バンクシーとマスメディア
バンクシーの作品はテレビやネットニュースで幾度となく報道されてきた。
反逆とかなんだか言われているが、風刺を効かせている落書きとメディアがセットになった作品、というのが私が持つ認識。
アートとしての素晴らしさや芸術性はさほど感じないというか、個人的には絵心というか美術というかその類の能力が乏しいので、評価はできるはずもないのだが、私はバンクシーの作品を見て毎度思うのが、
『写真で一言』的な世界観。
お笑い芸人が考えた一言ネタに通づるものをひしひしと感じる。
それは笑点的でもある。
マスに対して万人共通のツボを押さえつつ、ユーモアや、皮肉、悲哀などを表現しようとしている。
そんな中、私はバンクシーに対して一つのイメージが湧き上がりもやもやと偶像が重なった著名人がいる。
蛭子能収さんである。
バンクシーの作品メッセージにはプロパガンダの要素も含んでいるとも言われている。
政治的というか、右か左か、鳩か鷹とか。
ちょうど今日、テレビで放送されたバンクシーの作品のテーマはコロナの影響下でのイギリスの夏のバケーション。
「ア・グレート・ブリティッシュ・スプレーケーション」と題されて、バケーションとスプレー画の語呂合わせ・・・うむ。
ワクチン摂取率がある程度のラインまで達成されたイギリス本国の情勢に対して、楽観的な趣さえ感じるテーマだが、少しばかりの闇・ダークサイド的な風刺もいつもように醸し出している。
①カクテルを飲んでくつろぐネズミ、
②ベンチに座るとその人が3本の爪のクレーンゲームの景品に見えてしまうトリック画、
③巨大なカモメがリアルなゴミ捨て場を漁ろうと狙っているような画、
④3人の子どもらしい人物が船に乗って1人が前を望遠鏡で見ていて、一人の子はバケツで船から水をくみ出していて「We're all in the same boat.(私たちは運命共同体)」と書かれた画、
⑤バス停の上に描かれたのはアコーディオンの演奏に合わせて踊る男女
経済再開を皮肉ったのか、注意喚起なのか、毎度のようにモヤモヤとした感じ、そう蛭子感である。
今回の画に対して、本人は「自身の作品だと認めた」と言っているらしいが、それを誰がどのような形で受け取ったのかは不明である。胡散くさw
ざっくり私的にまとめてみます。
謎のアーティストのアカウントはもはや複製可能、ゴーストライターと同じ。
言語を超えたアート的アプローチの’’ある視点’’のメッセージを、国際メディア、SNSで拡散され、あらゆる世代、階級層に発信ができる理にかなった手段=マーケティングだと思う。
結果的に絵画のオークションで高額で取引されている。
で蛭子さん。
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