たいてい20〜30人。50人くらいいそうな回もありましたが、珍しく、お客さんがフィンランド人女性1人だけの回がありました。細かくは忘れてしまったのですが言葉をだいぶ省いて、黙って2人で歩きました。彼女は日本語は少しわかるようで飛田新地を知っていました。
階段の手前右の宿直室がいつも扉が開いていて覗きこむ人が多い。やかんがあったりして人の気配。「そこはちょっと」「住まれてますから」「休憩室ですから」「柿本さんの部屋ですから」とか、本当の事、あきらかなウソも(誰も住んではなかったから)言いました。
階段を右へ誘導して、自分は左を昇る。1人だった最初の週は、先に駆け上ってクロークに隠れたりしました。2週目からは、ハイネさんたちもいてくれるし、オーバーすぎる気もして、軽く足音をたてて昇り、先に着いている群れの中へ入り、意味なく急いでホールの扉をあけました。
大ホールは、あけると、いつも、ぱーっと広く明るく感動的。みんな気分が、わーっと明るめになっているところへ、ホワイトボードの下の、暖簾の下の立ち飲み屋のおっちゃんみたいなハイネさんの足に、じんわり気づいていく人。チラチラと見る人。みゆちゃんもいた日も、カーテンに篠崎さんがいた日も。え、って反応が伝わってるけど、知らんぷりで話すのが楽しい。
例の「来週、<どないしたん>で有名な夏木さんのコンサートがあります」のくだりは、事前に梅田さんと、有名で当然のように言うとおもしろいね、と話しましたよね。あと、ホールでは何を言ったかな。投票所にも使われていた、料亭の会合のためにつくられた、立派なホールです、緞帳は新しいです、モダンな連続横長窓、後ろ向けに歩く、ふらふら歩く、さっさと歩く、「せっかくなので歩きましょうか」と前置きして舞台を歩く、ハイネさんのはけたあとのホワイトボードをくぐる・・・
夏木さんのリハが始まったことはもう、、言わなくってもいいですよね。すごい出来事。もう、どんなつくりごともかなわなかった。
*夏木さん:近日に、ホールでのコンサートを控えていた演歌歌手の夏木淳さん。<どないしたん>が代表曲。ホールを出たところの壁にポスターが貼ってありました。
飛田会館ツアーガイドの記憶・中編
もう言わなくってもいい? とかおもったけど、やっぱり夏木さん本人登場はすごかったです。入口のロビーからカラオケが響き渡ってた。4回にわたってO才のために? ずっと歌ってくれました。嫌がったりせずにリハを続けてくれてた。偶然の場合もあったんだけどイントロ終わりでタイミングぴったり扉をあけると赤い革ジャンの人が歌いはじめる。音楽が聴こえてはいたけ ど、みんなまさか生で人が歌ってるとは想像してないから訳がわかりませんね。どうやら歌が終わったな、とわかったので、説明をやめて拍手すると、お客さんのかたまりは訳わからず拍手。夏木さんも会釈。曲は何だっただろう歌い上げる感じの昭和の歌謡曲。一体、この場をどうしたものかと頭をくるくるさせてたから正直歌は覚えてない。ハイネさんたち毎回ブレずにホワイトボードに足のパフォーマンスしてる。何だろう×何だろう×夏木さんも何だろうとは思ったはずだ。
話はそれるけど、私はしょっちゅう結構な大ボケなことをしてしまう。のっけから「このツアーは約1分で、あ、10分で終わります」と間違えたり、屋上でかじりかけの金柑をぽとっと落としたり→3人くらいに息をのんで見守られながら、どうしたものかと落ちた金柑をしばらく見つめ、ゆっくり拾って丁寧にティッシュでくるみカバンに。同じく屋上でちょっと手放した日記帳を男性が勝手にめくりかけたのを発見。何すんねんと驚いて「それ私の日記帳なんです!」と走り寄ったら「えー?!ぎゃー」と言われた。屋上脇のトイレに入っていって出 るときドアに頭をぶつけたり、着てたマントをどっかに引っ掛けたり。私はそういう自分に慣れていて、それぞれにやり過ごしたけれど、あちこち街をまわって来た後のお客さんは、それらも仕込みのように感じたのかもしれないと今は思います。
大ホールは、長居すると時間がなくなるのでわりとさっと行きました。「投票所に使われてたこともある」のくだりで「今は使われてないで!」と地元のおっちゃんが反論。私が地元の人じゃないから、おっちゃん何となく抵抗感があるんだ。でも「ええ、使われ た”こともあります”ね」と言うと黙った。わるいね。ホールの大きさにしては小さい声で話していたから、先生みたいな雰囲気の不機嫌そうなオバサマに 「さっきのお部屋の説明が聞こえなかったんですけど」と詰め寄られました。「え?」と言 うと「さっきのお部屋。聞こえなかったんですけど!」と「できないガイドだわ!」みたいな顔と言い方されたので「そうですか?」と、さらに小さい小さい声で言って、奇妙な顔を振りきって逃げ出しました。わるいね。
さて、答え合わせみたいに、廊下に夏木さんのポスター。みんな「ああ、この人がさっきの?」と反応してるけど、もういいやとスルー。たまに「ディナーショーは1万3千円です。行ったことないですけど」 (→事務長さんが言ったそのまま)と言ったり。
いよいよ小窓の下の三角地帯。 ちょっとあけて先に覗き「建物と建物が非常に迫っているのがわかります」と言って覗いてもらう。非常に迫っていて、それがどうしたん?ですよね。ここは少し劇場的でした。色々な組み合わせのハイネさんたち、びびちゃん(当時、小学生)、傘の日、アキビンの時も、どの時も大成功してた。みゆちゃん(当時5〜6歳くらい)1人の時、レア。静かに少女がいて、しかも国籍不明で。あきびんの音が、金庫の前の階段の下から聞こえたとUさん。これもレア。黙ってびっくりしてる人が多かった。わ、誰かいる、とつぶやく人も。「誰かいますよ、 誰かいますよ」とまだ見てない人に報告してる男性がいました。そういうのはもう知らんし。 でも、おもしろいです。
提灯の部屋へ。「年に2度使う400以上の提灯を保管しているだけの部屋です」と言ってると、提灯が不気味に揺れる。知らん顔するがたのしい。たぶんわざとだけど「誰かいるんですか?」と聞く人もいたけど、独り言かな?みたいな雰囲気で返事しなかった。黙って味わってる人がほどんど。うわっとか思ったままを口に出す人もちらほら。毎回違うからライブだなーと実感するけど、笑いがうまれてしまうパターンは、だいたい同じ。こちらの問題というより、お客さんの中に1人笑う人がいると導火線があるみたいにぱあっと広がってゆく。
まだハイネさんたち参加してない週はちょっと長く話してたかな。「てへんにぜひのぜ ひへんに いっちょうめ にちょうめの ちょう」と提灯の漢字の説明をぶつぶつ言ってから階段を昇ったり。ひとりごとで段を数えながら昇ったり。「和紙がもろいので触らないでください」といってすぐに、紋を指して「あれは何です か」と言う人がいて「ワシです」と言ったらダジャレになってしまった。鷲ですよね。たぶん。ハイネさんたち来てからは説明は短めにしてた。揺れるのと話とのタイミング、いろいろでよかった気がします。話し終わってからとか、手前が揺れたり、奥だったり、がさがさっとか、かさこそっとか。2週目くらいから思い立ち、去り際に「以前は地域の定期健康診断にも使われたそうです」と伝えた。一瞬考えてから理解した人は何とも言えない表情になる。これは「最後の色街」で読んだのですが遊郭の女性たちの性病検診をしていたのだそうです。
通路が狭く、人が多い時は後ろの人は聞けてなかったですね。提灯の部屋の前から、まだ夏木さんのポスターのあたりで並んでいる人たちが曇りガラス窓から見 えていました。
屋上への階段を昇り、トイレのスペースへ。口に手を当てて息を止めたりもしたけど、あそこ埃っぽいから。みんな見てました。ガイドが息を止めるのはへんなのかも。壁の電話を見て、開かずの講堂の穴を2つ覗き、屋上へ。
雨の日、柳本さんが先回りして、屋上ドアのところまでお客さんの傘を傘立てごと運んでくれました。あれ、と、みんな驚いてた。最初の週、先回りで屋上にいてくれて、ドアを開けた時ちょうど四角いところに座って背中を向けて堂々と仕事の電話してた。へんでした。そういえば夫婦で来た友人が、受付の酒屋さんで「大人だったら1人でどうぞ」とコワイ女の人に凄まれて、泣きながら1人づつで周りはじめたけど、あとで絶対そのほうが良かったと思った!と喜んでいました。凄んでくれたの柳本さんですよねー。そのかわり帰りの時は、やさしいおばちゃんが「CD賞味期限3日です~~」とネタまで言ってくれてほっとしたんだとか。ネタっていうか・・お母さんですよね。
梅田さんと話して、毎回、skypeで受付の様子を見てて、何人かの顔と名前を覚えて、突然呼ぶというか、声をかけようとトライしました。タイミングを探しながらだったけれど、結局最後のほうになることが多かったです。屋上からの帰りがけ、最後の倉庫、見送りがてら。「な、なんで知ってるんですか??」「え、なんで・・」と、じっ と私の顔を見直す人。「〇〇さんですよね」「え、はい、そうです・・」「今日は、ありがとうございました」と言うと、気持ち悪そうに離れていく人。「違います」と言った人。間違ったんだと思う。 顔覚えるの苦手。
*アキビン:空き瓶を吹く音で演奏する集団「アキビンオオケストラ」
飛田会館ツアーガイドの記憶・後編
屋上です。話しかける時は適当に人を選んで、そばまでいって普通の声で。すうっと近寄ると一瞬ひかれた。ポソポソ喋ってると人が寄ってくる場合もあるし、勝手に自由にしてる人もいる。この頃になると、たいていの人はすでに同じ世界にいるので、もう何でもよかった。
屋上で話したこといろいろ思い出してみます●赤線て言い方の由来。骨董品屋さんに聞いた話ですけど、と前置きして、新聞記者が地図に赤線をひいて区切ったから。「でも、外国でもレッドラインといいますよね」と返してきた賢そうな女性。しばらく、どうしようかなと考えて、仕方ないので、しみじみと同意の「ねえ」を返した●壁の意味。かつて遊郭の女性を閉じ込めていた。たいていの人、神妙。顔をしかめたり。そんなことをこんなとこで説明しているあなたは誰?っていう空気も。さらっと話してもそういう雰囲気は漂うから突然なぞなぞ風に「この壁の意味はな~んだ!?」と聞いてみたかったけどできなかった。ざんねん。Hさんが大門の話などレクチャーしてくれて私も聞きました。Hさんすごく自然だった●江崎さんと、なぞなぞの起源と芸人さんの話を普通にした●壁の時代、北側の商店街に沿っても塀があり、その外には堀もあった、ある時金塚の方で放されたのか金魚が泳いでいたと、会期中に事務所で松尾さんに教えてもらった話を●商店街の屋根が、なだらかに下がっているので指さして「下がってますよね」●時々「ハルカスです」。みんな知ってるけど●古代、海底だった西成郡。1300年前からあったらしい。みんな、そうなんですかと言ってくれる●「火鉢のところで子供に会いましたか?」「はい」「よかったです」。「いいえ、え、こども?」「そうですか。いませんでしたか」●「2階建ての家で歌を聞きましたか?」「よかったです。あれは関屋敏子さんという人で飛田新地ができた頃のお姉さんたちと同時代の女性ですが全然違う運命を生きました。イタリアのスカラ座でプリマドンナとして歌い38歳で自殺しました。100年後に山王で歌が流れるとは思ってなかったと思います」流れていた歌の説明をここでしている●南側に見える屋上のゴルフ練習場を指し「ゴルフ練習場に黒い大きなボールがありましたか?」と言う。え、と変な感じ。みんなあそこでしたっけと怪訝そう。黒い風船があったゴルフ練習場は屋上じゃなかったもの。「え、どういうことですか? あそこじゃないですよね、わかるように言ってもらえますか?」と迫ってきた女性がいたので「私は、あそこだと思いますけど」と言って放り出す。微妙のラインを越えてるのかな、と考えなおし、以降あまりにもおかしなことは言わないようにしました●いくらくらいなんですか。と聞かれる。遊郭のこと。どうして聞くんだろう。15分1万5千円です(だいたい合ってるとは思います)と答える。本で読んだから●みんな同じような建物ですね。組合がありますから●いつもここにいらっしゃるんですか?ここの方ですか?「はい」とか、まあそうですね、とか。
屋上でやったことを思い出してみます●四角いところに座ってリポビタンD飲む。歩きながらも飲む。みんないったん見るけど目をそらす感じ●リップクリームを塗る。男性にガン見された。ビューラーも出せばよかった●目薬さす●のびをする●金柑を齧りながら喋る●急に金柑わたす。少し時間おいて同じ人に2回わたす(わ、同じ人だった)●日記に何か書き留める。覗かれて閉じる。離れた場所でまた何か書く●適当に歩きまわる●水たまりをぱしゃぱしゃ歩く。アパートの奥さんが洗濯物を取り入れに窓をガラッとあけて「何してるんですか~?」と叫び、Kさんが「ツアーです」と答えた。仕込みかと思っていたKさん。最後の日は、向かいのパーキングに篠崎さんとびびちゃん。ハイネさんも。みんなちょっとづつ気付いて騒いだりせず見てたそうです。私は違う方向にいて気が付かなかったです。そうそう。ハイネさんたち、一階の階段で007のテーマとともにサイバーな感じで現れたあの馴染まなさが衝撃でした。実は「病院の廊下に見立てて映画の撮影をした」というツアーの始まりの頃の私の話に合わせて協議室ドアから出ようとしたのに、仕込中、会館の方に追い出されたんだそうです。ざんねん。
いつも屋上のどこかでキッチンタイマーがジリジリジリ〜と鳴りました。みんなクスッと笑う。結局20分は軽くかかって、成りゆきにしてると時間かかってしまう。途中で帰る人もいたのか把握できない。屋上を早めに切り上げよう。あっけないくらいのほうがいい。でもやっぱりいつも長くなってしまってた。帰る時はできるだけ急に「行きましょうか」ってなる。
提灯の部屋で地図ひろげて座ってるハイネさんをちらっと覗きつつ、窓から覗くみゆちゃんやびびちゃんの気配を感じながら、いっきに階段を降りる。金庫の前を通り奥の倉庫を抜けて三角地帯。尖った一番奥まで行って引き返す。私は小さいので先端までいける。ついてきた人、真似したらいいのかわからない様子。「行ったほうがいいですか」はスルー。さっき上からみた場所です、こちらは民家です、下がタイルです、見たままを少し話す。最後の日、ふと、ここってわざわざもう一回見せられてもね、と思い「なんてことはないんですけどね」と捨て台詞を言った気がする。静かにテンションが上がっていた。何か落ちてるな、と、薄暗くてよく見えなくて立ち止まり、結構長い間まじまじ見たらハトの死骸(一部)でした。今考えたらホラーだ。後ろで、女の人の、きゃああって声が聞こえた。ロビーに戻り「終わります」と告げるとたいていみんな丁寧に「ありがとうございました」と言ってくれるので、あっさり「さようなら」と言う。または「さようなら。楽しかったです」。楽しかったです、をつけると、微妙な笑いが起こる。ガイドをした私が言うべき言葉ではないからなんだろう。本心としては、もういいの、お願い話しかけてこないで。
見送るように立っていると、何人かの人に「あのーそれは何だったんですか?」と日記帳のことを聞かれた。思い残さないようにという感じで。「鍵のかかる日記帳は昔お姉さんたちに人気でした。骨董品屋さんに教えてもらって、私は気に入って手帳にして金庫に保管しているんです」と答えた。梅田さんやみんなにはリアルな理由。でも、ここでは、わかったようなわからないような話にすりかわってる。あとで配るCDの中でも骨董品屋さんが話しているほんとのことだ。質問されて、スルーする空気じゃない時や、しそこなった時は、わりとスカスカに本当のことを答えた。「毎日これされてるんですか?」「はい。毎日。1日4回」「あ・・・そうですか」。疲れて集中力に自信なくなってた時は、話しかけられないように廊下を戻って奥の階段を登って退場していた。そのうち一度は、わざわざほとんど誰もいなくなった頃を選んで地図を拡げて降りてくるハイネさんファミリーとすれ違った。Mくんに「帰るときかっこよかったですね」と言われてはずかしい。階段を登って退場って何かいかにもエンディングっぽい。
思えば、とても一生懸命にガイドをしました。
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