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小説 護符 008)メリ【記憶の糸口】


#創作大賞2024 #オールカテゴリ部門

〔008 本文〕

「パディ、元気出せよ。お前の娘が来たぞ」
老人が、牢屋らしき建物の中にいる人物へ声をかけた。

パディ?

聞き覚えのある名前に、メリメルセゲルの意識が閃いた。

これは夢だ。
また夢の中にいる。
でも、今までの夢とは違う。

「パディ。起きろ。ビントが来たぞ」
牢屋番と思われる老人はメリメルセゲルを建物の中まで招き入れて、両手を縛られている男にもう一度声をかけた。

うっすらと毛の生えた頭がゆっくりと持ち上げられ、精気のないパディの顔がこちらを向いた。
「ビント」

以前の夢の中のパディとは別人に思えるほど、疲れ切り、何歳も歳を取っているように見えた。

視力が衰えているのか、目を細めてメリメルセゲルを見たパディの表情は、それでもすぐに慈愛で満ち溢れた。
「ビント。来てくれたんだな」

自分はビントという名の、パディの娘と同化しているようだと、メリメルセゲルは冷静に観察した。

娘へ近付こうとしたパディの足は、木の柱に固定された縄によって、メリメルセゲルの目前で止まっていた。

「父ちゃん、大丈夫?」
ビントの声がメリメルセゲルの喉元から発せられた。

「ごめんな。こんなことになって。びっくりしただろう」
普段から愛情豊かな父親だと分かる優しい話し方だった。

「母ちゃんはどうしてる」
「母ちゃん、寝込んじゃった」
「そうか。母ちゃんには苦労かける。お前から、よおく謝っといてくれ」
ビントはうんうんと頷き、泣いているようだった。

「メリは一緒に来なかったのか」

メリ?
俺のことなのか?

ビントは黙って俯いたようだ。
「どうした?」
「メリもいなくなっちゃった」
「何だって?」

「父ちゃん。しばらく家に帰って来なかったでしょ。その間に、メリがどこかへ行っちゃった。町の皆で捜したのに」
わーんと泣いて、パディの突き出した腹へしがみついたビントと共に、メリメルセゲルの意識もパディにしがみついていた。

「メリの母ちゃんがメリを連れて、男の所へでも行ったんだろうって。近所のおばちゃん達が噂してた」
「メリの母ちゃんもいなくなったのか?」

パディは怪訝の混じった不思議そうな顔をしたが、柔らかい表情でメリメルセゲルへ向き直った。
「大丈夫だ。その内きっと、メリは母ちゃんと一緒に戻って来る」

パディはビントの頭の上から縛られた腕を回して、メリメルセゲルが入っている身体を大事そうに包んだ。

「ビント。頼みたいことがある」
静かだが、熱意を感じる声だった。
「ファラオの墓を作ってる、職人の村を知ってるか」
首を傾けるビントの中で、メリメルセゲルは頷いていた。

ファラオの墓を作る者達は、ファラオの命令で外界と隔離された一ヶ所に集められ、ナイル川西側の地、王家の谷に村を造っているのだ。

「職人村の場所は、船着き場のゼトに聞くといい。俺から頼まれたと言うんだ」
「何を?」
「いいか。よく聞くんだ、ビント。その職人村へ行って、ケルエフトトという職人に会って来て欲しい」
「会ってどうするの?」
パディはその先を言い淀んでいる様子だった。

「俺達はケルエフトトに手引きされて、墓へ忍び込んだんだ」
「俺達って?父ちゃん。一人でお墓に忍び込んだんじゃないの?」
パディが答えるまでに、しばらくの間があった。

「違う。違うんだ」
パディは突然叫んで、メリメルセゲルから離れた。
泥酔したかのような足取りで部屋の隅まで移動すると、何かをブツブツと呟き始めていた。

「分かってる。必ず助けるから。許してくれ」
メリメルセゲルが注意深く耳を傾けると、そんな言葉が聞こえてきた。

「父ちゃん。父ちゃん。どうしたの?」
ビントはパディの元へ近寄るのを躊躇っていた。

様子がおかしい。
さっきまでのパディとは明らかに雰囲気が違う。

パディはビントの声を聞きたくないとでも言うように、両腕で頭を覆い床にうずくまってしまった。

「父ちゃん」
ビントの涙がボタボタと床に落ちた。
「父ちゃん。分かった。私、ケルエフトトって人に会ってくる」

ビントの言葉が届いたのか分からないが、パディは突然がばっと起き上がり、今度はすごい勢いで近付いてきた。

「頼む、ビント。あいつを。チェレプを助けてやってくれ。俺はあいつを 一人、墓の中へ残してきてしまったんだ」
掴みかからんばかりの形相と言葉の迫力に圧され、ビントの足は後ろへ下がっていた。

「チェレプは墓に閉じ込められてる。お願いだ。あいつを助けてやってくれ。でないと、いつまで経っても、俺の前からチェレプが消えてくれないんだ」

一気に言い終えると、パディはふらふらと壁際まで行き、涙に濡れた顔を壁にぶつけるようにして、そのまま動かなくなってしまった。

「父ちゃん。父ちゃん」
ビントが反応しないパディに向かって何度も声をかけている姿を、メリメルセゲルは数歩離れた場所から眺めていた。
ビントの身体から抜け出したのだ。

気が付くと、床一面が黒い闇で覆われていた。
パディの夢で見た、王墓から出て来た闇と同じものだと思った。

金縛りになり、闇が自分を包んでいく。くそっ、またかと思いながらも、メリメルセゲルにはどうすることもできなかった。

「メリがいてくれたら良かったのに。どこへ行っちゃったの?」
そう呟く女の子の姿を捉えながら、メリメルセゲルは闇に飲み込まれていった。

私のこと、忘れちゃったの?

メリメルセゲルはかっと瞼を見開いた。

胸の上から自分を見下ろしているイアフの翠眼すいがんが目に入り、ビビる。
辺りは夜のしじまに包まれていた。

ビントの最後の言葉は頭の中で響いた。
あれは、今の自分に向けられたものではないだろうか。

メリメルセゲルはゆっくりと身体を起こして大きく息をした。
イアフが乗っていたせいもあるかもしれないが、水から陸へ上がった時のような気だるい感覚がメリメルセゲルを襲う。

今のはパディの夢の、数日後の出来事だ。
盗掘の罪がバレて捕まったパディの所へ、娘のビントが訪ねて行ったんだろう。

夢に出てきたメリは俺なのだろうか。
もしそうだとすると、パディとビントは、記憶を失くす前の俺を知っていると言うことだ。

パディの記録なら、きっと残っているはずだ。
パディの住んでいた家が分かれば、ビントを見つけられる。

記憶を取り戻す糸口がやっと得られたのだ。
メリメルセゲルは鼓動が激しくなるのを感じていた。


西の空がまだ暗い内に家を出たメリメルセゲルは、執務室のある建物へ向かった。

裁判記録が納められた倉庫で、パディの記録が無いか、書類をひっくり返す勢いで探した。

書記学校へ入る前だから、恐らく、九年くらい前の書類の中だ。

職人村のケルエフトトの存在も気になるが、まずはビントに会おうと、メリメルセゲルは決めていた。

やっと、それらしいパピルスに辿り着いた時には、太陽は地上に姿を見せており、書記官や書記見習い達が、既に仕事を始めている気配がした。
メリメルセゲルは遅刻したことになってしまった。

まずいなと思ったその時、カマルがするっと倉庫へ入って来た。
「こんな所で何をやってるんだい」
「カマルこそ。何で倉庫なんかに」
そう言いながらメリメルセゲルは、カマルにはこういうことがよくあると思っていた。
こういうこととは、誰も知らないはずなのに、カマルが自分の居場所を見付けることだ。

「私は監督官に言われて、図面を取りに来ただけだ」
「図面なら、反対方向の部屋だろう」
「ここを通ったら、メリの姿が見えたから」
こうやってはぐらかされるのも、いつものことだった。

「俺、今日。病欠するわ。センネジェムへ伝えてくれないか」
「具合が悪そうには見えないが」
「いや。そう見えないだけで、本当はすごく悪い。じゃ、よろしく」
メリメルセゲルはお腹を押さえながら、身体を折り曲げ、パディの裁判記録を隠した。

「メリ。何かあったのかい?」
カマルの横を通り過ぎようとした時、心配そうに声をかけられて、メリメルセゲルの良心が少し傷んだ。

だが、昔の記憶を取り戻すのを、自分には関係無いと言ったカマルに話す必要は無いだろうと思い直した。
「カマルには関係無いことだ」

大人げ無い言い方になってしまったと思ったが、たまには許してもらおう。
今、自分はそれどころではない。
やっと手がかりを掴んだのだ。

建物を出て、取り敢えず人の多い市場方面へ向かった。
途中の木陰に腰を下ろすと、辺りに官職の者がいないか確かめた後でパピルスを広げた。

トトメス一世の墓を盗掘したとされるパディの記録は、裁判と呼べるものでは無かった。
判事一人で判決が下されて、即日死刑執行がなされている。
いくら王墓の盗掘が重罪であろうとも、
死刑を言い渡すのに、本人の申し開きの記載も無いなんて手抜きもいいところだ。

メリメルセゲルは文頭に記された盗掘日に引っ掛かりを感じて少し考えた。
その日の翌日は、ハトシェプスト女王が身罷みまかられた日だった。
裁判が行われたのは女王の亡くなった直後になる。
その混乱でロクな裁判が開かれなかったようだと思い至った。

メリメルセゲルは文末に書かれたパディの住所を訪ねようと立ち上がり、市場のほうへ向かった。
市場を抜けて行くのが近道だったからだ。

意外にもここからそう遠くない。
都会に住んでいたんだなと思った。

早朝の、一番活気のある時間を過ぎた市場だったが、生鮮物以外の物を探し求める人々で賑わっていた。
人にぶつからないように注意して歩いていると、人だかりができている開けた場所へ出た。

「あんたのこと、知ってるよ。有名な踊り子でしょ。わたしゃ、少し前までアビドスに住んでたんだ」
人だかりの内の一人が放った言葉がメリメルセゲルの足を止めた。

「俺も知ってる」
「あんた、ネフティだろ」
「ネフティだって?」
「やっぱりネフティよ」
どっと、場が盛り上がった。

「あの、違います。通してください」
聞き覚えのある声を耳にする前に、既にメリメルセゲルの胸は高まっていた。

人垣を掻き分けるように登場したネフティトの手を、メリメルセゲルは素早く掴んで走り出した。
「こっちだ」
「メリ?!」
ネフティトは驚いていたが、すぐにメリメルセゲルと並んで走り始めた。

二人は追いかけてくる大勢の足音から逃げるように、市場の人混みを駆け回った。
いつしか追われている緊迫感は薄らぎ、二人は笑顔で走り、お互いの手を強く握り合っていた。

市場を抜けた先の寂れた小屋へ飛び込むと、身を潜めて外の様子を窺い、誰の気配もしないのを確認すると、二人は大声で笑い合った。

「どうして。ここにいるの?メリ」
「ネフティトこそ。びっくりしたよ。まさか、会えるなんて」

メリメルセゲルは懐かしそうにネフティトを見つめたが、すぐに冷静になって視線を外した。
距離を保ったまま繋いでいた手も、そっと離していた。

センネジェムの屋敷にネフティトを連れて行ってから、一ヶ月ほどが過ぎている。
「元気そうだね。良かったよ」
メリメルセゲルは少しだけネフティトのほうへ顔を向けた。
「うん」

ネフティトを忘れようした時もあったが、忘れようと努力すればするほど、ネフティトのことが頭から離れない日々が続いていた。
ネフティトとセンネジェムの仲が気になっていたが、面と向かって聞く勇気は無かった。

「ねぇ。メリはこれからどうするの?市場で買い物?」
「いや。人を捜しに行くんだ」
「ついて行っていい?」
少し迷ったが、このまま別れるのも心残りだった。

メリメルセゲルが承諾すると、ネフティトはやったぁと、無邪気に喜んだ。
ネフティトの笑顔の映像と、どきりとした気持ちとをまとめて、メリメルセゲルは心の奥底へ仕舞い込んだのだった。

〔009へ続く〕


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