小説 護符 012)メリ【一族の誇り】
(*アク:死者の形態。魂を構成する五つの要素の中で、カァとバァが結びついたもの)
〔012 本文〕
これは自分の夢だと分かっている。
メリメルセゲルは夢の中で王家の谷を歩いていた。
耳を尖らせ、道案内をするように前を歩いて行く黒猫の後ろをひたすら追う。
空には大きな月が輝いていて星の光は余り見えなかった。
何となく記憶にある景色の場所へ来た。
山の稜線を覚えている。
そうだ。
パディの夢で見た場所だ。
だとすると、ここは例の墓の場所。
メリメルセゲルは辺りを見回した。
それらしい入口は無い。
延々と砂地が広がるだけだった。
黒猫はある場所で止まると、長いしっぽをしならせてメリメルセゲルを振り返った。
黒猫の目前の砂地は、パン屋の床のように煤けて変色していた。
メリメルセゲルは座り込むと、黒い砂を両手で一心不乱に掘った。
掘っても掘っても黒い砂が出てくる。
黒猫が鳴いた。
翠眼と目が合うと、猫は山の峰のほうを仰ぎ見た。
メリメルセゲルがその視線の先へ目を向けると、月を背にして佇むカマルの姿があった。
目が覚めた。
胸の上で箱座りをしているイアフと目が合う。
最近このパターンが続いていた。
職人村から戻って来てからだ。
メリメルセゲルはイアフを抱いて庭へ降りた。
夢の中と同じ満月が空に浮かんでいる。
どうしてカマルが夢の最後に出てくるのか分からない。
最初の頃は、これはただの夢で、パディやビントの夢のように、何かを告げる目的のある夢では無いのだろうと考えていた。
だが、こうも頻繁に見ると否応無しで考えさせられる。
カマルが何か関係しているとでも言っているのだろうか。
カマルにはビントの夢からの経緯を話せていない。
隠している訳ではないが、最初に話すタイミングを逃してしまったのもあり、説明しづらくなっていた。
「メリ。眠れないのか」
声のしたほうを見ると、廊下に祖父のサアネチェルの姿があった。
今夜は大司祭の仕事へ行っていなかったようだ。
「じい様。話がある」
祖父と話せる機会は無いかと、ずっと見計らっていたのだ。
庭の一角に建てられた東屋で、メリメルセゲルは祖父と向かい合った。
「幼少の俺を、育ててくれた人に会って来た」
メリメルセゲルは伏し目がちに切り出した。
「じい様とばあ様は、俺の母さんのこと。認めなかったのか?」
顔を上げて祖父へ視線を向けると、サアネチェルは観察するように、じっくりとメリメルセゲルの顔を眺めていた。
「シェリがお前を連れて、この屋敷を訪ねて来た時。お前は五歳になっていた」
過去へ思いを馳せるように、サアネチェルは月を仰いだ。
「自分には、戻らなければならない場所がある。メリを一緒に連れて行こうと思っていたが。この子にはこの世界で、何かの役目があるようです。あなた方へお返ししますと、シェリはじいに言ったんだ」
「戻らなければならない場所って?」
「知らん」
冷淡に聞こえるほど、はっきりとした言い方だった。
重要なのは、そこでは無いと言いたいのかもしれない。
「じいは、正直驚いた。シェリを見くびっていたと、その時になって気が付いたのだ」
「どういうこと?」
「昔。お前のひい爺に当たるメリネチェルは。トトメス一世王の命令で、ある人物のアクを封印した」
突然曾祖父とファラオが出てきて困惑したが、封印と言う言葉を聞いて、メリメルセゲルは祖父の話の先を促すことにした。
「何のために、アクを封印したんだ?」
「その頃。トトメス一世王のご子息やご息女が次々と事故に遭ったり、ご病気になったりする怪異が続いていた。それが原因で、お亡くなりになった方もある」
元軍人だったトトメス一世王は、多くの妻を持ち、沢山の子供を授かっていた。
「跡継ぎのトトメス二世王も、例外では無かった。生まれつき身体が弱かったのもあるが、成人されないのではないかと。トトメス一世王は心配されておられたようだ」
生まれつき身体が弱かったのも、怪異を起こしたモノのせいかもしれない。
「だから、アクを封印したんだな」
「当時、じいはまだ子供だった。ひい爺様が、一人で戦っておられたことすら知らなかった。じいが結婚した時に、封印の話を初めて聞かされた。この先、我が一族で封印を守り続けよと」
「封印を守り続ける」
メリメルセゲルは呟いた。
しかし、既に封印は解かれてしまった。
「じい様は、アクが封印された場所を知ってるの?」
サアネチェルは首を振った。
「ひい爺様もお忙しい方だった。詳しいことは、ゆっくり説明すると言ったきりになっていた。そうこうしている内に、じいのほうにも、息子が生まれ。神官の仕事も忙しくなって。ひい爺様とは、すれ違いばかりになってしまった」
苦しそうに顔を歪める祖父を、メリメルセゲルは初めて見た。
「ひい爺様は急に体調を崩されて。じいを呼んだ時には、ひい爺様のカァが、ひい爺様から遠ざかろうとしているのが分かった」
人の生命力であるカァが遠ざかるとは、その者の死を意味する。
「何か、邪悪なモノの気配も近くにあった。死の直前、ひい爺様は。封印は不完全であったと、じいに告げた」
「不完全?」
「再び、怪異が始まる前に、手を打てと。トトメス一世王が、夢枕に立たれて申された。だが、自分の命はもうすぐ尽きる。一族の誇りにかけて、封印を完全なものにせよと、命じて旅立たれていった」
「封印を完全なものにする」
それが、自分に与えられた宿命ではないかとメリメルセゲルは思った。
「じい様は、その方法を知ってるのか?」
サアネチェルは悔しそうに膝を叩いて首を振った。
「ひい爺様は。何も話さず、慌ただしく逝ってしまわれた」
サアネチェルはメリメルセゲルを渇望するような視線で見つめてきた。
「お前の父親に先立たれ、メリも行方知れずになった時。じいは、既に年老いていた。ひい爺様の祠の前で泣き崩れた」
メリメルセゲルはぎょっとした瞳を、淡々と語る祖父へ向けた。
「ひい爺様に託された想いは、成し遂げられそうにないと。どれほど謝ったことか」
そう聞かされても、祖父が感情を露にする姿が想像できないメリメルセゲルだった。
「しかし、その夜。夢にひい爺様が出て来てくださった。心配するで無い。お前は待っておれと」
夢で告げられるのは血筋なのかと、メリメルセゲルは思った。
「シェリが。メリには役目があると言って、お前を連れて来た時。ひい爺様の言っていたことは、これかと悟った。シェリもまた、ひい爺様から何かを託されていたのだとも思い至った」
祖父の瞳に後悔の念が窺えた。
「じい様とばあ様は。どうして、父さんと母さんの結婚を認めなかったんだ?」
「今にして思うと、つまらん先入観だ」
サアネチェルは苦い物を口に入れてしまったような顔をした。
「異国の者の容姿と、たどたどしい言葉使い。いずれ大司祭になる息子には、相応しく無いと思った」
「母さんは外国人だったのか?」
「知らなかったのか」
サトも、そのことは何も言っていなかった。
サトにとっては、些細なことだったのかもしれない。
「シェリが、お前を身籠ったと聞かされても、じい達は二人の結婚を許さなかった」
静かに、沸々と、メリメルセゲルの心に怒りが湧いていた。
「二人は。アルマントに所有する別荘で、隠れるように暮らしていたんだが」
アルマントはナイル川を船で遡ればすぐに行ける、テーベの隣り街だ。
「その間に。息子は、何か邪悪なモノと戦っていたようだ」
「父さんが?」
「どういう経緯かは知らないが。おそらく、ひい爺様の死の床近くで、漂っていたモノと、同じ存在だったのではないかと思っている」
メリメルセゲルの腕の中で大人しくしているイアフへ手を伸ばし、サアネチェルは息子へそうしたかったかのように、優しく撫でた。
「結婚に反対していなかったら。じいに相談していたかもしれないのに」
イアフが目を瞑って鳴き声を上げた。
「父さんが死んだのは、その邪悪なモノのせいなのか?」
「分からん」
サアネチェルの顔には、はっきりと深い後悔が浮かんでいた。
「俺が生まれた時。じい達は俺だけを引き取って、母さんを放り出したって。本当か?」
胸に渦巻いている怒りの感情をメリメルセゲルは隠せなかった。
やり直しのきかない過去の行いを悔やんでいるであろう老人に向かって、容赦無い厳しい視線を投げかけていた。
「今更、言葉を濁しても仕方が無い。その通りだ」
ひどいじゃないかと言う言葉が喉元まで上がっているが、ぶつけることができなかった。
「お前が生まれたと聞いてすぐに、メリを引き取りに行った。シェリだけでは、到底育てることはできまいという考えもあったが。何よりも、息子が他界してしまった時点で、ひい爺様の想いを受け継ぐ者は、もうお前しかいなかったからだ」
「そんなの、じい様の勝手じゃないか。その時どうして、俺と母さんを引き離したんだ。母さんを認めてくれたら良かったじゃないか」
叫んだメリメルセゲルを、サアネチェルは悲しい顔で見つめた。
「じい様は悪くないのよ。悪いのは、私」
後方から声が聞こえ、メリメルセゲルとサアネチェルが振り返ると、祖母が月明かりの下に立っていた。
「じい様は。シェリをお前と一緒に、この屋敷へ迎え入れようとしてた。だけど、私が。生まれた子供だけを連れて来てと頼んだ」
非情な祖母の言葉は、これまで祖母と過ごしてきた温かい思い出を、冷たいものへ変えてしまうほどの威力があった。
祖母がこれまで幾度となく口にしていた懺悔の言葉まで、受け入れられないものへ変化していた。
「あの時は。息子が死んだのは、シェリのせいだと思い込んでた。あの娘をどうしても許すことができなかったのよ。私が許さなかったせいで。じい様まで、ずっと苦しめることになってしまった。ごめんなさい、メリメルセゲル。じい様も」
憤りが、メリメルセゲルの瞳から噴き出していた。
メリメルセゲルは静かに立ち上がった。
「待て、メリ」
メリメルセゲルが去ろうとしているのを見て取ったサアネチェルが、急いで腕を掴んで止めた。
「お前がじい達を許せなくても。じい達は、メリの力になりたいのだ。何かあったのなら、話せ。何かあったから、育ての親に会いに行ったのだろう?」
祖父の気持ちは分かっていた。
何も知らないまま、息子と同じようなことが孫の自分に起こってしまったら、今度こそ耐えられないと思っているのだ。
だが、涙が止まらない状態のメリメルセゲルには、ここで説明する気持ちの余裕は無かった。
何も言わず、メリメルセゲルはその場を去った。
イアフをいつ腕から離したのか覚えが無いほど、心のダメージは深かった。
メリメルセゲルは祖父母を庭へ残し、一旦自分の部屋へ戻ったものの、一人になると気持ちが複雑に入り乱れ、益々整理がつかなくなった。
屋敷を出て、カマルの住む町へ向かっていた。
カマルは位の高い者達の住むエリアから少し外れた場所に住んでいる。
屋敷の前に着いたが、真夜中だったことを思い出して訪問するのを躊躇った。
あと一、二時間もすれば、誰かが起き出すだろうと、メリメルセゲルは玄関先で待つことにした。
長い付き合いだが、この屋敷へは片手ほども入ったことが無い。
カマルの家族や使用人と、顔を合わせたことも無かった。
両親は亡くなっているが、兄弟は遠くの町で暮らしていると、昔聞いた覚えがある。
メリメルセゲルが玄関横へ腰を落ち着けた直後、カマルが庭先へ降りてくるのが目に入った。
「カマル」
呼びかけると、待っていたかのようにカマルはするりと振り返った。
「どうしたんだい?驚いたな。珍しいじゃないか」
驚いているようには見えないが、表情に出していないだけかもしれない。
カマルにはそういうところがある。
「中へ入るかい?」
「いいのか?」
通された居間はメリメルセゲルの目から見ても、やたら広い部屋で、椅子やテーブルが幾つも設えてあった。
木製の長椅子の一つにメリメルセゲルが座ると、カマルも近くの椅子へ腰を下ろした。
「こんな時間に起きてたのか?」
「そんなことより。何か話したいことがあるんじゃないのかい?」
メリメルセゲルはこくんと頷いた。
深く息を吸い、泣き言を漏らしそうなっている気持ちを、吐き出す息と共に押し出した。
そして、メリメルセゲルはビントの夢を見てから、今しがたの祖父母との会話までを一気に語ったのだった。
カマルは相槌を打つだけで、自分の意見は全く挟まなかったし、メリメルセゲルの話が整然としていない時だけ質問してきた。
お陰でメリメルセゲルは落ち着いて考えられるようになっていた。
「母さんが戻らなければならなった場所って、どこなんだろう」
カマルは何も答えなかった。
「俺を祖父母へ預けて。母さんは、サトの所へ帰ることだってできたのに。そうしなかったってことは、母さんには行く場所があったんだ」
「そう考えるのが、自然だね」
「母さんは、どこかで生きているんだろうか。故郷へ帰ったとか」
「そうだといいね」
濁りの無い瞳で、カマルはずっと遠くのほうを見ていた。
「父さんが戦ってた、邪悪なモノの正体も気になる。この間、俺とネフティトを襲ってきたモノと同じなんだろうか」
「メリ達を襲ったモノが、メリのお父様と戦っていた存在と同じなら。それは。パディ達によって、封印を解かれたモノとは別のモノということになるね」
「そうなんだ。パディ達が封印を解いたのは、父さんが亡くなった後だから」
「と、言うことは」
「俺はこう考えてる」
と言うより、今、考えがまとまったところだった。
「パディ達は、ひい爺様が封印したアクを解き放ってしまった。そして。父さんが戦っていた邪悪なモノ。それが。ひい爺様の封印が、不完全となってしまった原因の正体なんじゃないかって」
「理屈は通っているようだね」
カマルに言われて自信がついた。
「俺は。パディ達が解き放ったアクと、父さんが戦っていた邪悪なモノを、まとめて封印しようと思う。それが。俺の宿命だと思うんだ」
「それは。ひいお爺様がアクを封印した同じ場所にと、考えているのかい?」
「そうしたいと思うんだけど。その墓の場所が見付け出せるかどうか」
言いながら、メリメルセゲルは最近よく見る夢を思い出した。
「カマル。墓の場所に心当たりは無いか?」
唐突過ぎたからか、カマルが一瞬真顔になった。
「何で。私に心当たりがあると思うんだい?」
「最近見る夢の最後に、カマルが出てくるんだ」
「どんな風に?」
「山の上から、封印に使われた墓の入口を見下ろしてる」
「メリの夢に、お告げのような力があるのは認める。でも、その夢はどうだろうね。意味が分からないな」
視線を床に向け、カマルは首を傾けた。
「ひょっとしてと思って聞いただけだ。気にしないでくれ」
「だけど。同じ場所に、もう一度封印すると言うなら、私も協力したい」
「えっ?」
カマルから、そんな言葉が聞けるとは思っていなかったメリメルセゲルは驚いた。
記憶を取り戻したいと告げた時の、カマルの冷たい反応がメリメルセゲルの心に残っていたからだ。
自分の背負った宿命などについても、カマルが否定的に捉えていると思い込んでいた。
「本当に?」
カマルは頷いた。
「だけど。これは覚えておいてくれないかい?」
そう言って、カマルは身を乗り出してきた。
「メリは、自分が宿命を背負っていると決め付けているけれど。邪悪なモノとの戦いが、避けられないことだなんて。誰が決めたんだい?」
「それは」
「今までの話を聞いた限りでは、怪異はファラオの血筋で起きている。メリが邪悪なモノの意思を邪魔しなけば。邪悪なモノも、メリを攻撃してくることは無いのではないかい?」
「俺は。俺にできることがあるなら、力を尽くしたい。それだけだ」
なるだけ声を荒らげないようにしてみたが、使命感の強いメリメルセゲルにカマルの考え方は理解できなかった。
やっぱり、カマルは宿命について、心の底から賛同している訳では無いのだ。
「私が懸念しているのは、メリのその捉え方なんだよ。メリが何もかも背負い込むことは無い。いざとなったら逃げてもいいんだ」
「カマルは、俺が。父さんのように命を失うと思っているのか?」
「メリのお父様が、どのようにして亡くなったのか分からないから、お父様のようにと言う表現は正しくない。選択肢は他にもあるってことを、常に忘れないで欲しいと言いたいだけだよ」
「じゃあ。何故、封印に協力してくれるって言ったんだ?」
「私にも事情がある」
「どんな事情だ?」
「いずれ、打ち明ける。それまでは聞かないで欲しい」
〔013へ続く〕
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