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3つの魂と直感

直感をうまく使えない理由のひとつに、「直感とはインスピレーションのこと」という思い込みがあるかもしれない。

これはあくまでもひとつのモノの見方として捉えてもらえたら有難い。
あくまでも私見である。

古今東西、私たち人間は様々なモノの見方で人間を分析してきた。
例えばBODY,MIND,SPIRITの3つに分けて捉えたりしている。
一見同じように感じるかもしれないが、古代西洋魔女はハイヤーセルフ、ミドルセルフ、ロウアーセルフに分けて捉えた。

ハイヤーセルフとは、超越した大いなる自己である。
ミドルセルフは私たちが人間として暮らすために必要な理性だったり、”現実的”な考え方をする部分。
ロウアーセルフとは血や肉そのものであり、幼い感情や動物的感覚、感情的、本能的な部分を担当している。
位置としては、自分の体の中に、縦に3つの「魔女の大釜」が並んでいると想像して欲しい。
頭にはハイヤーセルフの大釜、胸からお腹辺りにはミドルセルフの大釜、そして骨盤にロウアーセルフの大釜がある。

ハイヤーセルフから降りてくるのは天啓やインスピレーションであって、直感ではない。
よくわからないけど導かれている気がしたり、急にやってくるアイデアはハイヤーセルフからのメッセージだ。
直感とは、実はロウアーセルフが発するものなのである。

ロウアーセルフの特徴である、動物性、幼児性、欲望、様々な感情には、時間の概念がない。あらゆる感情が過去にならず、ずっと「今」として保存されている。
ロウアーセルフの場所が骨盤ということは、女性の場合は子宮にも該当する。
感情や欲望、創造性を担当している第二チャクラにも当てはまるため、これはすべて偶然ではない。

ロウアーセルフは先祖から引き継いだデータバンクでもあるため、直感とは本能の記憶の統計かもしれない。
そしてロウアーセルフは血や肉なので、体そのものでもある。
つまり、直感とは体の声なのである。
宇宙からのメッセージでもインスピレーションでもない、野生なのだ。

直感がうまく使えないからと言って、決してダメなわけではない。
むしろデキる人だったり、社会人として優れている証拠でもある。
なぜなら、直感がうまく使えない人はおそらくミドルセルフが優位に働いているため、冷静に社会的に立ち回ることができるからだ。
チームや会社に属して動いたり、家族のためにしっかり家庭を回せるのは、ミドルセルフの功績によるもの。
だからこそロウアーセルフの(時として幼稚な要求にもなる)声は、いちいち相手してあげられないこともあるだろう。

ロウアーセルフを無視し続けると、何が好きなのかわからなくなる。
社会とのバランスを取っているミドルセルフは素敵なものや最先端なものは選ぶことができても、何をしたら自分がご機嫌になるのかわからないのである。

最近、動物に育てられた人が気になって本を読んだり情報を漁ったりしていたのだが、ジャングルで猿に育てられた人、オオカミやダチョウに育てられた人など、世界には数奇な運命を辿った人たちが少なからず存在する。

すべての情報を知ることは出来ないのでわかっている範囲内での感想だけど、彼らの世界はおそらく、ほとんどミドルセルフは機能していなかったのではないかと思う。

なぜなら、野生とはロウアーセルフそのものであり、ハイヤーセルフは切っても切り離せない存在だとしても(詳しい解説はここでは省略)、実はミドルセルフは人間として生まれる時に創られるものだからこそ、人間として生きない場合には消滅してしまうか、奥底に隠れてしまうのかもしれない。

感覚界と叡智界の合流地点として存在しているのが知性を持った人間

そう表現したのは3世紀頃のカッパドキアの教父だ。西洋魔女とは関係ないところでも、人間はいつの時代も同じものを捉えている。
天啓だけでも、直感だけでも、知性だけでも「人間」は成り立たない。
そして「愛」が介入しないと秩序が保てずに破壊へ向かってしまう。
これがヒューマニズムの本質である。

「直感」の話に戻ろう。直感とはすなわち野生や獣性にある。
直感を高めたいのなら、動物の真似をしてみるといい。
森の中で動物になったつもりで食べられそうなものを探してみたり(実際に食べなくていい)家の中で試しに四足歩行してみてはどうだろう。
芝生や土の上を裸足で歩くのもいい。これは直感が鍛えられるだけじゃなく、他にもいくつかの相乗効果がある。
ひとつはアーシング(放電)、次にグラウンディング(地に足をつける)、そしてグラウンディングによるハイヤーセルフとのコネクション強化。
繊細な人やサイキック、スピリチュアルの世界に生きる人ほど足の裏の感覚を目覚めさせておくと自己防衛にもなる。
ハイヤーセルフやチャネリング的な情報収集ではなく、体の指示に従えるようになるからだ。

あるいは、五感を使って快・不快を知ることから始めてみてはどうだろう。
例えば色々なものを手で触ってみて、これは好き、これは嫌いと感じていく。
あなたはふわふわのタオルとナメクジ、どちらに触りたいだろうか。
さすがにこれは極端な例かもしれないけど、本当は触る前から体はちゃんと快・不快をわかっているのだ。
そういうことを「直感」と呼ぶ。

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参考文献…第三の精神医学〜人間学が癒す身体・魂・霊/濱田秀伯、魔術の教科書/マット・アウリン

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