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【超・超・短編小説】赤毛のソルト2

 ぱたんと音を立ててスマホのケースを閉じる。ルウは、日当たりの良いソファで、寝室からひっぱってきた毛布にくるまって気持ちよさそうに昼寝をしていた。わたしは、足もとまである頑丈なコートを着込むと、そっとドアを開けて外へ出た。黒いニット帽で覆った耳に、ぼおっと鈍い風の音。窓から差し込んでいた日差しが暖かったせいで、強い風はひとごとのように思える。分厚いコートの目の詰まった生地のおかげで、さほど冷たさは感じない。胸とお腹のあたりに風力だけを受け止めた。
 散歩、というのか、ちょっとした気配に呼ばれたような気もしたけれど、まあ、ただふらっと出かけただけだ。
 空はやたら青く晴れわたっている。

 角をひとつ曲がると急な下りの坂道に出る。歩きなれた坂の中ほどで、突然スローモーションの世界にみまわれた。いっきに数十倍に引き伸ばされた、実際にはきっとコンマ何秒間。その間に、妙にゆっくりと事情を理解する。え、ころぶのか? まさか。いや、やっぱり、わたしはころぶのだ。
 坂道の真ん中で、石のタイルの継ぎ目にブーツのつま先をひっかけて、わりと激しくころんだ。黴びたような匂い。なんの匂い? え、石? 鼻先に石がある。あ、道。
 遠い彼方から、じーんというような音。ふいに幕を開け、開いた瞬間にあっけなく幕を下ろしたしょうもない寸劇。がらんとした空気。からからと自転車を押していく人のタイヤのチェーンと茶色いビニール靴が通り過ぎる。声をかけるほどの大惨事でもないらしい。立ち上がると膝が痛んだ。
 帽子を目もとまでひっぱりながら、恥ずかしいような、苦々しいような気持ちで、そろそろと歩き出す。振り向くと、坂の上に、自転車を押すおばさんの姿が小さく見えた。ころぶなんて久しぶりだ。
 空は相変わらず青く晴れわたっている。

 坂を降りきって突き当りを曲がると、風は一段と強くなった。
 そして本番は次の瞬間にやってきた。バシャバシャっという爆音とともに目の前が真っ暗になった。何者かに攻撃をうけたのだ。息がつまる。何かが起きているのだ。何が起きているのだ。激しく頭を振って闇を振りほどいた。やっとのことで視界を取り戻すと、首から下には、ぬくぬくとした部屋からわたしを誘い出し、待っていたのだと言わんばかりのものが、べったりと貼り付いていた。それは、どこかの掲示板からでも千切れ飛んできたのか、B2サイズほどの芝居のポスターだった。はっきりと読めるタイトルは「赤毛のソルト2」。不気味な赤毛の美女がペタペタと風になびいてにっこりと笑う。身体を傾けると紙切れは地面を這うようにして飛び去った。
 
 まてまてまて! 待て! わたしを待っていたんじゃないのか! そして今、夢中でそれを追いかけているところなのである。


(おわり)


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